9 心の選ぶ人

「おおおおおじ様なぜここにーッ!」
「と言いながら何故飛びかかってくるんですかあなたは!!」
 もはや条件反射的にレメクに飛びかかったあたしに、逃げることもできなかったレメクが叫ぶ。
 エッチラオッチラ。
「おおお! それが変な踊り!! はい、チーズ!」
 パシャ、と音がして振り返ると、ケニードが何かを羊皮紙に貼り付けていた。
 たぶん、例の複写トレース紋様術を使ったのだろう。……ということは、貼り付けているのは今の映像だ。
(後で私の分もください!)
 あたしはギラリとアイコンタクトを送った。
 ギラーンッとケニードが見事なアイキャッチ。
 互いに素晴らしい至福の表情。
「うふふふふふなんてレアな画像なんだろう! クラウドール卿の必死の表情なんて、もうすごい貴重だよ!」
 わぁ、ケニード。よだれ! よだれ!!
 レメクの顔が微妙に引きつった。
 全身で張りついているあたしを剥がすのが先か、異様なテンションの変態を倒すのが先か。
 たぶん、レメクにとっては究極の選択だったのだろう。
 しかし、彼が行動に移るより早く、別の所から声がかかった。
「あ……あの、クラウドール様……?」
 恐る恐る、といった表現が相応しいその声に、レメクの動きがピタリと止まる。どうやら我に返ったらしく、スッと無表情になった。
 あー……そういえば、この無表情もなんか久しぶりだわ。あたし的には。
 ちなみに声をかけてきたのは、立派な鎧を着た壮年の男だった。なかなか愛嬌のある顔をしているが、ヒゲがあまり似合っていない。
「失礼。見苦しいところをお見せ致しました」
 レメクがピシッと背を伸ばして答える。長身も相まって実に格好イイ。
 あたしを貼り付けたままでさえなければ。
「は……はぁ……」
 ヒゲ男さんのほうはあたしをチラチラ見ながら、顔に冷や汗をかいていた。無視するに無視できず、尋ねるに尋ねられない。そんな風情だ。
 その顔が青ざめている理由をとても知りたい。
(……それにしても)
 この人は一体どういう人なんだろうか?
 ヒゲ男さんの隣には立派な白ヒゲのお爺さんがいて、この人はケニードの家の執事さんだった。あたしもお屋敷に入るときに挨拶したので、顔はちゃんと覚えてる。
 ……名前はお願い、聞かないで……
 ちなみにこちらも、ものすごいショックを受けた顔をしていた。
 その目がとらえているのは、他ならぬレメクとあたし。
(え、えーと……)
 あれかな? やっぱり原因はあたしだよね?
 上流階級の方々には、全力ハグとか飛びつきハグとかは、とってもはしたないことなのかもしれません。
 その彼らの後ろには、鎧をつけた人々がズラリと並んでいる。
 下の服も鎧も灰色なので、見た目的にはものすごく地味だ。お城の兵隊さんだろうか? 遠目に見たことのある、城の門番にちょっと格好が似ていた。
 とすれば、ヒゲ男さんは隊長さんなのかもしれない。
(……それにしても、なんでみんな、変な顔をしてるんだろう?)
 あたしは周りを見渡した。
 揃いも揃って、世にも奇妙なモノを見たかのようだ。なかには口を半開きのまま、固まっている人もいる。
 何故だろう?
 ……あ、なんか隅っこで丸まってぶるぶる震えている人を発見。何故かその人だけ青い服。
 見えるのは尻と背中だけなんだけど……でかい尻だなぁ。
 そんな風に周囲を観察していると、白ヒゲ執事さんが意を決して声をかけてきた。
「ケニード様……これは一体……どういうことでしょう?」
 その声に、複写トレース紋様術を行使しまくっていたケニードは、一瞬だけキリッと顔を引き締める。
「問題ない。お茶の用意をしたまえ」
 そしてデレッとした顔で紋様術を再開する。
 ……本当に一瞬しかもたなかったな……
 だいたい、何に対しての答えなんだ、あれは。答えになってないよ、ケニード。
 あたしを張り付かせたまま、レメクが重いため息をつく。
「……問題ありすぎです」
 全員の心を代弁して、彼はケニードを一瞥いちべつした。
「アロック卿。いい加減にしないと怒りますよ」
「はい。すみません」
 即座にやめるケニード。うわ、どんな従順さだ。
 ……でもその撮った映像は保管するのね。こっそりと。
 神業に等しい速度でいずこかへと消えた映像群。あとで複写依頼しなくては。
 ……そんな方法があるのかどうかは謎だけど。
「さて。……アロック卿、私がここに来た理由はもうおわかりですね?」
「うん。ベルのことだね?」
「ええ」
 ぽすん、とレメクの手があたしの頭の上に乗る。正確には、あたしの頭を覆っている布の上に。
 ちなみに無意識なのだろうが、半ば自動的にもすもすと撫でていた。おっおーう♪
「それを踏まえた上で、お二人には聞きたいことがあります。……ベル、あなたも離れなさい」
 頭を撫でてくれているというのに、いきなり離れろと言われた!
