【邂逅の章】 プロローグ


 雨が降っていた。
 あたしは見るともなしにそれを見る。
 明け方から降り始めた雨は、今も止むことなく降り続いていた。
 雨粒はさほど大きくない。
 風も無く、雨足も弱く、けれど静かに絶え間なく降り注ぐ。
 雨にあたった当初は、その冷たさに驚いた。それは痺れるような痛みを伴い、急速に体温を奪っていく。
 数分とたたず体が強ばるのを覚え、気がつけば動くこともできなくなっていた。
 危険を感じた時には、もはや冷えきった体はピクリとも動かなかった。皮膚が硬い鉄になったような錯覚を覚え、そして、最期には何も感じなくなった。
 そう、今はもう、何も感じない。
 あたしはただ雨を見ていた。
 寒い外の大通りを歩く人はおらず、ここにあたしが倒れていることを知る人もいない。
 運がなかった。
 これがよく晴れた日なら、少なくとも倒れたまま放置されることは無いのに。
 空腹で倒れるのは珍しい事じゃなかった。
 けれど、孤児院にも帰れず、こんな場所でのたれ死ぬことになるとは思わなかった。
(……もう、ダメかな……)
 もう体の感覚がない。
 景色が見えているから、目は開いてるんだろう。けど、わかるのはそれだけだった。
 耳もおかしくなったのか、雨音すら聞こえない。
 あたしは息を吸った。……吸ったつもりだった。でも吸えたかどうかはわからない。
 目の前は相変わらず汚れきった灰色で、どんよりと暗い色をしている。
 ふと、その色の中に黒いものが現れた。
 あたしはぼんやりとそれを見る。
 いつのまにそこに現れたのか、あたしにはわからなかった。
 足。靴。
 ……人だ。
 あたしは瞬きをした。
 水に濡れて重そうなズボンと、頑丈そうな靴。
 薄墨のような世界の中で、そこだけがハッキリと黒い。
 その人は、ただそこに立っていた。
 あたしの視界では足しか見えない。
 だから幻覚かと思った。
 最期に見る、都合の良い幻覚なのかも、と。
 けれど、その人は呟くようにこう言った。
「……死ぬのですか?」
 あたしは何かを返事した。
 口は動かず、声は出ず。故に彼があたしの思いを知る統べなど何もなかった。
 けれどその人は、ため息をこぼすようにこう言った。
「……そうですか」
 あたしはただ息をつく。
 目の前が、闇に閉ざされた。





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