8 龍の眼と神の耳

「レンさんに頼まれましてね。あなた方が変な所に行ってしまわないように案内してくれ、と」
 そう言って微笑むポテトさんは、相変わらず素晴らしいお顔だった。
 その凄まじい美貌を気配で感じ取りでもしたのか、ポテトさんに触れられてるアルトリートはピクリともしない。
 あれだけ血相変えて走り出そうとしていたのに、ヘビに睨まれたカエルもかくやという硬直っぷりだった。
「アル?」
 とりあえず名前を呼んでみる。
「アルルン?」
 意外にもスルー。
 手を伸ばして目の前でパタパタ振るが、これがまた見事なぐらい無反応だった。
 ……鼻に指でも突っ込んでやったら気づくかな?
「お嬢さん。なにか不穏なこと考えてませんか?」
 止められました。
「でも、お義父さま。アルが動かないのですよ」
「ん〜。龍眼もちだからですかねぇ」
 ……だからそもそも『リューガン』てナンダ。
 ジト目で見上げるあたしに、ポテトさんは半笑いで言った。
「名の通り『龍族の目』ですよ。まぁ一口に『龍族』といっても、古代龍とか真龍とか呼ばれるタイプに限定されますけど」
 はてな?
「いろいろあるんです。そーゆー種類が。で、そういった特殊な龍族は、『目』そのものに強大な力を持っています。魔術回路を読み取る目や、それを破壊する 目、命を奪う目や、呪詛をかける目、石化させる目、真実を見抜く目……これらは個体毎に違っていて、どの龍がどの力を持っているのかは、相対しなければわ かりません。これらの能力は基本的には龍族独自のもので、人が生まれながらに持つことは無いんです」
 あたしは思わずアルトリートを見上げた。
「じゃあ、アルはりゅーさんなの?」
 そーいや、人間にしてはガラ悪いよーな。
「いぃえ。ただの人間ですよ」
 ……シツレイシマシタ。
「人が龍眼を持つのは『龍の呪い』のせいです」
「呪い?」
 っていうと?
「死の間際の呪詛です。簡単に言えば、とんでもなく強い龍を殺しちゃったために、その龍から呪われて『目』が『殺した龍族の目』に変わっちゃったのが『龍 眼』です。子々孫々にわたる呪いなので、血族が全員死に絶えるまで血族内の誰かが龍眼になり続けるという、困ったタイプの呪詛なんですよね、これが」
 ……えーと……?
 首を傾げるあたしに、ポテトさんは三秒ほど天井を見上げてからニコッと笑った。
「え〜……つまり! 龍をザクッと刺し殺したら、なんと目が『龍の眼』になっちゃいました! という感じです」
「なるほど!」
「そしてその目は、持ち主が死ぬと血族と誰かに移っちゃうという、変な伝染病みたいなやつなのです!」
「なんと!」
「ついでに言うと、コレはナスティア王家にかかってる龍の呪いですね。力の波動が同じですし、特徴も同じようですから」
「え!?」
 ついでに言われた言葉に、あたしはビックリしてポテトさんに飛び移った。
「王家の!? 王家の呪いって……じゃあ、アウグスタも龍眼になっちゃうの!?」
「いや、だからなりませんってば。一族の誰かに龍眼があらわれてる場合、その人物が死なない限り他の誰かに龍眼が現れることは無いんですよ。つまり、今代の王族の中で『龍眼』持ちは彼だ、ということです」
 チラとアルトリートに流し目を送って、ポテトさんは薄く笑った。
「彼が死ねば、誰かがかわりに『龍眼』をもつことになります。彼だって最初から『龍眼』だったわけじゃないと思いますよ。彼が『龍眼』になったのは、おそらく十三年前のはずですから」
 十三年前?
「ベラですよ。この『目』の前の持ち主は。レンさんの養父です」


 ベラ、と。
 ポテトさんが呼んだその名前は、あたしの中では別の名前になっていた。
 ステファン、ベラなんとかかんとか、なんとかクラウドール……
 そう!