 あたしは反射的にレメクを振り仰ぐ。
「…………!!」
 見捨てられた子猫のような絶望的表情。
 それを浮かべたあたしに、冷ややかな顔をしていたレメクが大いに怯んだ。
 見つめたままで、あたしはぎゅーっと強くしがみつく。
 一。二。三。
 レメクの強ばった視線が、微妙にあたしから逸れた。
 ……勝った。
「ま、まず最初に、どういった経緯でここにいるのか話していただきましょうか」
 あたしを剥がすのを諦めて、レメクがケニードに向き直った。
 その様子に、執事さん以下兵隊群が勢いよく顎を落とす。
 ちなみに青い尻は向こうでいっそうブルブル震えてた。
 ……あれって、もしかして笑いを堪えてるんじゃあ……?
「経緯というか……僕が庭先でうろうろしてたら、ベルが家から出てきたんだよね」
 けろりとした顔で、ケニードが一言。
 途端に、ジロリ、とレメクがあたしをめつけた。
 うっ……
「あなたは……部屋で大人しくしてなさいと、あれほど言ったのに……」
 あああああ。
 怒ってる。すごく怒ってる。
 思わず縮こまったあたしに、レメクは心底怒っている目で言った。
「何故外に出たんです?」
「え……あの」
「何故、外に出たんですか?」
 に、二度も聞かなくても……
「い……居づらくて」
「どこに居づらいんです?」
「い……家の中……」
「…………」
 レメクが口を閉ざす。
 目から険が消え、同時に感情らしきものがフッと消えた。
 あたしはそれを見て、何故か、早く何か言わなくちゃいけない、と思った。
 何か……何でもいい。彼が口を開くよりも早く! 早く!!
「だ、だって……だって、あたし」
 レメクの目があたしを映す。
「あたし、どうせ邪魔なんだもの!」
「……邪魔?」
 レメクが瞬きをした。不思議そうな色が目に宿り、軽く首が傾ぐ。
「何が邪魔なんです?」
「…………」
 あたしは言葉につまって、口をぎゅっと引き結んだ。
 とっさに言ってしまったとはいえ、どう続けて言えばいいのだろうか。
 思ったことをそのまま伝えればいいとは思う。けど、自分の思いすら、上手く伝えれる自信がなかった。
 だいたい、どうしてあそこに居るのが辛かったのか……その理由すら、あたし自身よくわからないのだ。
 ただ、寂しかった。
 ただ、悲しかった。
 辛くて苦しくて胸の中がぽっかりと空いたような気持ちになって、居ても立ってもいられなかった。
 そこに居たいのに、逃げ出したい。
 どこにも行きたくないのに、どこかに行かなきゃいけない。
 どうしてそんな気持ちになったのかなんて、きっと問われても答えられないけれど。
 ただ、どうしようもなく、じっとしていられなかったのだ。
(……どう……言えばいいの……?)
 絶対に傍に置いてくれないとわかってる相手に。
(何を……言えばいいの?)
 思いが届かない相手に。
 一緒にいたくてたまらないから、どうかずっと傍に置いてくれと……それが迷惑でしかないのがわかっているのに、どうして……どうやって……
「ベル?」
 そのときのあたしは、ひどく情けない顔をしていたのだろう。レメクがみるみるうちに心配そうな顔になる。それを見て、なんだか涙が出てきた。
 ボワボワとぼやけていく視界で、レメクが焦った顔になるのがわかった。わかったけど、止まらない。
「クラウドール卿……」
 どこか非難めいたケニードの声。
「レーメーク」
 同じく非難めいた野太いオッサンの……
 え? 誰の声?
