6 保護する者とその理由


 突然家に押しかけてきた珍客の名前は、ケニード・アロックといった。
 年は二十七歳。王都でも著名なアロック宝飾店の店主であり、資産家で有名な男爵家の跡取り息子なのだそうだ。
 また、本人は王宮勤めの保護官であり、国指定保護機関において民族部門の長をしているらしい。
 ……いいのか、あんなのに『長』なんてさせておいて……
 あたしは胡乱な目で目の前の美味しそうなパンを見た。
 ざくざくと大きなナイフでそれを切ると、小麦パン特有のいい匂いがする。小麦パンなんて贅沢品だが、レメクの家ではこれが普通だった。
(やっぱりお金持ちは違うわ)
 ちなみにアロック卿は、あの後トボトボと屋敷を後にした。……あの後ろ姿は、ちょっと同情に値するかもしれない。
 が、断りもなく乙女の柔肌に抱きついたことは許されないコトなのだ。
「アロック卿は、ああ見えて非常に優秀な人です。こと民俗学においては、他の追随を許しませんよ。権威、と言ってもいいでしょう。あの奇特な思考さえなければ、部門ではなく機関そのものの長となれるのですが」
 ……やっぱりあの思考は、王宮においてもダメ出しくらってるんだ……
「……お偉いさんなんだ……アレで」
 あたしはいっそう目が胡乱になるのを感じた。
 小さな嵐のようだったアロック卿。家柄や財産など、いっぱいくっついてる付録はスゴイ。
 だが、それよりも素の本人のほうがイロイロ凄かった。
 目鼻立ちの整った貴族的な美形なのに、本人のマニア全開ぶりが全てを台無しにしてしまってる。
 ハッキリ言おう。変態だと。
「個人の並々ならぬ情熱と知識欲を集結させた結果、ですがね」
 ため息をつきながらレメクが言った。どうやら苦手であるらしい。
 あたしも苦手だけど。
「悪い人じゃ無いんだよね……?」
「まぁ、悪人ではありませんね」
 微妙な言い回しをされた。
「悪人と悪い人の違いってナニ?」
「さて。万人が認めるほどの悪人か、知人が知っている程度の『悪さ』であるか……違い的には、その程度でしょうか。彼にも悪い面があります。が、万人が悪人と認めるほどの悪行をする人ではありません」
「……何かされた?」
 なんとなく引っかかりを覚えて問うと、レメクは淡々と言った。
「ルドによると『嫌がらせ』らしいですね。児戯に等しいので、気にしてないのですが」
 嫌がらせ。
「ちなみに、どんなこと?」
「まぁ、小物類が無くなる程度の窃盗とか」
「犯罪じゃない!」
「いえ、それが、なぜか同じ内容の品が代わりに置かれてるんですよ。物々交換みたいなものですかね? むしろ私が持っていた品のほうが粗悪品なので、余計に意味が分からないんです。かなり痛みのきた古い品もあったんですが……あんなものを持って行って、新品を置いておく理由は何だと思います?」
 問われてあたしはちょっと遠い目になった。
 アロック卿。実はいい人?
「変な細工があったりして?」
「いえ。当代一の彫物師による逸品でした」
 ますます意味がわからない。
「不思議な人なのねぇ……」
「まぁ、理解はし難いですが、害は無いので放っておいてます」
 ……あの男も可哀想に。
「やられてる方が堪えてないと、意味ないのにね……嫌がらせって」
 なんだっけ? 東の国の言葉で……
「のれんに腕押し? かえるの面にしょんべん?」
「……あなた、一応女の子なんですから……」
 どうにも微妙な表情で窘めるレメクに、あたしは首を傾げた。
 何かまずかったんだろうか?
「てゆか、ルドって誰?」
 あたしの問いに、レメクはため息をつく。
 ちぎったレタスを綺麗に洗って布で拭いて……というか、この人、本当にテキパキ調理するな……
 ちなみに隣の鉄板ではいい匂いのする肉が焼けていた。
 美味しそう……!!
