5 優しさは翼を与え |
(亡き者に……って、殺そうとしたってこと!?) あたしの驚愕の 「そうです。……恐ろしいことに、陛下……いえ、当時は王女殿下であられたアリステラ女王陛下を殺害なさろうとしたそうなのです」 (!!!) あたしは息を呑んだ。 (アウグスタを!?) 正直、最初に『陛下を亡き者以下略』と聞いた時、アウグスタの前の王様のことを言っているのだと思っていたのだ。だが、違っていた。よりにもよって、あのアウグスタをそんな目にあわせようとしたと言うのだ! (そんな……どうして!?) 「それは……ワタクシにも詳しいことはわかりませんの。ワタクシ達が生まれるよりも前のことなんですもの。事が事だけに誰彼構わず尋ねるわけにもまいりませんでしょう? それに、これは王宮内での公然の秘密なんですもの」 (……公然の秘密?) 首を傾げたあたしに、フェリ姫は嘆息をつくようにして頷いた。 「そうなのです。……ベル。本来、王族の方が誰かに殺められかけたのなら、その相手は裁判の上、公開処刑になるのが普通です。一族の方も連座、関係者も同じく……それぐらい恐ろしい大罪なのですわ」 あたしはコックリと頷いた。王様達に手を出せば死罪、というのは、あたし達だって知っている。 「けれど、第二王妃様は処刑はおろか裁判もされておりません。だから……この国の大多数は、そんな事件があったことも知らないのですわ。ワタクシも、陛下の養女として王宮に招かれるまで、そんな話は聞いたこともありませんでしたもの。そして……公然の秘密ということは、王宮の、一定以上の立場にいる方々にとっては、ごく普通に皆が知っているということです。けれど、誰もそれを口にすることができない……それぐらい憚りのある事、だということです」 (…………) 頭の中が混乱しているあたしに、フェリ姫はちょっと笑う。 「誰も喋ってくれませんし、まさか陛下ご本人にそれを尋ねるわけにもまいりませんから、事件そのものの詳細はワタクシも存じませんのよ? それでも……今の状況はなんとなく分かります。……フェン、紙とペンを」 呼ばれた綺麗なメイドさん──あたしを抱き起こしてくれた人だ!──は、素早く上質の紙とペン、そして何故か綺麗な石でできた大きな器のようなものと燭台を持ってきた。 「ありがとう。──ベル、字は……えぇと……お読みになれまして?」 (難しくない単語なら……) しおしおと答えると、フェリ姫はむしろ驚いてあたしを見た。 「素晴らしいですわ。ずいぶん上達なさいましたのね!」 ……なぜお姫様があたしの勉強の進行状況に驚くのだろうか…… 「陛下から伺っておりますもの。孤児院にいらっしゃった子達のほとんどは、文字を教わることなく放置されていたのだと。……あの、恥知らずな人達のせいで!」 恥知らずな人達というのは、たぶん前孤児院院長や神官達のことだろう。裁判で裁かれた彼等は、国の慈善事業の一つであった『孤児の子供達に文字を教える』ための費用を自分達のお金にしちゃっていたのだ。文字を教える教師になるはずだった神官達もグルである。 ……そういえば、お金、ちゃんと全部戻ってきたんだろうか? そのあたりの詳しいことは説明されてないから、未だにあたしにはサッパリだ。 ……まぁ、別にいいんだけど。 「お金のこと……? 彼等の財産のほとんどは没収されましたから、それなりに回収できたのではないかしら? それよりも……そんな環境にいらっしゃったのに、もう読めるだなんて素晴らしいですわ。とても努力なさったのね」 優しい手に髪を撫でられて、あたしはテレテレと俯いた。ええ。とても努力しましたとも。レメクと交換日記したいから。 (……レメク) ふと、ストンと意識が後ろに落っこちた。 あれ? と思う間もなく──フェリ姫のビックリした声で目を覚ました時には、なぜか仰向けにソファに転がっている。 おりょ? 「ベル!」 うぉぅ! 姫様が目の前にッ!! 相変わらず綺麗なお顔に見つめられて、あたしはビクッとなった。 (にゃんです!?) 「何、って……いきなり倒れられたら、驚くのは当然でしょう!? もう! ……まぁ、まだ本調子では無いということでしょうけれど」 あたしを引き起こしながらそう言って、フェリ姫はしみじみと嘆息をついた。 