 思わず声のしたほうを見ると、青い服を着た熊がいた。
 熊!?
「ちっこいレディを泣かすとは、紳士の風上にもおけねぇなぁ」
 ふんぞりかえった大熊が言う。
 独特の形をした青い服は、教会のお偉いさんが着てる服によく似てる。どう見ても特注としか思えない大きさに、びっくりしすぎて涙も引っ込んだ。
 ひゃくっ、と喉を鳴らしたあたしに、レメクが慰めるように背中を撫でてくれる。
「……ルド」
 そしてドーンと立ってる大熊へ、疲れたように一言。
 熊がフンッと鼻をならした。
「なんでぇ、色男。熱烈に抱きつかれてオロオロしてるかと思ったら、デカイ図体生かして威圧しやがって。いったいどういうツンデレだ?」
 ……どういう解釈で『ツンデレ』だ?
 あたしは唖然と熊を見た。
「……陛下と似た異次元思考で私を判断するのは止めてもらいたいですね。だいたい、どこをどう見ればそういう風に見えるんですか」
「んなもん誰が見たってそう見えらぁ。なぁ? ケニード」
「うん。見えるよねぇ。すごく羨ましい。いいなぁ……」
 心の底から羨ましそうなケニードの声。……どっちに対してのウラヤマシさなのかが謎だ。
(……って、)
 ん?
(てゆか、ルド?)
 ルドゥなんとかバルバロッサ卿?
「大……」
 神官、と言うべきか、熊と言うべきか。いや、むにゃむにゃ。
 大熊もとい大男を見上げて、あたしは口をもぐもぐさせた。
 レメクが彼を説明するとき、敢えて熊と評したのもわかる。
 なにしろデカイのだ。平均を超えた長身であるレメクよりも、さらに上に頭三つ分ほど背が高く、幅はレメクの約三倍。たぶん、こういう人を「巨漢」と言うのだろう。
 本当に後ろ足で立ち上がった熊がそこにいるような感じだ。
「だいたいなぁ、おまえ、本当にちゃんと説明したのか? このちっこいレディに。下手に動くと命に関わるぐらいの重病人なんだ、とか。外に出ると犯罪者に拉致られてどこかに売り飛ばされる恐れがあるから動くな、とか」
 ぽかんと見上げるあたしの顔を覗き込んでから、熊は一人で勝手に納得顔になった。
「ほら見ろ、この呆けた顔。全然何も聞いてないって顔じゃねーか」
「……どう見ても、あなたの存在に唖然としてる顔ですが」
「馬鹿言うんじゃネェ。俺みたいな善良な一般神官にナニを唖然とするっつーんだよ。なぁお嬢ちゃん」
 ごめんなさい。
 心底、唖然といたしました。
 引きつった笑みを浮かべるあたしに、レメクの倍はあるデカイ手がグワッと迫った。
 ひぃぃッ!! もげる! 頭がもげるッ!!
 たぶん頭を撫でてくれてるつもりなんだろう。しかし、なにせ力と手のデカさが半端じゃない。
 体ごとわっさわっさ動くあたしに、慌ててレメクが保護にまわった。
「壊すつもりですか! あなたは!! ……ベル、大丈夫ですか? 頭はついてますか?」
「もげ……もげるかと思ったわ……」
 変にスナップの効いた目眩を感じながら、あたしはようようそう答えた。
 レメクに張り付いてる体勢じゃなかったら、もっと激しく揺さぶられていたことだろう。そう考えると恐ろしい。早くレメクに張り付き直そうと、あたしは両腕に力を込め直した。
 目眩するせいで方向感覚はあやふやだが、とりあえず匂いでレメクの位置はわかる。エーイとジャンプすると、なかなかに素晴らしい腹筋が。……フンフンフン……この匂いはレメクに間違いない!