「ルドというのは、大聖堂に勤めている大神官です。ご存じではありませんか? ルドゥイン・バルバロッサ」
 あたしは小さな脳みその、かなり乏しい記録回路を辿った。
 自慢じゃないが、物覚えはすこぶる悪い。
「えーと……なんか酒場で話のネタに上がってたような……」
「……その年で何故酒場などにいたのか、少々気になるところですが」
「ん? 給仕とか、床の掃除とかなんだけどね。客の残飯とかくれたりするから、あたし達にはいい仕事だったの」
 レメクが沈黙した。
 ちょっとバツが悪そうな顔で目線を逸らす。
「豪腕の神官という、ちょっと変わった異名で有名な大神官です。本来なら大聖堂の奥で下級神官に命令したり、猊下の傍にいるべきなんですが……あの人は常に大聖堂の外にいましてね。そのせいか様々な所で出会います」
「……はぁ……街とか? まさか王宮じゃないよね」
「いえ、そのまさかです」
 おいおいおい……
「どうも王宮を面白い伏魔殿と思ってるみたいですね。街は単に気に入ってるだけでしょう」
 どこか苦笑含みに言うあたり、ルドという人への心証が知れた。
「おじ様は、えぇと、バルバロッサ卿とは親しいの?」
「そうですね……。親しい、と言うほどの間柄かどうかはわかりませんが……仕事の関連で顔をあわせる機会が多いですから、互いに面識もありますし……古い知己、と言うのが一番正しいでしょうか」
「お仕事?」
「えぇ。ルドは裁判官でもありますから」
 レメクの声に、あたしは目を丸くした。
 頭の中にある推測のパズル。空白のそこに、新しいピースがカチリとはまった。
「じゃあ、おじ様が不正を調べてたのって、バルバロッサ卿に裁いてもらうため?」
 レメクは苦笑めいたものを口元に浮かべる。
「できうる限り穏便に事を成すのであれば、それが一番いいでしょうね。ルドは裁判官である上に、大聖堂の大神官、その上バルバロッサ侯爵の第三子ですから」
 侯爵!?
「侯爵様って、すっごい上の人よね!?」
「えぇ。見た目で判断できませんがね」
 いや、それ以前にあたしはその人の顔知らないし。
「……貴族っぽくないんだ?」
「あえて言うのなら、そうですね……」
 言葉を探して、レメクがちょっと眉を寄せた。
「熊、でしょうか」
 ……人間ですらないのか……
「いやあの、おじ様。せめてムッサイとか毛深いとか大男とか、そういう表現を……」
「毛深かったですかね?」
 真顔で首を傾げられても困る。だから、あたしは知らないんだってば!
「や、だって熊って言うから」
「一応、人類ですよ。そうですね……実際に毛深いかどうかはともかく、そういう雰囲気ではあります」
 何気にヒドイこと言ってる。
「バルバロッサ侯爵家は、軍関係の高官を多く排出している家系です。それを考えると、ルドの外見はいかにも将軍家らしい立派なものなのですが……」
 最後の部分をぼやかすのが、妙にひっかかった。
 あたしは首を傾げる。
「なんでそんな立派な熊男さんが、教会の大神官になってるの……?」
 レメクは軽く苦笑する。
 あたしは首を傾げたまま問うた。
「教会の権力が欲しいとか?」
 第三子という、直接家を継ぎそうにない順位は、いかにも別の権力を得るにちょうどいい気がする。
 けれど、レメクは苦笑を深めて首を横に振った。
「バルバロッサ家には、そういう権力志向はありませんね。暑苦しい家訓はあるようですが、ある意味貴族らしからぬ貴族ですから」
「はぁ……」
 あたしはちょっと首をひねった。
 貴族らしからぬ貴族。
 まぁ、神官の異名なのに『豪腕』のだったりするんだから、その人の実家も普通とちょっと違うのかもしれない。
「かわりに、こと身体的なことに対しては厳しいらしいですね。……ルドが何故神官の位にいるのかは、ルド自身に聞くと良いでしょう」
「あたし、面識ないんだけど……」
「今度会わせます。あなたのいた孤児院の話しもしてきましたから。それについてルドからも質問があることでしょう。……これからしばらく、周囲が賑やかになりますよ」
 なんとなく、不穏な感じがした。
 あたしは変な所で勘がいい。今、ちょっと背筋が寒かった。
「……危険なこと?」
 恐る恐る尋ねたあたしに、トマトをスライスしていたレメクが頷く。
「ええ」
 あっさり頷きやがったよ……
 もうちょっと、こう……安心させるように、とか、そういうのは無いのだろうか?