「ステファンおじーちゃん、リューガンの人だったの?」
 あたしの声に、ポテトさんはほんのり苦笑。
「そうなります。ちなみに、ステファン・ベラトリーテ・ベネディクトゥス・アルヴァトゥアルが本名ですよ。ステファン・ベラトリーテ・フォン・クラウドールの方ばかり名乗ってましたけどね」
 ……だから、長い名前は覚えられないんだってば……
「ベラの持っていた龍眼は、『この世のありとあらゆる真実を見抜く』目でした。うちのご主人様の『真実の紋章』に近いですね。その目に映った全てのものの真実を文字通り『見抜く』わけです。ただ、その瞳で『見る』だけで」
 あたしは改めてアルトリートの瞳を見上げた。
 白くなってしまったアルトリートの顔にある、綺麗な紫色の瞳を。
「じゃあ、アルはふつーに見るだけで、周りの人が隠してるものとか全部見えちゃうの?」
 例えばヅラとか偽乳とか底上げ靴とか。
「……えー……確かに身体的特徴も見抜きますね」
 最悪な目だ!
「ウィッグや矯正下着は、見た瞬間に『ブレ』を感じ取るのだとベラは言っていましたよ。なんというか、その人物が二重に見えるらしいです。で、よりハッキ リ見えるほうが真実なのだそうで。それに、染め粉を使った髪の染色とかも全部意味がありませんからねぇ。綺麗な黒髪の人に、やぁ見事な金髪ですね、とか普 通に話しかけちゃったりしてましたよ」
 ……もしかして、持ってる本人も大変なんじゃなかろーか。
 人が隠してるものまで普通に見えちゃってたら、もちろん隠してるなんてこと分からないだろうし、そうすると、素で秘密をばらしちゃうことだってあるのかもしれない。
「人と違う力というのは、そういうものですよ。何かの時には役に立つかもしれませんが、それ以外の普通の時にはかえって邪魔になるもんなんです。……ただ ね、そういう目ですから、この私の『全て』も見抜いてしまったんじゃないでしょうかね? 彼は。普通の人なら気づかない、もしくは、気づきそうになって も、気づかないまま目を背けていられることを……否応なく『一目で』看過しちゃったんじゃないでしょうかね? ね? 『アルトリート』という名前の人?」
 薄い亀裂のような笑みを浮かべて、ポテトさんはソッとアルトリートから手を離した。
 途端───
「にょおっ!?」
 いきなり視界がブレた。
 奪うようにあたしを抱きかかえたアルトリートが、ほとんど一瞬でポテトさんとの距離を空けたのだ。
 飛び退るようにして反対側の壁に背を張り付かせたアルトリートは、ひどく切羽詰まった顔で浅い呼吸を繰り返している。全身から痛いほどの緊張が伝わってきて、あたしも思わず息をつめてしまった。
「……アル……?」
 そっと問うが、答えはない。
 ただ、信じられないものを見る眼差しで、彼はポテトさんを睨み続けていた。
「なんで……こんな、所に……!」
 ほとんど掠れるような声は、深い絶望と焦燥に満ちていた。
 あたしは首を傾げる。
 視線を転じてポテトさんを見れば、彼の方はニコニコだ。
「やー。久しぶりですねーこういう反応。最近、ご主人様とかレンさんとかお嬢さんとか、全然平気で接してくる人ばっかりだったから、ちょっと自分が『何』だったのか忘れかけていましたよ」
 その言葉にあたし更に首を傾げた。
 はて?
 彼はいったい『何』だとゆーのだろーか?
「お義父さま。ただの変態な顔面凶器さんじゃなかったの?」
「……………………………おじょーさん……今、かなりヒドイこと言いましたよ」
 何故かポテトさんが床に蹲ってしまったが、その理由は不明である。
「ちみ……っちょ、おまえ、あれが、なにか、わかんねぇのか!?」
 あたしとポテトさんのやり取りに、アルトリートが愕然とした声で叫ぶ。
 なにか、って言われても……
「あのね、ポテトさんはおじ様の名付け親で、育て親の一人で、アウグスタが大好きな変態さんで、顔がちょっと可哀想なぐらいアレなヒトなの!」
「……そんな説明なんですか、私……」
「おじ様もね、お義父さまには頭が上がらないの! きっとすごーく好きなんだと思うのよ! てゆか、アル。ヒトをアレよばわりはイカンのよ?」
「ば……! そんな次元の問題かよ! あきらかに……あきらかに違うだ!? なんで人間の形してんだよ!? ありえねェ!」
「ほんとーにねぇ」
「ぎょゃあ!」
 いつのまに距離を詰めてきたのか(たぶん瞬時)、至近距離でポテトさんにウンウン頷かれて、アルトリートが悲鳴をあげてのけぞった。
「死、死、死の塊が……!」
 死の塊?