 暖かい手が、微妙にふらつくあたしの頭を押さえた。
 正確には、頭に巻いてあった布を、なのだが。
「せっかく綺麗に巻いてあったのに、台無しですね。……これはアロック卿のものですか?」
「え? あぁ、はい。そうです。ベルの髪を隠さなくちゃいけないと思って。僕のマフラーを貨したんです」
 そう、外出にあたって、ケニードはあたしの髪を隠すのに自分のマフラーを貨してくれたのだ。柔らかくて暖かくておまけにフワフワのマフラーは、最高のターバンに変身してくれました。
 ……いや、用途が違うのはわかってます。
 でも、道中、あたしがメリディス族だというのがバレなかったのは、これをターバンがわりにしていたからなのだ。
「……まったく。一緒にいたのがアロック卿だったからよかったものの……あなたの危機感の無さには、ほとほとあきれ果てました」
 そう言って、レメクはあたしの頭を覆っていたマフラーを外す。
 途端に、周囲が息を呑んだのがわかった。
 ぅお!? という声は真横から。バルバロッサ卿だ。
「髪ボロボロじゃねぇか! もったいねぇ!」
 ……驚きのポイントが他と違うっぽい。
「あれ? バルバロッサ卿は、ベルがメリディス族なのを知ってたんですか?」
 そっちに驚いたらしいケニードの声に、バルバロッサ卿は「あー」と間延びした返事。
「いあ、こいつがな、まぁいろいろややっこしい状況になった上に、ややっこしい仕事もってきてな。そのときに問いつめまくって無理やり聞き出した」
 意味不明。
 とりあえず、こいつ呼ばわりされたレメクは、嘆息をついてマフラーを丁寧に畳んだ。
「私はごく率直に、普通に、徹底的に説明したはずですが。どこをどうすればそんな風になるんですか」
 ものすごい強調したよ、この人。
「おめぇの『普通の説明』はわかりにくいんだよ。簡潔に言えって、簡潔に」
「あなたに簡潔に言うと、千パーセントの確率で正解の斜め上空に結論が飛ぶでしょうが」
 ……斜めな上に上空なのか。
 どこまで正解と違う答えに行き着くのだろう。むしろその行き着く先がとても気になる。
 まぁ、二人の意見の食い違いはともかくとして、だ。
「ず、ずるいですよバルバロッサ卿! いつのまにクラウドール卿とそんなにラブラブに!」
 そう! そこが一番問題……てゆか問題なにか違ーッ!!
 あたしが抗議するよりも早く、あたしを張り付かせたままのレメクがズカズカとケニードに詰め寄った。
「どこをどうとればそういう誤解が生まれるんですか、アロック卿」
「ああああクラウドール卿、近い! 近い! ぜひそのアップを脳内記憶回路に焼き付けぃたただだだだだッ!」
 即座におじ様のアイアンクローが炸裂。
 ……脳みそ出ちゃうんじゃないかなぁ、アレ。
 しかし、レメクには悪いが、この攻撃は逆効果だ。
「……ケニード……嬉しそうな顔ね……」
 彼は輝くほど至福の表情をしていた。何か別の世界の扉を開きそうな勢いだ。
 ……攻撃しているレメクのほうが顔色悪い。
 メキメキメキ……
「ぉああああああだんだん痛みも違う感覚にぃーッ」
 ケニードが異世界の扉を開けた瞬間、
 あ。逃げた。
 あたしをくっつけたままレメクが勇気ある撤退てったい。むしろ逃走。しかも速い。一瞬で最初にいた場所まで戻っている。
 瞬間移動!?
 張り付いていたあたしの両足がブゥンと大きく横に振れた。ををを剥がれる! 剥がれる!!
 そのあたしを確保、定位置装着を済ませてから、レメクは白ヒゲ執事さんに真顔で向き直った。
「リット殿。ご主人の教育はいったいどうなっているのかと、問わせていただいてもかまいませんか?」
「も、もももも申し訳ございませんクラウドール様。若君の教育は一切合切私が担っておりましたがこればかりはもうどうしようもないというか手遅れとお伝え申し上げるしかない次第でございます」
 心底恐怖の表情の老執事。この怯えぶりはいったい何なのか。
 あたしがレメクを見上げると、レメクは無言で天を仰いでいた。
 たぶん、胸中でこう呟いているのだろう。
嗚呼ああ
 ……嘆く気持ちはよくわかる。
 しかし、ここはフォローするべきところだ。盟友を救ってこそレメクマニア同盟。
「大丈夫よ、おじ様。ケニードはおじ様が大好きなだけで、別に犯罪者じゃないんだから!」
「……それはもしやフォローのつもりなんですか? ベル……」
 どろんとした目でレメクがあたしを見る。
 向こうでケニードが悲壮な目。
 ……あれ?
 何か言い方おかしかった……?