「不正を暴くというのは、大なり小なり危険を伴いますから。……だからこそ、ルドの協力が必要なんですよ」
 そう言って小鍋を取り出す。水を入れて、鉄板の上へ。会話をしながらでもスムーズな流れ作業。
 たぶん、レメクはお仕事のデキル男なのだろう。このテキパキさ加減。実に羨ましい。
 ……というか、この鉄板。さっきから不思議なんだけど、どうして熱を持ってるんだろうか? 火なんて無いのに。
 あたしが鉄板をじっと見ていると、レメクが鉄板の右端を指で示した。
「炎の紋様です」
 紋様術が使われていた!
 思わず目が丸くなる。
「……こ……こういう使い方するものなの?」
「料理には役立ちますよ」
 あっさりと言うレメクに、あたしは開いた口が塞がらなくなった。
 紋様術の無駄遣いじゃなかろうか?
 発火現象を起こさないタイプの火の紋様術は、とてもとても高価だ。この鉄板の値段や如何に。
 それにしてもこの屋敷、思い返せばこういうのを惜しげもなくあちこちに常備している。レメクの紋様術に対する認識は『ちょっと便利な術』程度なのかもしれない。
 ……ん? もしかして?
「おじ様、もしかして紋様術師だったりする?」
 あたしの名推理に、レメクは首を横に振った。
「いいえ。紋様術師の知り合いはいますが、私は違いますよ」
 名推理ならず。
 あたしはちょっとしょんぼりして俯いた。
 いいもん。次の推理用にメモしておくもん。
「じゃあ、バルバロッサ卿?」
「ルドは確かに紋様術の札を使いますが、本人が紋様を書くことはほとんどありませんね。本人も紋様術師の位を得ていません」
 むむぅ……
 ということは、あたしの知らない第三者ということになる。あたしはちょっと遠い目になった。
「おじ様、意外と交友関係広いのね……」
「いえ。せまいです」
 ……いや、そう言いきられても困るんだけど。
「半隠棲生活をしていましたからね。もともとこの家に住んでいた人も、あまり人付き合いをする方では無かったですし。知人も限られています」
 さらりと言われて、あたしは「うーん」と唸った。
 と。
(……ん? もともとこの家に住んでいた人?)
 あたしは思わずレメクを見上げた。
「あの、今、この家に住んでいた人って……」
 ももももも、もしかして一緒に? 半隠棲生活?