「それにしても……あなたは本当に、あの方が大好きでいらっしゃるのね」 あの方とはどの方でしょう? 「クラウドール様ですわ」 ツキンと胸が痛んだ。 あたしは「?」の顔で自分の胸を見る。 なんで痛かったのか、よくわからない。 「クラウドール様のお体は、近日中に癒えるとのことですわ。あなたも、女官長からお聞きになったのでしょう?」 コックリ。 「それでも、そうやって……思いに沈んでしまうほど心配してしまうのは、やはりそれが『愛』だからなのでしょうね……!」 お姫様。握り拳でウットリ。 見ればメイドさん達も頬に手をあててウットリしていた。 皆様はアイという単語にとても弱いようです。……あたしもだけど。 「さ。その愛にかけて、あなたは立派なお姫様にならなくてはね!──そこでお話を戻しますけれど、当時の王宮の状況はこんな感じだったようですわ」 フェリ姫はそう言って、綺麗な紙にペンでサラサラと名前を書き始めた。……とても綺麗な字なのです。……あたしの字と大違いだ。 「文字も絵だと思って書いてみなさい。そうすると美しい形というのがどういうものか、理解できますから。──さ。できましたわよ」 そう言って見せられた紙には、複数の人の名前が書かれていた。 【国王】レーブレヒト。 【第一王妃】アントワール。 【第一王女】アリステラ。 【第二王妃】レティシア。 「このレーブレヒトというのが、先王陛下ですわ。あまり良い噂は聞きません。王宮の腐敗はこの方の時代に頂点に達したと言われるほどのお方です」 つまり、最悪だったわけですね。 「アントワール様はワタクシ達の陛下のお母様ですわ。それはそれは気高くお美しい方だったそうです。……ただ、少ぉし、ヤキモチ焼きさんだったみたいですわね」 あたしはフェリ姫をジッと見た。 ……なるほどなるほど。 「……どういう意味ですの?」 ……イエ。なんでもないのです。 第一、血は繋がっていないから、似る道理が無いのです。 「……コホン……。で、問題のレティシア様ですが、こちらの方はメリディス族のお方で、バンカム侯爵が主催されていたご領地での狩猟の際、シャーリーヴィの森で陛下と出会われたことで王宮に招かれたお方です」 ……何故だろう、頬がビリッとしました。 「大変お美しい方で、絶世の美女と言われたアントワール様に比肩していらっしゃったそうですわ。……おまけに、その珍しい髪の色もあって、諸国の方々にも絶賛されておいでだったとか」 ……その場合、アウグスタのお母様の立場はどーなったんだろーか…… 「鋭いですわね。そう、第一王妃であられたアントワール様よりも褒めそやされてしまったのですわ。おまけに、レーブレヒト陛下はレティシア様を溺愛なさっていたそうです」 (……うわっ……) あたしの背筋に異様な震えが走った。寒気というやつだ。 (……それって……) 「ええ……もう、ドロドロの愛憎劇だったらしいですわよ。当時の王宮はまっぷたつ! 第一王妃であり、次の王となるアリステラ陛下……いえ、殿下をお産みになったアントワール様を擁護し、秩序を保とうとする方々と、陛下の寵妃であるレティシア様を擁護し、王宮の奥から権力を得ようとする方々と……。実際の所、レーブレヒト陛下はレティシア様が仰る事なら、なんでも叶えてさしあげたでしょうから、力関係は非常に微妙だったそうですわ」 微妙って……レティシア様のほうが強かったんなら、圧勝じゃないんだろうか? 首を傾げたあたしに、フェリ姫は微苦笑を浮かべる。 「レティシア様は、いっさい、政治に口を挟まなかったそうです。今日においても、レティシア様を悪女と呼ぶ者がいないのは、そのためですわ。先王の寵を一身にうけながら、何の欲も出さず、ただ後宮で静かに生きていらっしゃった……もし、アリステラ王女殿下を殺害しようとした、という事がなければ、今でも『無欲の人』として称えられていらっしゃったことでしょう」 あたしはキュッと口を引き締めた。 だったら……何故、そんな無欲な人が、アウグスタを殺そうなんてしたのだろうか? 「……そのあたりのことは、ワタクシにもよく分かりません。情報が足りないのですもの。……ただ、愛憎劇とワタクシ申しましたでしょう? レティシア様は確かに無欲な方でしたが、陛下の愛情は一身に受けていらっしゃいました。