「うわー、そーゆー風に見えるんですかー。ということは、あなたにとって『恐怖』とは『死』そのものなんですねぇ」
「ちっ近よ……っ!」
「あぁ、面白いですねぇ、あなた。同じ紫の目、同じ龍眼なのにだいぶ反応が違ってて。まぁ、『彼』とあなたを比べるのは、少々あなたが可哀想ですけど。いや、久しぶりに見ますよ。全てを理解しつつ、恐怖を恐怖と受け止めてなおかつ私を見返せる人間って」
 伸びてきた白い手に両頬を挟まれ、恐慌状態に陥っているアルトリート。
 二人の間に挟まっているあたしはというと、そんな二人のやり取りを至近距離でのんびりと眺めていた。
「この『龍眼』を持っていながら、振り回されずにいる人間というのも珍しいですけど……あぁ、違いますね、あなたの場合、諦めてしまっているわけですか。特別なものに意義を見いだすことも、期待することも……」
 ポテトさんの声に、あたしは首を傾げる。
 どっちかっていうと、アルトリートは諦めが悪そーな感じなんだがな?
「そういうところは『あの子』と似てますねぇ……だから私好みなわけですか」
「……ッ ……ッ ……ッ」
 もはやアルトリートは声もないよう。
 なんというか、ぶっちゃけポテトさんがアルを襲ってるよーにしか見えなかったりするのだが、まぁレメクがターゲットじゃないからいいだろう。
 問題ナイ。
「大ありだろ!?」
「……あなたもなかなか人でなしですね、お嬢さん。私が言うのもなんですが」
「あれ? なんで反応がかえってくるの?」
 しかも二人して。
「口から出てんだよおまえのは!」
「素直なのも考えものですねぇ」
 ありゃー。
「ま。おかげで目的も思い出しましたし、お遊びはこれぐらいにしておきましょうか」
「……そこはかとなく本気だった気がするけど? お義父さま」
「私は遊びに本気なんです」
 ポテトさんは超真顔。
 ……なんとか大法官とかいう、仕事はどーした。
「とりあえず、お二人をちゃんと部屋に案内いたしましょう。……ちなみに、さっきのまま進んでいたら、あなた方がたどり着いていたのは部屋じゃなくて厨房でしたよ」
「厨房!?」
「ソコ反応しない。目を輝かさない。こっち見ないでください! 私にだって果たさなきゃいけない約束ってのがあるんです!」
 えー。
「ちゃんと案内するようにご主人様に言われてるんです!!」
 何故そこまで必死に言われるのだぐるっきゅー……
「部屋の方に軽食も用意してあげてますから、そっちに行きましょうね、そっちに。で、龍眼くん。あなたも一緒に行くんですよね? もちろん」
「ひィっ!?」
 ガシッと肩を組まれて、アルトリートが飛び上がった。
 それを無視してガッツリと肩を組み、ポテトさんはニッコリと微笑みかける。
「さっきの説明で分かったかどうかは不明ですけど、あなたの目は世界の真実を見抜きます」
「そ……それ、が、何!?」
「いいですか? 『あなたの目は』です」
「…………ッ」
 アルトリートの目が大きく見開かれた。
 恐怖も一瞬吹っ飛んだのか、そのままポテトさんを食い入るように見ている。
「……つまり、そういうことです。私としてはね、あなたのようにこれから面倒を起こしそうな相手は、さっさと消してしまいたいんです。けれど……それをすると、あの子達はきっとすごく怒るでしょうからね……」
 なんとも言えない微苦笑を零しから、ポテトさんはアルトリートに告げる。
「あなたが大人しくしていてくださるのなら、私も手出しはしないと誓いましょう。私は、私の知るあなた方の事情を口にすることはいたしません。けれど、あなたが知り得た全てを誰かに話すのなら、私も全てを公にいたしましょう」
「なん……だと?」
「侯爵夫人の企みを『私が』知らないと思いますか?」
「…………」
「底の浅い、計画性の無い『企み』です。見通しも甘く、想像力も乏しく、自己の満足だけで行われた、雑で拙い、正直言ってただの思いつきで行われたような内容です。けれど、それでもすでに、行われてしまった」
「…………」
「時は戻りません。ましてこの時期、他国からの使者も大勢いる中で情報は巡りました。取り返しのつかない、というのはまさに今の状況でしょう。……今更あなたが何を言ったところで、遅すぎるのですよ」
 愕然としているアルトリートに、ポテトさんは笑った。
「すでに動き出してしまったものを止めることはできません。あとはただ、行き着く場所へと向かうのみ。──大人しくしていなさい。あなたも、こんな所で消滅させられたくは無いでしょう?」
 ゾッとするような気配と同時、アルトリートの体が強ばった。おそらく無意識なのだろう、何かに耐えるようにぎゅっと腕に力を入れ──
「ぐぇえ」
 あたしを締め上げやがった。
「あっ! ちみっちょ!」
「ありゃ、お嬢さん」
 綺麗に全身を絞められたあたしに、二人そろって声をあげる。
 てゆか、あたしの存在、忘れてたな!?