「あぁ」
 あたしの問いに、初めて自分が口を滑らせていたことに気づいたのだろう。ちょっと驚いた顔になって、レメクがあたしを見た。苦笑がその口元に浮かぶ。
「この家は、元々別の人のものだったんですよ。彼の死後、私が受け継ぎましたが」
「え、あ、か、彼?」
 よ、よかった……女の人じゃないんだ。
 あたしは思わずほっとした。
 が、思ったことがバレバレだったらしい。レメクが呆れた顔になった。
「何を想像してたんですか」
「え、いやその、ほら、おじ様だって年頃なんだから」
 うわ! 変な顔された。
「……どういう年頃なのかは敢えて訊きませんが、あなたはもう少し健全な考え方をするように」
 たしなめられました。
 でもね、普通、そういう勘ぐりをするハズだと思うの。
 だってほら、レメクは三十二でしょ? 大人の女の人と一緒に住んだ時期があったって、おかしくはないはずで……
(……むぅ)
 いかん。どうにも気分が悪くなってきた。
 思わず視線が下に下がる。
 と、首のあたりをちょいと摘まれた。
「ひょわっ!?」
「相手の名前はステファン・ベラトリーテ・フォン・クラウドール。私が彼と会ったのは二十年以上前のことですが、当時ですでに七十を超えた御老人でした」
「え。ぅ、うん」
「一緒に暮らしたのは十年と少しですかね……。老いてなお矍鑠かくしゃくとした人で、よく庭を走り回ってましたよ」
 元気なおじいちゃんだ。
「病が元で亡くなりましたが、あの人に取り付ける病魔がいたのが今でも不思議でなりません。真冬に池に飛び込んで泳ぐような人でしたからね」
「さ、寒ッ!」
「えぇ、見てる方が寒かったです。おまけに人まで引きずり込もうとするし……」
 意外とお茶目なお爺さんだったらしい。
 レメクにとってはたまったもんじゃなかろうが。
「亡くなったのは、寒い冬の日でした。ちょうど、あなたを拾ったのと同じような日でしたよ。……あの日も雨が降ってました」
 その声がしんみりしていたのは、きっと気のせいでは無いだろう。
 あたしはレメクを見た。
 すると、レメクがあたしをジロッと見る。
 ……え!? ナニゴト?
「あの人を亡くして以降、この家で他の人間と暮らしたことはありませんよ」
 あら。
 あらららら。
 もしかしなくても、考えたこと全部バレてマシタ?
「えぇと、えと、あの……ご、ご愁傷様でした」
 しどろもどろになりながら、あたしは思い浮かんだ言葉をレメクに言った。
 レメクがちょっと目を瞠る。
 そうして、口元に淡い微苦笑を浮かべた。
「痛み入ります」
 笑った目元が暖かかった。
 レメクはきっと、そのお爺さんが大好きだったのだろう。
 なんとなく、あたしはレメクの脇腹に頬ずりをした。
 何故かレメクが手の甲であたしの頬を擦る。
 ……なんで手の甲で……?
(あ。料理中か)
 ハタとそのことに気づいて、あたしは納得した。
 そういえば、さっきも頭を撫でるんじゃなく、首を摘まれた。調理中は、髪を触っちゃいけないと言われたのだ。レメクもちゃんと実践しているらしい。
 ……それにしても、何故首だったのか。
 この男、やっぱりあたしを猫扱いしてないか……?
「まだ何か不穏な気配がしますね」
 むぅ、と唸ったあたしに、レメクが首を傾げる。妙に勘の良い男である。
「……なんでもないもん」
「そうですか」
 そして妙にアッサリとした男でもある。
 もうちっと、こう、重ねて問うとか……!!
 気にしてくれるとか……!! 無いのか! あんたには!!
 勝手なことを考えながら、あたしはお湯が沸いた鍋に細切れにした茸を放り込んだ。くつくつと鍋が笑う。その沸き立つ音を聞きながら、ふとあることに気づいて口を開いた。
「あれ? 一緒に住んでたお爺さんが、クラウドールさん……?」
 ステファン・(覚えられなかったので略)・クラウドール。
 一緒に住んでた人。最初に会ったのは二十年以上前。
 血の繋がった家族なら、たぶんそんな言い方はしないだろう。
 あたしの「?」顔に、レメクは頷く。
「私は養子ですよ」
 養子。
 では、レメクも……?