 じゃあ、言い直そう。
「大丈夫よ、おじ様。ケニードはマニアなだけで、フェチじゃないから」
「…………」
 あれ?
 また言い方おかしかった?
 心なしかヘコんだレメクとケニードに、あたしは首を傾げる。横で青熊が腹を抱えてブルブル震えていた。
 ……えーと……
「あ、ね、ねぇ、おじ様? それより、ほら、後ろの人達はなに? それに、どうしていきなりここに?」
「……あなたがそれを私に聞きますか」
 できるだけ自然に話題を変えてみせたあたしに、心の奥底から嘆息をつくレメク。
 あれ? 何かよけいにブルー入ったような?
 横でブルブル震えていたバルバロッサ卿が、「報われねぇー」と笑い死にしそうな顔でぼやいた。
「嬢ちゃん、そいつぁ必死で行方を捜してた男に言う言葉じゃねぇなぁ」
「行方を……?」
 あたしは目をみはった。
「……必死で……?」
 レメクを見上げると、ふいと視線が逸らされる。
 どこか不機嫌そうな、その顔。
「家に戻ったら、あなたがいませんでしたから」
「…………」
「服もそのまま放置されてましたし、あんな格好でどこへ行ったのかと……」
 あんな格好、というのは、レメクのシャツ一枚の姿のことだろう。
 あたしは自分の格好を見下ろす。……何か変だろうか?
 もともと、孤児院で着ていた服だって、今とたいしてかわらない状態だったのだ。今の方が生地はいいし清潔だしで、そうおかしいことは無いと思うんだけど。
 ……そういや、ケニードもあたしの格好見て、必死に上着を押しつけてきたな……
 寒かったから、道中だけ貨してもらったけど。
「…………」
 あたしは無言で、きゅっとレメクの服を引っ張った。
 レメクがやや乱暴に、あたしの頭を撫でる。
「後ろの方々は、あなたの捜索にと陛下がお貸しくださった兵です」
 ……げ。
 兵……てゆか、ちょ、ちょちょちょちょっと待って!? 王様が貨してくれた兵!?
 あたしは慌てて周囲を見渡した。比喩でなく顔が青くなる。
 バルバロッサ卿が何故かニヤニヤ笑ってた。
「すげぇ勢いで王宮に飛び込んできたよなぁ、レメクの旦那よぉ」
「……急いでいたことは否定しませんが、誇張は感心しませんね」
「へーぇ、取り次ぎすら無視して陛下に謁見しに行ったのに?」
「は!? へ!? え、謁見!? ……って、いや、それよりも、何でいきなり、お、おおお王様ッ? そんな雲の上の人、関係ないんじゃ……!」
「いーやいやいや、お嬢ちゃん。そりゃあ間違いだ」
 バルバロッサ卿がズズイッとあたしを覗き込む。あたしはちょっとのけぞった。
「確かに国王陛下つったら、雲上人だ。そりゃあ頭が高ぇわな。んでもな、ツテがあれば会えないってわけじゃない。んでもって、陛下は人捜しにもってこいのお宝を持ってらっしゃる」
 ……ま、まままままさか!
「身寄りもなく、行く先もなく、お金も持って無く、体は弱り切っててさらに人さらいにあいそうな女の子。……大急ぎ探そうにも、まぁ手がかりが無さ過ぎるわな?」
「……ま、まさか、そんな理由で……」
 事の次第を理解して、あたしはスーッと意識が遠のくのを感じた。
 だって、相手は王様だ。なのに、その王様に、よりにもよってあたしなんかを探すために謁見を……?