「くるちかったわょ!?」
「わ、悪ぃ……」
「お義父さまも! アルはおじ様が可愛がってるんだから、いじめちゃ駄目なの!」
「え〜……いじめてるつもりは少々しか無かったんですけど……」
「少々でもあったらイカンのです! アルをいじめるなら、あたしが戦うのですよ!? おじ様から『アルを守ってくれ』って言われてるんだから!」
「……そのわりに、おまえ、さっき傍観してなかったか……?」
「細かいことは気にしない!」
 胸を張ってみせたあたしに、何故かアルトリートは微妙な顔。
 ポテトさんはというと、苦笑してアルトリートから身を離した。
「はいはい。では、今回はお嬢さんに免じてこれぐらいにしておきましょうかね。けれど、龍眼くん。忘れないように。あなたが動けば、私も動きます。……すでに運命は動き始めているんですから、あとはただ、成り行きに従うのが賢明ですよ」
 薄い笑みを口元に浮かべて、ポテトさんが踵を返す。
 そのまま悠然と歩き、ややあってから突っ立っているアルトリートを振り返った。
「なにをしているんです? ついて来ないと部屋に帰れませんよ?」
 アルトリートの顔が盛大に引きつったのは、言うまでもない。

 ※ ※ ※

「さ。着きましたよ〜」
 そう言ってポテトさんが扉の一つを開けてくれたのは、えらく長い道のりを歩いて歩いて歩きまくった後だった。
「青の間って、すーっごく遠い場所にあったんだー……」
 完全に息があがっているアルトリートに抱っこされたまま、あたしは感心してそう言った。
 延々歩きづめのアルトリートはというと、喉が渇いているのかさっきからずっとヒューヒュー言ってる。
 その顔がほどよく白いのは、道中さんざんポテトさんにからまれたせいだろう。
 怖がりながらもイロイロとツッコミをいれてしまうアルトリートは、どうやらポテトさんの大好物であったようだ。可哀想に。
(てゆか、アルにはきっと『がくしゅーのーりょく』とかゆーのが無いのね。うん)
 ちなみに、歩いてる間中「あそこは何々の部屋」「あちらはなんたらの庭」などと朗らかに説明してくれていたポテトさんのほうは、いつも通りの涼しげな顔である。
 ……やっぱ体力も人外なんだな……このヒト。
「おや? この部屋、そんなに遠かったですかね?」
 しれっとした顔で言う彼に、あたしは大きく頷いてみせた。
「遠かったですヨ? でも、フェリ姫の時も玄関まですごく長く歩いたもんね。王宮って、やっぱすンごく大きいんだわ」
「おや」
 あたしの声に、ポテトさんは素晴らしく優しい笑み。
「場所的には、さっきあなた方がいた所から数百歩程度なんですけどね?」
 …… ……ほぇ?
「でも、なんかすっごく長く歩いてたような……!?」
「ええ。それはもう、じっくりと延々歩かせていただきましたよ?」
「???」
 なぜか指をくるりと逆時計回りに回すポテトさんに、あたしはキョトンと首を傾げた。
 近いのにイッパイ歩いたって、なんでだ?