「孤児ではありませんが……似たようなものですね。ステファン老との間に血の繋がりはありません。実際に血の繋がっている人はけっこういるんですが、関わりが深い人は一人しかいませんね。両親ともほとんど会いませんでしたし、今はもう二人とも他界していますから、これ以降その回数が増えることもありません。……私は血族とは別の所で育ちましてね。正直、血の繋がった家族というものがどういうものなのか、わからないんですよ」
 とはいえ、別にそれをどうとも思ってもいなさそうな声だった。
 あたしもちゃんと家族の揃った家庭で育ってはいないから、その気持ちはよくわかる。
「家族の団欒だんらん、って、どんなものなのか、想像もつかないよね」
「全くです」
 深々と頷かれた。
 あたしはレメクを見上げ、ちょっと汚れを落としてから右手でキュッとレメクの服を握った。
「とりあえず、未来には団欒家族を予定してるわよ」
「…………」
 何故沈黙か。
 じーっと見上げるあたしに、どういうわけか視線を逸らすレメク。あ、ナニ。その一生懸命目を合わせないようにしてる態度!
「し、知らなくったって、これから学んでいけるんだからね! その団欒とかそういうの!」
「……いえ、そういう勉強はまだしなくて結構ですから」
「なにを言うの。大事なことよ? ほら、夫婦仲が円満な秘訣って、家族が仲良いことだって言うし」
「……それはもしや『子はかすがい』にちなんでますか?」
「かすがい、ってナニ?」
 首を傾げたあたしに、レメクは苦笑する。
「木材を使った建物があるのをご存じですか?」
「あ、うん。北の方の建物は皆そうだって、旅芸人の人が言ってた」
「そう。その材木と材木を繋ぎ止めるために、打ち込む大釘のことです。両端がちょっと曲がってましてね。その『木同士を繋ぎ止める』様を人にも当て嵌めて、人と人を繋ぎ止めるものとして表現に使うわけです」
「つまり、子はかすがい、って言うのは、子供がその釘のように両親の間を繋ぎ止めるってこと?」
「えぇ」
 ふむふむ。
「なるほどー」
「……あなたはまだ子供ですから、そんなに納得してこの言葉を覚えなくてもいいんです」
「……なんで妙に逃げ腰なの……?」
「いえ……」
 微妙な表情でレメクが鍋に白い粉を入れる。
 ミルクっぽいイイ匂い!
「な、なにその粉。なに? ミルクの粉?」
「ミルクというか、チーズです。クリームチーズの固まりを粉末にしてましてね」
「おおおお」
 思わずよだれが……
 そして手が。
「まだ調理中です。手を伸ばさない」
 ピシャッと手を叩かれた。
「むぅ!」
 ケチ!
 じろっと睨むと、同じような目で見下ろされる。
「味見なら後でさせてあげます。調理中のものをその都度食べていては、いつまでたっても食卓は空ですよ」
 それはわかる。わかるけど、これは拷問に近い。
 恨めしげに見上げると、また手の甲で頬を擦られた。我慢しろということらしい。
(……こ、こんなことで騙されないんだからね!)
 頬ずりしかえして、あたしは調理に戻る。
 視界の端で、レメクがちょっと微笑ってた。
「それにしても侯爵様のご子息が大神官かぁ……」
 コトコト呟きだした鍋をチラ見しつつ、洗っておいた皿を並べる。水をきったレタスをその上に乗せながら、レメクが会話を引き取った。
「珍しいことではありません。頭の痛いことではありますが、高位の神官のほとんどは有力貴族の血を引いていますから」
 うーむ。どこまでいっても貴族が幅をきかせているらしい。
「いや、まぁ、確かに街の教会とかならともかく、大聖堂とかになるとそうなんだろうなーとは思ってたけど……」
「大聖堂だから、というよりも、教会の内部的にそうなるんです。猊下は前国王の叔父ですし、大神官も十二名中八名が侯爵家や伯爵家ゆかりの方。市井から出て高位の神官となっているのは、全体の二割ぐらいでしょうか。しかも、そのほとんどが地方にまわされてますし」
「……うぅ……」
 やっぱり中央の高い地位につくのは貴族のようだ。
「貴族っていうか、クラヴィス族よね。そういう特権独占してるのって」