「そんな理由と言いますがね。手がかりのない状態で人を探す場合、陛下の探索球サーチャーが最も速く確実なんです」
 そのまま倒れていきそうなあたしを、レメクが捕獲して引き戻す。
「で、でも王様まで巻き込んじゃうなんて……それに、ケニードが玄関に手紙置いてたはずよ? ね、ねぇ、ケニード」
「うん。ちゃんと書いておいたよ。時間なかったから、『ベルの様子が変。家で事情聞く。落ち着いたら送る』っていう殴り書きだったんだけどね……。いや、まぁ、確かに手紙だけだったから、後で怒られるなぁとは思ったけど」
 そう言って、ケニードはずらりと並んだ、所在しょざいなさ気な兵士一同を見渡した。
 彼にしても、まさかこんな大事になるとは思わなかったのだろう。「なに勝手に連れ出してるんですか!」ぐらいの叱責は当然あるとしても、まさか王様巻き込んで兵隊ひきつれて捜索されるとは……
「あー……なんだ、その手紙なんだがなー……」
 バルバロッサ卿が笑いを堪える顔で声をあげる。
 あれ? レメクがなんかすごい変な顔でそっぽ向いた。小さい子が悪さをして見つかった後みたいな、そんな表情だ。
「やっこさん、それにぜんっぜん気づかなかったらしくてなー。なー、レメク?」
「「……は?」」
 あたしとケニードの目が丸くなる。
 そのあたし達と、全力で視線を合わせないようにしているレメク。
 あたし達は再度一緒に声をあげた。
「「気づかなかった?」」
 イヒヒヒ、と熊が変な笑い声をあげる。笑み崩れた変な顔で、レメクを肘で小突きまくった。
「いやもう、ぜんっぜん気づいてないでやんの。うひひひ、ありゃあちょっとぶったまげたぜ。いやいや、俺等があの屋敷に行ったのはな、レメクが王宮に乗り込んだ後っつーか、ぶっちゃけ陛下に『おまえもう一回家をちゃんと調べろバカタレ』って追い返された後なんだがな」
「……王様に追い返されちゃったんだ……」
「……一応、陛下はちゃんと探索球サーチャーを使ってくださいましたよ」
 レメクが慌てて事情を補足する。
「ちなみに、探索球サーチャーというのは、真実の紋章から作られたものです。陛下はその大本である真実の紋章を宿しておいでですので……」
「あー、紋章なんていうめんどくせぇモンの説明なんざ後だ、後! で、まぁ、陛下がな、そう言ってこいつを家に帰して、だ。まぁ、一応観客……じゃねぇや、捜索隊としてこいつらと、途中で合流した俺様とレメクの集団で家に帰ったら、だ」
「……あなたは王宮で私を見つけるなり大喜びで見物にひっついてきたんでしょうが」
「うわ、ひでー。それが心配して着いてきてやった友達に言う言葉か? なぁ、嬢ちゃん、どう思うよ? ひでぇよな。ひでぇということで、まぁ、そのレメクの屋敷を見たら、だ」
 熊は周りの返事をまたずにガンガン話を進めていく。
 ……あたしはどういう態度をとればいいのだ、一体……
「なんと! そこには泥棒でも入ったのかと思うような、恐るべき惨状の屋敷が!」
 レメク、沈黙。
 ……あ。そっぽ向いた!
「あっちの部屋もこっちの部屋も埃まみれなのは、まぁ、いいけどよ。なんで本棚からタンスから全開で服も散乱して風呂場も開けっ放しなんだ?」
「ぇえ? おじ様の寝室とトイレとお風呂と台所だけは綺麗なはずよ? もう整理整頓しまくってて、あたしの行動範囲内だけ多少散らかってるぐらいで」
 その散らかりも、レメクに見つかり次第直されてしまうので、いつも部屋はピッシリスッキリなのだ。そんな強盗が入った跡みたいな状態、普通じゃあり得ない。
 あたしの答えに、バルバロッサ卿は口をニヤァと笑いの形にひんまげた。
 ……なんか、どっかの巨乳魔女と似たような笑みだ。
「そりゃあ、誰かさんが誰かさんを探すために、家中捜索した跡、てぇこったよな?」
「あ」
 あたしは口を開けたまま固まってしまった。
 そんな、まさか、レメクが?
 あたしはレメクを見た。ものすごく一生懸命こっちを見ないようにしているレメクを。
「玄関に、ちゃーんと手紙が置かれていたのに、それすら気づかないぐらい焦って探してたんだよなぁ?」
 バルバロッサ卿の声に、レメクが顔がちょっと歪んだ。嫌そうな顔がこちらを見る。
 いや、厳密にはバルバロッサ卿を。
「保護していた子供が突然いなくなったのです。おまけにいつ倒れるかもわからない状況だったのですから、探して当然でしょう」
「血相変えてな」
「…………」
 熊の指摘に、レメクが沈黙。
 あたしは驚きすぎて、声も出なかった。
(……レメクが)
 探してくれた。
 家中荒らすぐらい慌てて。手紙にも気づかないぐらい焦って。王様にまで助けを借りにいくぐらい、一生懸命に……
(……どうして)
 ぎゅっと強く唇を噛んだ。
(ねぇ、どうして? レメク)
 そうしないと、何か意味のない言葉が零れそうだった。
(レメクは、あたしが迷惑なんじゃないの……?)