「……テメェ」
 そんなあたしを抱えたまま、ヒューヒューいってるアルトリートが凄まじい目でポテトさんを睨む。
「……わざと、逆方向から、ぐるっと、歩いたな!?」
 声と目は怒り満載。けれど腰はちょっぴり逃げかけ。
 ……そーゆートコがポテトさんに絡まれる原因だと思うのだな、あたしは。
 れーせーに考える頭脳派のあたしの前で、ポテトさんは超笑顔。
「あははは〜。よくお分かりで〜」
 …………。
 ……って、なんですと!?
「単に私があなた方を引き連れて『王宮中を』練り歩いただけなんですよね〜。でも二人とも、今の今まで全然気づいてなかったんですねぇ。地理が無いって、ほら、こんなに怖いことだったりするんですよ? あっはっはっは」
「あっはっはっはじゃないわよ!?」
 ぺしぺし。
「なんでそんなことしちゃうの!?」
 ぺしぺし。
「アルなんてほら、歩かされまくってるからカンカンに……」
 ほら! とポテトさんを叩いていた手でアルトリートを示すと、そこには青ざめながらも素晴らしい仏頂面……になってないアルトリートが一人。
 ……あり?
「……怒ってない……の?」
「…………」
 アルトリートは無言。
 怖いぐらい真剣な目でポテトさんを睨んでいたかと思うと、一言一言、確認するようにして言った。
「……あんた……敵じゃねぇのか……?」
「さぁ、どうでしょう?」
 はぐらかすような笑みを浮かべて、ポテトさんは肩をすくめる。
「あなた同様、それを決めるのは私ではありませんからね」
「…………」
「王宮には、人の出入りを制限している場所が数多くあるのです。あなたのように何も知らない者は、できるだけ彷徨(うろつ)かずにいるのが賢明でしょう。……けれど、それができない状況というのも多々ありますからね」
 謎な発言をしてから、ポテトさんは部屋の中を掌で指し示した。
「さ、中へどうぞ。『先生』の方は先に到着して待ってくれているようですから、早く行ったほうがいいですよ」
 アルトリートは逃げ腰のまま胡散臭そうな目でポテトさんを睨み、あたしと顔を見合わせてから扉をくぐった。
 ……というか、先生って……
「まぁっ!」
 あ!
「ちょっと、あなた! なぜこんなところまで来ているのです!?」
 フェリ姫だ!
「お義姉さま!」
「げっ!? なんでおまえが!?」
 しまった。あたしの『先生』であるフェリ姫と、アルトリートは仲が悪いんだった!
 廊下からすぐの小部屋で、なぜか細い棒みたいなのを持って立っていたフェリ姫は、あたしを抱えたアルトリートに目をクワッと怒らせている。
 なんかドレスが午前中のと違ってる気がするのだが、それよりもその手にあるしなやかーな細い棒が気になる。
「『おまえ』呼ばわりとは何です!?」
 ひゅんっ! とそのしなやかーな細い棒をしならせて、フェリ姫は目をギンギンにつり上げた。
「だいたい、あなた! 陛下から了承を得てもいないのに、よくも王宮内を自由気ままにうろついてくれましたわね!」
「あ、あのっお義姉さまっ! アルはですね、おじ様がですね」
「ベル! あなたも、そんなろくでなしに抱っこされてないでこっち来なさい!」
 ひぃ!