アントワール様はそれが面白くなくて、ことある事に、その……いじめていらっしゃったようですわ」 (……うわぁ……) 「もしかしたら、そのことが原因だったかもしれません。……けれど、事件が起こったのはアントワール様が亡くなられてから何ヶ月か経った後のことなのです。憎いというのなら、アントワール様の方でしょうから……あぁ、でも……恐いアントワール様が亡くなったから、そのご息女であるアリステラ殿下に刃を向けたとも考えられるわけです」 (……むむぅ) 「けれど、陛下……でなく、アリステラ殿下とレティシア様は、とても仲が良かったそうなのですわ。後宮で唯一、レティシア様を擁護してアントワール様に公然と立ち向かっていらっしゃったのが、アリステラ殿下だと聞いています」 あたしは唖然とした。 自分の母親がいじめている女性を、その娘が庇っていた? 「昔、とても辛い時期に、レティシア様に助けていただいたことがあったのだそうです。それで、その時からずっと、年の離れた友人としてつきあっていたのだそうですわ。両親の思惑や、誰かの憎しみに関係なく、ただ一人の『人』同士として……」 (…………) 「レティシア様も、アリステラ殿下にだけはいろいろな話をされていたそうです。というのも、レティシア様はあまり口数の多い方では無いらしくて、先王陛下といらっしゃる時でも、ずっと黙っていらっしゃったそうですわ」 ……仲、悪かったんじゃなかろーか…… 「そう……ですわね……。もともと、一族の掟のせいで先王陛下とご結婚なさったと言われているお方でしたから、先王陛下のこと、お好きではなかったのかもしれませんわ。無欲であられたのも、どうでもよかったからと考えれば、納得できますし……」 あたし達は(うーん)と首をひねる。 しかし、それにつけても、アウグスタに刃を向けた理由がわからない。 好きでもない人と結婚して、その一番目の奥さんからはいじめられて……その中でアウグスタだけは味方をしていてくれた。年の離れた友人として。 刃を向ける理由が、いったいどこにあると言うんだろう? むしろ手を取り合って、一番目の奥さん亡き後、王様を支えていくよーな関係じゃなかろうか? 「ええ。ワタクシも、そこが分からないのですわ」 あたしとフェリ姫は二人そろってさらに首を傾げる。 フェリ姫は両腕を胸の前で組んで「ん〜」と可愛らしく唸った。 「王宮では、レティシア様がご自分の御子を王位につけさせたくて、アリステラ殿下を亡き者にしようとした……というのが一般的らしいんですの。でも、納得できませんでしょう? レティシア様がご自身の御子に王位を継がせたいのでしたら、最初からそう先王陛下に申し上げればいいのですわ。レティシア様のおねだりでしたら、たぶん周りがどんなに反対しようとも、最終的には王の権限でいろいろやっちゃったのではないかしら? それこそ国が二分するぐらいの騒ぎになったでしょうけど……ご自身で刃をもつよりは、よほど『ありえる』ことだと思いますのよ。でも、それはなさらなかったし……」 (う〜ん……) あたしも両腕を胸の前で組んで首をひねる。 自分の子供を王様にしたいなら、たしかに刃の一つも握るだろうけど……なんだか、こう……それこそお伽話の中の出来事みたいで、なんとなくピンとこない。 だいたい、そんなことをして、無事に子供が王位につけたかどうかも疑問なのだ。 普通、親子そろって断頭台のはず…… ……って……あれ? (レティシア様って……子供いたの?) 「え? えぇ……確か、王子殿下をお産みになっていらっしゃったはずですわ。年の離れた弟君で、シェンドラやアリステラ殿下が面倒をみていらっしゃったとか」 (……え。なんで?) あたしはきょとんとした。 実のお母さんは、どうしたのだ? 「上流貴族でもそうですけれど、正嫡の御子は乳母達が世話をするのが普通ですわ。教育のこともありますし。……ただ、レティシア様の場合、その……先王陛下がベッタリでしたし。先王陛下は、レティシア様のことは溺愛なさってましたけれど、ご自分の御子には何の感心もなかったみたいですから」 ……ひどい男だ。 あたしはギュッと唇を引き結んだ。 「さらにアントワール様もいらっしゃったから、たぶん、相当悲惨な幼年期をお過ごしだったのではないかしら? 陛下……でなくてアリステラ殿下も、ものすごく不憫に思っていらっしゃったようですわ」 あたしは一層、唇を引き結ぶ。 