 いなくなったほうがいい子供じゃないの?
 早く手放したい邪魔者じゃないの?
(少しは……心配……)
 してくれたのかと、思った瞬間に、ぼろっと何かが目からこぼれ落ちた。
 熱くて冷たくて、流れていく滴のようなもの。
 目頭がジワッと一気に熱を持って、目の前の全てが水の中に沈んだ。何度瞬きしても、いっこうに治らない。
「……ベル?」
 息を呑む気配と一緒に、レメクがあたしを覗き込んだのがわかった。ぼやけた視界の向こうで、黒い人があたしの頬を撫でる。
 いつも暖かくていい匂いがして優しいレメク。厳しいことを言うのは、あたしのためだってわかってる。
 だから、どんな時のどんな言葉も、本当の意味ではいつも優しい、大好きな人。
「あ、あたし、邪魔な子じゃ、な、ない、の、かな?」
「……何を……」
「だ、って、おじ、様」
 ひぐっ、と喉が変な音をたてた。必死で息継ぎをしているのに、おぼれてる最中のように息がしにくい。
「あたし、森、連れて」
 目が熱い。
「は、早くいなく、なっちゃ、えって、お、思」
 ……ダメ。
 声が出ない。
 体ごとひしゃげたみたいに。
 いつのまにか鼻も出てて、もうぐしゃぐしゃになってる。頭も熱くて、ちゃんと言いたいのに、上手く言えない。
 たぶん、あたしは今、ものすごい最悪な顔しているのだろう。レメクがいい匂いのするハンカチであたしの顔を押さえたのも、きっと見るに見かねてに違いない。
「落ち着きなさい、ベル。あなたは一体、何を言ってるんですか」
 ぐいぐいと顔を拭われて、あたしは「ぷはっ」と大きく息を吸った。
 けど声が出る前に、ぼろぼろと零れる涙で塞がれる。
「お、おい、嬢ちゃん……」
「ベル……」
 バルバロッサ卿とケニードが、驚いたようにあたしの近くにしゃがむ。
 ……言って……いいだろうか?
 いや、言ってはいけないだろう。
 けれど、ああ、けれど、ねぇ……
 ここで言わなければ、今度いつ、ちゃんと言うことができるだろうか?
 どうしたって受け入れられない言葉であっても、あたしはまだ、彼に何も伝えていない。
 ダメだと拒絶されるのがわかっていても、それでも、あたしだって言いたいことがあるのだ。
 それがどれほど身勝手で、我が儘なことだとわかっていても。
「あ、あたし、も、森、行きたく、な、い」
 ぎゅっとレメクの服を握って、あたしはそれだけを必死で言った。
「どこにも、い、行きたく、ない!」
 困られることはわかっている。
 嫌がられることも。
 もしかしたら、あきれ果てられるかもしれないことだって。
 だけど、だけどもうダメだ。我慢できない。我が儘でいい。良い子じゃなくていい。嫌なヤツだと嫌われても、せめて、せめて……
 せめて、この気持ちだけは伝えたい。
「おじ、様、の、そ、傍がいい……!」
 あたしがもっと大人だったらよかった。
 もっともっとちゃんとしたレディだったらよかった。
 だったら、ねぇ、少しは考えてくれた?
 お嫁にしてもいいって、思ってくれた?
 まだそこまでいかなくても、少しはちゃんと、まともに一人の女として、向き合ってくれたかな……?