「……クラヴィス族が貴族の大半であることは否定しませんが、全部が全部そうだというわけではありませんよ」
 心持ち眉をひそめて、レメクがあたしを窘めた。
 あたしの切ったパンに、小さなツボの中の何かを塗る。そうしてから、焼けた肉とレタスを挟んだ。
 カリカリベーコンサンド。
 店で食べたらテネメス銅貨五枚はとられそう。
「スラムにもクラヴィス族がいますし、貴族にもパルム族やアザゼル族の方が多くいます。近年、民族間での貧富差が問題になっていますが、全体を通してみるとそれほどひどく差があるわけでもありません。そもそも……」
 言いかけて、レメクはあたしを見た。
 カリカリベーコンサンドに目が釘付けのあたしを。
 苦笑を浮かべて、レメクがひょいと皿を取り上げる。
「昼食を先にしましょうか。ミルクに入れるのは蜂蜜と砂糖、どちらがいいですか?」

 ※ ※ ※

 食事はまず、サラダ類から始まる。
 そのほうが体にいいからと、レメクは必ず野菜を先に食べる。それをシャクシャク咀嚼していると、次にスープ類が出てくる。
 レメクの食事は、屋敷や服の上等さに比べれば質素だが、素朴で手が込んでいるものが多かった。
「ゆっくり噛んで食べなさい」
 そのあまりの美味しさについ急いで食べていると、その都度レメクに窘められる。
 あたしの口についたパンくずを取ったりしている辺り、お父さんというよりもお母さんだ。
「だって、すごく美味しいんだもの」
 あたしの抗議に、それは言い訳になりません、とハンカチ片手にレメクが言う。
 ちなみにハンカチは、あたしの口を拭うためのものだ。バターとマヨネーズで黄色くなっている。
「美味しいと言うのなら、ゆっくりと味わって食べなさい」
 正論を言われて、ちょっとしょんぼり。もそもそ食べると、目の前に甘いホットミルクを出された。
 山羊の乳ーッ!!
 あたしはすかさずそれに飛びついた。それを見て、レメクがちょっと微笑う。
 健啖家なあたしと違い、レメクはあまり御飯を食べない。今も紅茶を片手にちょっとパンを摘んだ程度で、テーブルの上の料理はほとんどあたし用だった。
「おじ様は、あんまり食べないせいでそんなに痩せてるの?」
 山羊乳を飲み干し、満足の吐息をもらすあたし。ついでにそう問いかけると、レメクは軽く首を傾げた。
「そんなに痩せて見えるわけですか」
「いや……そうじゃないけど……」
 あたしはいろんなことを思い出す。抱きついた時の感触とか。
「筋肉ついてるし、意外とガッシリしてるから、痩せてるとは言えないわよね。さっき確かめたけど、腹筋も背筋も申し分なかったし」
 何故かレメクがあたしから距離をとる。
「あれかしら、ほら、脱いだらスゴイとかいう……って、なんで壁まで下がってるの!?」
 いつのまにかテーブルから離れ、反対側の壁にいるレメクに、あたしは思わず椅子の上に立ち上がった。
 レメク、逃げ腰。
「申し訳ありませんが。そういう危険思考の方と同席したいと思いませんので。いかがわしいことを言うようであれば、今度から別室での食事を希望します」
「ひどッ!!」
 な、なんであたしが、スケベ親父みたいな言われようをしなきゃいけないわけ!?
 あたしは自分の言動を振り返った。
 ほら! 特別やましい台詞は……
 ……あれ? 天こ盛り?
 いかん! レメクがますます遠ざかろうとしている!!
「ああああ変な意味は無いのよ! 宿のおねーちゃんにいろいろ聞かされてたから、どうしてもそういう目線がね! ほら、抜けないっていうか、女として当然というか……!」
「そんないかがわしい視線が女性として当然なんですか? あなたは、自分が八歳の子供だということを、もう少し大事にしなさい」
「いや、でも、子供であることを大事にしろって言われても……」
 子供だと良い職にも就けないし、文句言っても頭ごなしに追いはらわれて終わりだし、いろいろ不便なんだけど。
 レメクは嘆息をつく。椅子まで戻ってきて、やや距離をとりながらも座った。
 ……だから、その微妙な遠さはナニ!?