「けれど……あまりお体が丈夫では無い方だったのか、後宮の奥でずっとお育ちになって……公式の場には一度しかお目見えしていないそうなのです。一番最初のご生誕披露の時ぐらいで……。赤ん坊の時のことですけれど、シェンドラが言うには、メリディス族特有の──あなたと同じ美しい紫銀の髪の、とても愛らしいお方だったそうですわ」 (……そう) あたしはちょっと顔を俯かせる。 ……同じメリディス族の王子。 何故か少しだけ、胸が痛かった。 (……体、弱かったの……?) 「そういう噂ですわ。ただ……レティシア様の事件のこともあって、あまりその方のことを口にする人はいませんの。だから、事件の後どうなったかというのも……よくわからないのですわ。国外追放された、という噂もありますし……王位継承権を返上して、教会に身を寄せられたとも言われていますし」 つまり、サッパリ分からない、ということですね? あたしはちょっぴり眉を下げて、しょんぼりと肩を落とした。 なんというか……少しせつないのです。 見ず知らずの人だけれど、同じメリディス族で、おまけに『母親を亡くし、父親には無視され』という、なんとなくあたしと似た環境だから……ちょっと会ってみたかったのです。 もしこの王宮にいるのならば──今なら──あたしとその人は『叔父』と『血の繋がらない姪』として、お話もできる(かもしれない)のに…… 「……そうですわね。ワタクシも、一度会ってみたかったですわ。とても聡明なお方だったと……そう、閣下に伺っておりますもの」 (ヴェルナー閣下に?) 「ええ」 フェリ姫は頷いて、ほんの少し頬を染めた。 「物静かで聡明で、ちょっぴり影があって……うふふ……。レティシア様やその御子でいらっしゃるお方の肖像画は、写真を含め、ほとんど全部焼き捨てられてしまっていますの。だから、ワタクシもその方のお顔は存じていないのですが……絶世の美女と呼ばれたレティシア様の御子ですもの、きっと素晴らしい美少年……いえ、今なら美青年ですわね。きっとそうに違いありませんわ」 ほぅほぅ。 あたしも興味津々で頷いた。 もしかしたら、レメク並みに美形なのかもしれない。もしくはポテトさん並み……は……ちょっと無理かな。いや、きっと無理だな。 そう思ったところで、脳裏にレメクの顔が浮かんだ。 物静かで聡明で、ちょっぴり影がある……あぁん! レメクのようではありませんか!! (……レメクー……) 思わず意識がフゥッと遠ざかる……ぬぅぁあいかんいかん! 根性で復帰すると、フェリ姫がなんともいえない優しい笑みを浮かべていた。 「……さて。王宮の昔の謎はともかく……どうしてレティシア様のお名前を口にしてはいけないのか、これで納得していただけまして?」 フェリ姫はあたしの頷きに満足げな顔になり、手元の紙をくしゃくしゃにすると石の器に放った。フェンという名のメイドさんが、その紙を燭台の火で燃やす。 (え!?) 「王宮の秘事です。万が一、誰かに見られたりしてはいけませんもの。だから、このお話も、ここだけのお話でしてよ? 決して、余所でお話してはいけません」 真剣な目で見つめられて、あたしはギョッと浮かしかけた腰を元に戻した。 そしてしっかりと頷きを返す。 「それでけっこうですわ。……ちょうど、今はまだ春の大祭の最中。他国からの使者も、余所にお嫁にいかれたお姉様達も王宮においでになりますし……王宮に不慣れなあなたが何かをすれば、何を言ってくるかわかりませんもの」 あたしは(うっ)と硬直した。 そういえば……そうでした。この部屋のお外は、御貴族様や王族の方々が跋扈する、人外魔境の巣窟なのです! 「……まぁ、あながち間違っていない感想なのですけれど……。ベル。あなたもその人外魔境の一員になったのだということを、決して忘れてはいけませんわよ?」 ……そーでした、あたしも今は、オウジョサマだったのです。 ……サッパリ自覚無いですけど。 「最初はそんなものですわ。ワタクシだってそうでしたもの。……けれど、大切なお方がいらっしゃるのですもの。きっとすぐに慣れますわ。だってそうでしょう? フェリ姫はふわりと微笑む。 「その方のために強くなり、美しくなり、気高くなり、最高のレディとなるのです。