 迫力に負けて、あたしはアルトリートにしっかとしがみつく。
 そのあたしを抱えて、アルトリートもじりじりと後ろに下がった。
「お待ちなさい! あなたが退出するのはけっこうですけど、ベルを持って行くのは許しませんわ! 第一、あなたがどうしてベルを抱っこしているんですの!? クラウドール卿はいったいどこに……」
「まぁまぁ、そうまくしたてずに」
「はうっ!」
 あ。気絶した。
 倒れたフェリ姫に「ありゃー」と間の抜けた声をあげるのは、事の元凶ポテトさん。
 しかしそんな姿すらもウツクシイものだから、フェリ姫の元に駆けつけていたメイドさん部隊も───
「ほぅっ!」「はぁっ!」「ああっ……!」
 ものの見事に二次災害。
 ばったばったと倒れ伏す美女達に、あたし達はただボーゼンと突っ立っていた。
 いやまぁ、あたしは抱っこされた状態なわけだけど。
 ……てゆか、どーすりゃいいんだろーか、コレ……
「……お義父さま。どー始末つけるのですかコレ」
「え。私のせいなんですか、コレ」
「どー考えてもお義父さまのせいです」
「……いい顔で気絶してんな、こいつら……」
 アルトリートは唖然とした顔のまま、床に転がる美女の山を眺める。
 ややあってポテトさんを振り返り、逃げ腰ながらもマジマジとその顔を見つめた。
「あぁ、そっか。あんた、顔が凄まじくイイもんな」
 ……今まで気づかなかったのだろーか。ソコに。
「よく言われますけど、そんなにイイモノですかね、コレ」
 ……本人は自覚ないのか、顔。
「そりゃ、そこまで整いすぎてたら『いい』とか『悪い』とか通り越して怖ぇけどよ。ほら、よく言うじゃねぇか。怖いもん見たさとか、怖すぎて目が離せねぇとか」
「……一個も褒められてません」
「アル、それはきっと意味が違うわ! ほら、よく言うじゃない。ウツクシサは罪とか、甘くてキレーな花には猛毒があるとか、顔面凶器とか、天然災害とか!」
「……もっと褒められてません……」
 ポテトさんの心がほんのり暗くなった。
「ま、まぁ、とりあえず、部屋にはたどり着けたんだよな。えっとほら……悪ぃな、つーか、助かったっつーか」
 じりじりとポテトさんから距離をとりつつ言うアルトリート。
 どうやらアリガトウの一言がなかなか言えない質らしい。
 ならばここでお手本を見せるのだ!
「お義父さま! ありがとう!」
「いえ。ご主人様から頼まれただけですから」
 言って、ポテトさんはにっこり笑顔であたしをギューと抱きしめてくれる。
 アルトリートごと。
「☆○××★△□■〜ッッッ!!」
 アルトリートが人外言語で叫んでるが、まぁ無視だ。
「それでは、私はご主人様の所に帰っていますから。お二人とも、しっかりと勉強するんですよ」
「あい! もう時間無いような気もするけど、がんばるのです!」
「その意気です! 楽しい他人の貶め方や、言われたでまかせを無理やり実現させる話術なんかでしたら私も教えてあげられますから、いつでも言ってくださいね」
「今度教わりに行くのです!」
「ふふふふふ。楽しみにしていますよ〜」
「てゆか行くなら早く行けよッ!!」
 延々とギューされてるアルトリートが絶叫。
 その魂を振り絞るような声に、ポテトさんが大変嬉しそうな顔をしたのは言うまでもない。
 真実を見抜くとかゆー彼の目に、ポテトさんがどんな風に映っているのか。
 ぜひとも同じモノを見てみたいものである。

 ※ ※ ※

 王宮、青の間、応接室。
 倒れ伏していたフェリ姫をそこに運んで、待つこと約三十分。
 復活したフェリ姫は、あたし達の事情を聞くや深い嘆息をついてこう言った。
「……そうですの。侯爵の指示であなたもお勉強を……」
 なんと言うか、ものすごーくドス黒い声だった。
「……侯爵がそう仰るのなら、致し方ありませんわ。例えシーゼルをいじめてくれた御方といえど、教育を施してさしあげることに異論はありません。ええ。ありませんとも」
 真っ黒な声で言うフェリ姫は、今まで寝ていたソファの上。
 その前であたしとアルトリートは、身の置き所のない感じにチョコンと正座していた。
 ちなみに、アルトリートはさっきから尻が逃げかけている。
「てゆか、アル、シーゼルをいじめたのですか」
「俺!? 俺は……ッ、いや、えー……したかもしれねェな」
 一瞬ギョッとしてから、なぜかしどろもどろに言うアルトリート。
 あたしの目がクワッとつり上がった。
「いじめはイカンのよ!」
「わぁってる!」
「わかってたらやっちゃイカンのよ! やった方はなんとも思ってなくても、やられた方がずーっと心に傷を負うの! そんなつもり無かったなんて、逃げは許されないんだからね!」
「だから、わぁーってる!」
「だったらなんでシーゼルを、ってゆかシーゼルに何したの?」
「いや、だから……ッ」
「……ベル。そこまでになさいませ」
 言いよどむアルトリートに、何故か一番怒るはずのフェリ姫が静かな声をあげた。
 ソファを振り仰ぐと、ひどく青ざめた顔のフェリ姫が、呆然とした表情で口を戦慄かせている。
「意味が……ありませんわ……」
 ???
 意味が無い?