「子供である時間というのは、少ないんです。確かに、子供であるというだけで理不尽な目にあうこともあるでしょう。ですが、人は必ず、大人になります」
 ごく当たり前のことを大切なものであるかのように言って、レメクはあたしを真っ直ぐに見た。
「時は待ちません。必ず進みます。どれほどゆっくりであってくれと願っても、時にそれを止めたいと思っても、決して止まりません。何をしていても、眠っていてすら、時は進んでいくんです。そうであれば、あなたは必ず、子供から大人になります。否応なくです」
「う……うん」
 なにか反論してはいけない気がして、あたしは気圧されたように頷いた。
 レメクが言っているのは、本当に当たり前のことだ。誰だって知っていることだ。
 なのに何故、これほど大事に言うのだろう?
「子供である時間は、驚くほど少ない。あなたは今、その時間の中にいるんです。決して未来には無い、今だけの時間です。……大人になるのを急がなくていい。あなたは、子供である今の自分を大事にしてください。……今しか無いんですから」
 あたしはどう答えていいかわからなくて、それで代わりに問いかけた。
「おじ様は、その……昔、ずっと子供のままでいたかった、とか……?」
 レメクは首を横に振る。
 苦笑めいたものが、その口元に浮かんでいた。
「私には、子供である時間などありませんでしたよ」

   ※ ※ ※

 子供だった時間が無い、というのはどういう意味なのだろう?
 もくもくとパンを咀嚼しながら、あたしはチラッとレメクを見上げた。
 レメクは相変わらず紅茶を飲み、時折思い出したようにパンをちぎる。
 とても上品だ。礼儀にうるさいことを考えても、レメクはどちらかといえば貴族っぽい。
(……でも、そのわりには妙に庶民的な所があるのよね)
 普通、貴族は自分で食事を作らない。身支度も自分ではしない。
 けれど、レメクは「自分は養子だ」と言った。家族と暮らしたことは無いと。
 あたしは頭の中の推理メモを引っ張り出した。
 クラウドール家は、元々レメクの家では無い。養父は高齢のお爺さんで、初めて出会ったのは二十年以上前。どんな縁なのかはまだ不明。家族とは離れて育ったのだから、家の事情は複雑そう。
(……もしかして、レメクも本妻以外の人の子供だったのかな)
 あたしは視線を下に落とす。
 この国は、重婚タブーでは無い。だが、三十ある民族のうち、重婚可能なのはクラヴィス族、アザゼル族、ケルティ族の三つだけだった。
 一族の掟で、そうなっているのだ。
 国で一番数の多いパルム族の場合、愛人を認めることすら稀である。
 と、いうことは、だ。
 レメクの片親はパルム族なのかもしれない。んでもって、絶対に貴族か富豪だ。
 で、クラウドールのお爺さんは、その人の知り合いか何かで、愛人の子であるレメクを引き取って育ててくれた。
 もちろんこれは推測だ。けれど、なかなかしっくりくるような気がする。
 ただ、何かこう……決定打に足りないような……
(……うーん……まだ情報が足りないなぁ……)
 訊いてしまえば早いのだが、なんとなく、それはまだしてはいけない気がした。
 訊けば教えてくれるだろう。けれど、そんな風にズカズカと相手の中に踏み込めば、大切にしなければいけないものを失いそうな気がする。
 だって、自分の生まれた家のことだ。本当の両親のこと。……あの雰囲気からして、あまり良い記憶では無いだろう。
 本当に今すぐいろいろ訊きたい。訊きたくてウズウズしてたまらない。けれど!
 あたしはそれらの質問を、ぐっと我慢して飲み込んだ。
 あたしとレメクは会ってまだ数日しか経ってない。まだその程度でしかお互いを知り合っていない。
 こみいった質問は、もう少し信頼関係が結ばれてからのほうがいいだろう。
 空になったコップに注いでくれた山羊乳を飲み干して、あたしはいろんなウズウズを引っ込めた。
 視界の片隅で、レメクがちょっとだけ微笑う。
 ……なんだろう?