「ベル……」
 レメクが呟くようにあたしの名を呼んだ。
 どこか、呆然とした声だった。
 ……呆れられたのかも知れない。なにを言っているんだ、と。これ以上世話をかけさせる気かと。そう思われたに違いない。
 けれど、レメクの手はあたしを突き放すことはなかった。
 その手があたしから離れることも。
「……あなたにとって、掟は、不幸では無いのですか?」
 暖かいあの手が、あたしの頬をぐいと撫でる。零れ続ける涙を拭うように。
「あなたにとって、辛いことでは……無いんですか?」
「辛い、なんて、無い!」 
 あたしは言った。自分の思いのままに。
「ぐ、偶然とか、ウンメイとか、そ、そんなんで、最初があったと、し、しても!」
 あの日に出会ったことや、助けてもらえたこと。
 掟に触れてしまったこと。
 それらが偶然であっても、または運命であっても、それはもうどうでもいい。
 大事なのはそれではない。
 大切なのは、それではなくて、
「あた、しが! あた、しがそれ、がいいって……!」
 他の誰でもなく、
「それがいいんだって、あたしが決め、たんだもの!」
 あたしが、それを望んだこと。
 レメクがいい。
 レメクじゃなくちゃ嫌だ。
 わかるだろうか? その気持ちが。
 レメクだからこそ、掟にこだわるあたしの気持ちが。
 ねぇ、それを、好き、って言うんじゃないの? レメク。
「ほ、他のとこ、い、行きたく、な、い」
 あとはもう、言葉にならなかった。
 ただ、我慢していた声が全部出た。
 言葉として意味をなさない声も。全部が全部。体の奥底から喉を通り、口からこぼれて、ずっとずっと出続けた。
「ベル……」
「い、行きたくなぃい! やああ!」
「ベル、落ち着きなさい。すぐに行くわけじゃありませんから」
「やああああ!」
「……ベル」
 ほとほと困り果てたようなレメクの声が、耳のすぐ近くで聞こえる。
 それがどうしてなのか、あたしには全くわからなかった。
 いつ抱きついたのか自体わからなかったし、いつ抱きかかえられたのかもわからなかった。
 ただいつのまにか抱っこされた状態で、延々わんわん泣き続けていた。
 暖かくて寂しくて居心地が良くて悲しくて。レメクの腕の中はそれがいっぱいつまっていて、涙がいっこうに止まらない。
「そこはなー、普通なー、あっつぃベーゼとかで無理やり黙らせるのがセオリーなんだけどなー」
「しっ! バルバロッサ卿! 今やったら犯罪でしょう、それ。だいたい、あの途方にくれまくった超貴重なクラウドール卿の表情が台無しになっちゃうじゃないですか!」
「まーそうなんだけどなぁ……あああもうあと十年ぐらい年くってたらめちゃめちゃエエカンジの雰囲気になるっつーのに」
「今でも充分エエカンジですよ。あの、乙女心がさっぱりわかってなくてどう答えていいかわからない状態のクラウドール卿なんて、もう永久保存版映像ですよ」
「……外野。うるさいですよ」
 小さく聞こえてくる声に、レメクが超絶どす黒い声で威嚇する。
 そうしておいてから、やんわりとあたしを抱きしめてくれた。
「ベル。とにかく、今は落ち着いてください。あなたの体は、本当に弱り切っているんです。今の精神状態は、体にかなりの負担を強いているはずです」
「……おーいそこの朴念仁。その前にちゃんと問題解決しとけー……」
 ちょっと遠めの声で、熊が黒い魔神に忠告する。
 ……睨まれでもしたのか、一秒とたたずに沈黙した。
「森に行くことについては、後でちゃんと話しあいましょう。森に行くこと自体をやめるわけにはいきませんが、その……私は別に、あなたをそのまま森に置いていくつもりではありませんから」
 ピタッと。
 あたしの時間が止まった。
 声も涙も呼吸も止まった。
「……ベル?」
 ヒュッと止まっていた呼吸が戻る。
 あたしは、大きく瞠った目でレメクを見た。
 いつのまにかすぐ近くにある、その人の顔を。
「捨てて……行かない……?」
 そのときのレメクの表情は、そう、最初に会ったあの日、ほっぺたに怒りの一撃を叩きつけたときと同じ顔だった。
「なぜ……捨てて行くなどと……」
「だって、あたし、おじ様の……邪魔にしか、なってないし。おじ様、森に行くために、問題を早く、一生懸命、解決しようとしてたし」
 だから、てっきりあたしを早く森に連れて行って、置いて帰りたいのだと……
「……違う、の?」
 唖然としたレメクの顔に、ようやく理解の色が宿る。
「あなたは……」
 どこか呆けたような声でレメクがそう呟いた途端、
 いきなり、レメクの真後ろの景色が歪んだ。
 そして、何か異様な形のモノが唐突に現れ、

「こんのバカタレがーッ!!」
 スパターンッ!

 怒声と、強烈なハリセンの音を響かせた。


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