「……本当に、意味がありませんわ……なんて……ことなの……」
 あきらかに尋常ではないフェリ姫の様子に、あたしとアルトリートは顔を見合わせる。
「マルグレーテ様は、いったい何を考えていらっしゃるの……どうしてこんな……いいえ、むしろどういう風にして……あぁ、違うわ……駄目だわ、考えがまとまらない……!」
「お……お義姉さま……?」
「おい……?」
 弱々しく頭を抱えてしまったフェリ姫に、あたし達が腰を上げる。
 だが、フェリ姫は片手でそれを制した。
「侯爵は……ベル、クラウドール卿は、守ってくれ、と言ったのですね? 彼を」
 ……ほぇ?
「う……ん。王宮ではあたしの方が先輩だから、って」
「では、侯爵は……」
 呟いて、フェリ姫はゆるく頭を横に振った。
「……そのうえで……」
「「???」」
 首を傾げるあたし達の前、意味不明な呟きを零してからフェリ姫は深呼吸をする。
「……わかりましたわ」
「「???」」
 あたしとアルトリートはまたしても顔を見合わせてしまった。
 てゆかフェリ姫、いったいさっきから何事なのだ?
「ベル。今日のお勉強は無しですわ。それから、あなたも、今日はちょっと諦めてくださいませ。それよりも片づけなくてはならないことができました」
「? お義姉さま。どういう意味なのです?」
「マルグレーテ様の動向を探りに行ってきます」
 ……へ?
「お、おい!」
「言っておきますが、あなた、邪魔をするのなら容赦いたしませんわよ。侯爵が保護なさるおつもりであっても、陛下の災いになる者ならワタクシは排除いたしますわ」
「お義姉さま!」
 あたしのあげた非難の声に、フェリ姫は厳しい顔のまま告げる。
「どのような事情があれ、陛下の災いになる者は全て敵。それがワタクシの考えですの。例え王家の血をひいていらっしゃる方であろうとも、例外はありません。……もちろん、マルグレーテ様も」
 その瞳に冷ややかなものを宿したフェリ姫に、あたしもアルトリートも息を呑んだ。
 フェリ姫はあたし達を順に見つめてから、戸口の方へと視線を向ける。
「もちろん、あなた様の保護があろうとも、です。クラウドール卿」
「!」
 その声に、あたしは思わず体ごと振り返った。
「おじ様!」
 応接室の扉前に立つレメクは、静かな表情でフェリ姫を見、次いであたしを見て少しだけ微笑んだ。
「おじ様ーッ!」
 あたしは大喜びでレメクに飛びつきに行く。
 庭にいた時は一人遊びするほど不思議なココロ状態だったが、今は完璧にいつも通りのようだ。
「ベル」
 床に膝をついて、レメクはいつものようにあたしを迎えてくれる。
 大喜びで飛びついたあたしに、彼は真剣な顔でこう言った。

「私の名前は、ちゃんと覚えていますか?」

 …… …… ……
 ……アレ?
 いつも通りとチガウ?
「……オイ。まだ、アレを引きずってんじゃねぇのか……?」
 アルトリートがあたしに向かって、ぼそっと非難含みの声。
「? アレとは、何ですの?」
「いや、あのちみっちょがな、おまえの真似して『どなたさま?』とか面と向かって言いやがったんだよ……あの人に」
「まぁ!? ベル! なんてことなさいましたの!?」
 うわ!
 フェリ姫からもすごい非難の声が!
「だ、だって素敵だったんだもん! フェリ姫の仕草が……!」
「あら。まぁ、そんな……って、使いどころを間違ったら台無しというか、危険ですわよ!?」
「つーか、一番危険な所を盛大に踏んづけた気がするんだけどよ、俺は」
 ああ! 非難イッパイな視線を頭の後ろに感じます!
 そんな状態で目の前にいる真顔のレメクと向かわねばならぬとは!
「お、おじ様」
「はい」
「あの、覚えてるですよ? あたしは。ええ! もう完璧ってなもんです!」
「では言ってくださいますか」
「もちろん!」
「フルネームで」
「ふるねぇむ!?」
 嗚呼! 神様ッ!!
 あたしは全力で神様に祈った。
 今まで不信心でいてゴメンナサイ!
 助けて神様! もうコレ一回こっきりでいいからッ!!
 あたしとレメクはただひたすらに熱く熱く見つめ合う。

 もちろん、神様が助けてくれるはずはなかったのである。


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