 あたしが視線を向けると、何も言わずにミルクを注いでくれた。
 よくわからない。けれど、あの笑みは優しくて素敵だった。
「……あたしの顔がどうかしたの?」
 ちょっとドキドキして尋ねてみる。
 レメクはいつもの淡々とした表情に戻って言った。
「あなたの美味しそうに食べる姿は、観賞に値しますね」
 お……おおおお! まさかの賛辞。好感触!?
「忙しなく食べる姿は、非常に見苦しいですが」
 ざくっ……!!
 い……今の一言はすごい刺さったわよ……
 思わず恨みを込めてレメクを見る。もしかするとちょっと涙目になってしまったかもしれない。
 レメクは「事実です」と言わんばかりの顔で紅茶を飲んだ。
 えぇい、ばかちんッ!!
 あたしはむすっと唇を尖らす。
 確かに、レメクの食事は上品だ。えぇ、それはもう流れ作業のように食べて終わる。味わってるのかそうでないのかもサッパリなぐらいだ。下品にスープを啜ることも無ければ、パンを大急ぎで口につっこんだりもしない。
 確かに上品ですとも!!
 ……その片手に書類さえ持ってなければ!
「ねぇ、おじ様。食事中に書類を見るのは行儀のいいことなの?」
 ちょっとした意趣返しにそう言ってやると、レメクは「悪いことですね」と答えた。
 しかし、そう言いながらも書類に目を通す。
「できれば食事時は食事に専念したいのですが、そうも言ってられない状況になりましたから。できるだけ早くこの件を片づけたいんです」
「この件、って?」
 あたしの声に、レメクは書類からあたしに視線を移す。
 ピンときた。
「あ、あたしのこと?」
「えぇ」
 ハッキリ頷かれた!
「い、いやだ、あたし、まだ森になんて」
「いえ、そちらではありません」
 あまりのことに慌てて立ち上がったあたしを、やや驚いた顔でレメクが制す。
 しかし、とっさに手を上げてしまっているのは、一体どういう意味だろうか?
 ……動物じゃないんだから、どうどう、は無いと思うんだけど……
「孤児院の関連のことです。……アロック卿にあなたの存在を知られてしまいましたからね」
 嘆息をついて、レメクは書類に視線を戻す。
「彼はメリディス族が関わるとしつこいですから。今日顔を会わせたのも、私がここ数日、メリディス族に関する書類を頻繁に閲覧していたからです。必要事項を確認したかっただけなのですが、なにせ一族関連の責任者は彼ですから、調べているのが即座にバレまして……。おかげで、書類を見ている間中、いろんな話をされましたよ。……まぁ、それらの知識も役には立つんですが」
 嘆息。
「今日、あなたを発見して、おそらく彼は私の行動の意味に気づいたことでしょう。何をしてくるかわかりませんので、とにかくあなたに関わる全てのことを最速で仕上げないといけません。まずは、あなたのいた孤児院の監査。内部調査もありますし、過去のことも徹底的に洗わないといけません」
 さらに嘆息。
「孤児院は教会も一枚噛んでますからね。ルドにも急ぐよう連絡をしなければ」
 あたしはなんともいえない気持ちでそれらを聞いていた。
 それは結局、あたしを森に連れて行く算段だ。
 孤児院の不正に関してあたしがいろいろ情報を持っているから、とにかくそれを早く処理する。
 そしたら……
 そうしたら……?
「…………」
 あとは、あたしを森に連れて……
「……ベル?」
 ふと、レメクがあたしを呼んだ。
 けれど、あたしは顔を上げれなかった。
 ただ、俯いたまま席を立つ。
「……ごちそうさま。部屋に戻ってるね」
 レメクは何かを言いかけたようだった。気配でわかる。
 けれど結局何も言わず、ただ、えぇ、と呟くように頷いた。
 どんな表情をしていたのかは、わからなかった。

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