その方の存在はまるでこの背に授けられる美しい翼のよう……その方のためならば、どこまでも高みに昇ってゆけるのですわ。そうではありませんこと?」 ものすごいセリフに、あたしは唖然と口を開けた。 けど、違うとは言えなかった。 レメクと出会ってから、あたしはずっと大きな翼を与えられていたような感じだったのだ。 汚泥の底のような場所から地上へと引き上げられ、そのまま上へ上へと導かれている。高みというのがどこにあるのか、今はまだよくわからないけれど、確かにレメクと一緒にいれば、どこまでも上に行けそうな気がするのだ。どこまでもどこまでも高い場所に──! そしてたぶん、あたしにとって『最上』の場所が、レメクが立っているだろう場所なのだ。あたしにとっては遙か高みに思える、とても気高い場所なのだ。 「『姫』と呼ばれても、自分自身の心に『王女』たる自信が無くては、たさぁだ居すくんでしまうだけですわ。けれど、ワタクシ達にそれは許されない。そして、己こそが一番に、それを自分に許してはいけないのです」 なぜなら、あたし達は『王女』として立派に立たなくてはいけないから。 あたしにとっては──そう、他の誰でもない、レメクに誇れる自分であるために! 「そう。ワタクシ達は、ワタクシ達の大切な人に誇れる自分であるために、常に最高の自分でなくてはいけないのですわ!」 あたしとフェリ姫はガッシリと手を握り合った。 あたしはフェリ姫のことをあまり知らない。 フェリ姫もあたしのことをあまり知らない。 出会ってから数日で、きちんとした話をしたのも、今日が初めてだから当たり前だ。 けれどこの時から、あたし達は盟友となったのだ。共に、大切な誰かのために生きる女として! (頑張るわ! お義姉さま!) 「ええ! 頑張るのよベル! ワタクシもついていますからね!!」 (はいっ!) キラキラと見つめ合った所で、ふと、扉の所にいたメイドさんが密やかに近くへと走り寄ってきた。 「……姫様。伝令が」 「……どなたから?」 ひそめられた声に、お義姉さまの顔が引き締まる。 「メアリです」 途端、フェリ姫の眉が跳ね上がった。 「では、マリアンヌ様が……?」 「はい。妹姫様がお目覚めになったことを知って、ご面会を求めようとなさっておいでのようです」 ……あたし? きょとんとしたあたしの前で、フェリ姫はキュッと形の良い眉を顰めて首を振った。 「……いけませんわね。ベルが目覚めたのを知っておいでになるということは……例の件に間違いないでしょうから」 「はい」 (?) 険しい二人を前にしてあたしは首を傾げる。……何がイケナイのだろうか? 見渡せば、部屋の中の全員が険しい顔をしていた。 一人「?」の顔のあたしに、フェリ姫が真剣な目で言う。 「ベル。あまり嬉しくはないお話だと思いますけれど、聞いてくださいます? マリアンヌ様をはじめ、ワタクシ達のお姉様達は、ワタクシと同じく陛下と契約をされ、自らの意志で他国に嫁がれた方々です。けれど……その……お姉様達だって、恋はするのですわ」 (……それは……まぁ……) そうだろうけど……? 首を傾げたあたしに、フェリ姫は言いにくそうに言う。 「その……第一王女様でいらっしゃったマリアンヌお姉様なのですが……その、あくまでお噂ですわよ? お噂なのですが……」 なのですが……? さらに首を傾げるあたしに、フェリ姫は非常に言いにくそうに言った。 「昔……クラウドール様と恋仲だったという噂があるのですわ」 レメクと。 突然襲いかかってきた衝撃に、あたしは大きく目を見開いた。 フェリ姫が慌てて腰を浮かす。 「噂ですわよ!? あの方に懸想していらっしゃる方は、それはもう、かなりの数になりますの! そのうちのお一人が、かつてのマリアンヌ様だったというだけで……その、他の方々には珍しく、マリアンヌ様は活発でいらっしゃったから、よくクラウドール様の職場に顔をお見せになったり、一緒に食事をとられたりしていたという……その、噂ですわよ!?」 あたしはぼんやりと頷く。 そしてヨロヨロパタンとソファに倒れた。 (……キタ! レメクの昔の女性!!) 「だから! 噂だと言っているのです!!」 (しかも王女様!!) 「元です!! 今は別の国の王太子妃ですわ!!」 (つまり別の人の奥さん……!!) そしてあたしはムックリと起きあがった。 (じゃあ、別にいいや) 「……………………思ったより、立ち直りが早いのね……」 あたしはキラリと目を光らせた。 (ええ。相手はレメクなのです、これぐらい覚悟していたのです!) 「……涙目でしてよ?」 (鼻水なのです!) 「そんなところからそんな水は出ません! しかも言い訳がちょっと綺麗じゃありませんわよ!?」 ハンカチでぐいーっと目頭を押さえられて、あたしはグスグスと鼻を鳴らした。 (負けたくないーっ負けたくないーっ) 「勝てばよろしいのよ! なんです! 会う前からめそめそして!! そのようなことでは勝てませんわよ!?」 フェリ姫の叱責に、あたしはぐしぐしと目元を拭う。 ペチッと頭を軽く叩かれた。 「そのような拭き方をしてはいけません! ハンカチで、こう! そっと押さえるだけで終わるのですわ! 涙も女の武器でしてよ!?」 武器……でも、身長差があってレメクからたぶん見えないのです…… 今いないし。 「そこでヘコまない! だいたい、今、公式にクラウドール様のご婚約者であるのはあなたです。そのあなたがメソメソのウジウジだったら、他の方がチャンスだと思ってしまうのですわ! 強い姿をお見せなさい!」 ビシィッ! とあたしの背筋が伸びた。 フェリ姫が力強く頷く。 「そう! その意気です! いいこと? ベル。恋は戦なのですわ。勝ち目のない相手だと思わせることが勝利の秘訣です! 心の中に唱えなさい。自分は婚約者。自分は婚約者。他に誰がいようとも、認められたのはこのワタクシ! 誰が何を言ったところで、それを覆すことはできないのだと!!」 力強いフェリ姫の断言。なんだか多分に私情が入ってる気がいたします。 ……お義姉さま……いつも苦労なさっているのですね…… 「ええ。これぐらいの意気がなくてシーゼルの婚約者など……って、今はワタクシのお話ではなくてよ!?」 (お義姉さま……) あたしはホロリと涙を零した。とりあえず、教えてもらったとおりにハンカチで目元を押さえる。……うっかりチーンとかしちゃいそうだ。 「と、とにかく。誰を相手にしたときでも、その意気で乗り越えるのです。大丈夫ですわ。負けたくないという気持ちがあるのでしたら、最後には勝利をもぎとれます!」 あたしは力一杯頷いた。 まだ自分磨きの最初の段階で、未だにダメダメだってわかってるけど、いつかはレメクに胸を張って紹介してもらえるような、スンバラシイ女性になる(予定)なのです。負けられません! あたし達は「(よし!)」と互いにガッツリ頷きあう。 ちょうどそこへ、別のメイドさんの声が響いた。 「姫様。妹姫様。バルディア国王太子妃マリアンヌ様がお越しでいらっしゃいます」 あたし達は反射的に顔を見合わせる。 アウグスタや他の人達よりも早い、ある意味フェリ姫を除けば一番乗りの面会だ。 その素早さに、あたしは違う意味で戦慄する。 ──ライバルだ。 直感した。マリアンヌという人は、まだレメクのことが好きなのだ。 でなければ、どうしてこんなに早く動いたりするだろうか。 何かがゴォッとあたしの中で燃えさかった。思わずギュッと小さな手が握り拳を作る。 フェリ姫はそんなあたしをしっかりと見つめ、そうして扉の前に立つメイドさんをゆっくりと振り返った。 「お通しなさい」 そして、あたしをもう一つじっくりと見つめる。 あたしもその瞳を見つめ返した。 言葉はいらない。 心は瞳で伝わった。 ──最初の戦場だ。王宮の、王女としての、初陣が今から始まるのだ。 しばらくして、遠くで扉が開いた気配がした。王宮の部屋がどういう風になっているのか、あたしは知らない。けれど、寝室に来るまでに、何部屋かあるらしかった。 気配がだんだん近寄ってくる。 メイドさん達がわらわらと寄ってきて、あたしの背や周りに大きなクッションを入れてくれた。フェリ姫は手ずから膝掛けをあたしにかけてくれる。 「バルディア国王太子妃マリアンヌ様、ご入室なさいます」 扉の前に立ったメイドが、律儀にそう宣言する。 あたしは背を伸ばした。 フェリ姫がそんなあたしの手をしっかりと握ってくれる。 扉がゆっくりと開き、そうして一人の女性が入ってきた。 あたしはその人を真っ直ぐに見つめる。 さぁ、戦いを始めよう── |
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