3.伸ばした掌に

「ベルが戻ったのですって!?」
 そう言ってやや小ぶりの塊が飛び込んできたのは、ちょうどあたしが三皿目の卵料理(名前不明)をたいらげた時だった。
 全部灰色に見えるので色は不明なれど、あたしが居るのは王宮の一室らしい典雅な部屋だった。そこには今、あたし以外に五人ほど人がいる。気品溢れるおばちゃまと、口ひげの渋いおじちゃま、そして三人のメイドさんである。
 あたしを含めた総勢六人に見つめられた小柄な塊は、真っ直ぐにベットに座るあたしを見つめ返した。塊は小さな少女だった。小さいといっても、あたしよりはずっと背が高い。その愛らしい顔立ちには一瞬だけ喜色が溢れ、なぜか即座にキツイ表情に変化した。
 ……そのキツイ表情に、妙に見覚えがあるような……?
「ふ……ふん! ほら、ご覧なさい! シェンドラ。ワタクシの言ったとおりでしたわ。この子がそんな、いつまでも眠ってるような、しおらしい子なわけないじゃありませんの!! ……グス……」
 ……最後の『グス』は、どう聞いても鼻水すすってる音なのだが……
 あたしは口元を軽く拭きながら、その少女をしみじみと見つめた。
 黙って立っていれば、お伽話に出てくる妖精のような美少女だった。特徴的な金色の髪は今は灰色に沈んでいるが、際だった美貌といい、意思の強そうな瞳といい、どこかアウグスタに似ている気がする。年の頃は十二かそこら。精緻なレースを幾重にもあしらったドレスが、これ以上ないほど似合っていた。
 しかし……
(なんか……いろんな意味で、相変わらずなのね……)
 綺麗な顔に似合わぬ苛烈なツンツン。むしろ顔が綺麗な分より恐ろしい。
 そう……彼女には見覚えがあった。ものすっごく最近会った人だ。
(……名前は……えーと……エート…………)
 ……ナンダッケ?
「フェリシエーヌよ!!」
 コテッと首を傾げたところで、なぜかものすごい形相で少女が怒鳴った。
(ああ! そういえば、そんな名前を……!)
「あなたね!! 一応、ワタクシの義妹となるのですから、それぐらい覚えておきなさい! 失礼な!! ワタクシは寛容ですから一度ぐらいは赦してさしあげますが、他ではこうはいかないのですからね!」
 ビリビリと空気を震えさせて、フェリなんとか姫は叫ぶ。
 ズンズカと肩を怒らせてあたしの傍まで来たお姫様は、ベッドの上にチョコンと座っているあたしを上から下まで眺めて「フンッ」とそっぽを向いた。
「……ま、まぁ、ちゃんと起きてきたことは、褒めてさしあげてもいいですわ。けれど、例えどれほど大切な方であろうとも……いえ、大切な方であればこそ! その方が大変な時に自分まで倒れてしまうだなんて! そんな弱いことでは、王宮で生き残れはしませんでしてよ!?」
 ビシィッ! とどこかの色気魔女のように羽扇子エヴァンターユをあたしにつきつけて、フェリ姫は眦をクワッとつり上げた。
「いいこと!? ベル! このワタクシの義妹いもうととなったのだから、どこに出ても恥ずかしくない一流のレディになっていただきますわ! ええ、もちろんワタクシも鬼ではありませんから、元気のないあなたに無理は言いませんわ! そう……まずは元気になることが先ですわね! とりあえず、朝食程度は軽く食べてしまえるぐらいにならないと……」
(三皿目です)
「もうなってる!? い、いえ、食欲があるのはいいことですわ。まぁ、ここの料理長の腕はなかなかのものですからね。どんなに辛い時だって、ついついお代わりをしてしまうぐらい美味しいのですもの……うちの料理長も見習ってほしいものですわ……」
 最後は小声でぼそぼそ言うフェリ姫に、あたしはしょんぼりと視線を空皿に移した。
 あたしの近くに控えていたおばちゃまとおじちゃまも、一緒にしょぼんと肩を落とす。
「……なんですの? 皆様のその反応は……」
 あたしはしょんぼりしたままお姫様を見上げる。
 綺麗な顔のツンツン姫は、目があった途端になぜか怯んだ。
 ……ナゼデスカ……
「まさか、料理長の料理が口にあわなかったとでも言うおつもり? これほどの美味を前にして、そんなことを言いはしませんわよね?」
 フェリ姫の声に、あたしはますます肩を落とす。
 これほどの美味とか、口にあわないとか、そういうコト以前に……
(……あたし、今……味わかんなくなっちゃってるし……)
「なんですって!?」
 どんよりと視線を落とした途端、なぜかフェリ姫が叫んだ。
「味がわからないですって!? あなた、まさか何かの病気……ハッ……いいえ、いいえワタクシ、これをどこかで聞いたことがありましてよ!」
 姫様。なぜか顔を輝かせてグッと握り拳。
「そう!! ルドヴィカの新作劇でやっていましたわ! 愛する人と引き裂かれたヒロインが、その後何を食べても味を感じなくなってしまったという悲劇……!! ま……まさか、身近にそんな症例が出るだなんて……!!」
(……何故、そんなに嬉しそうなのだ……)
「べ、別にワタクシ、あなたの不幸を喜んでいるわけではありませんでしてよ!? あの舞台は本当に素晴らしいものだったのです! ああ、あなたも一度ご覧になるべきですわ。そうすれば自ずと教養も磨かれると言うものです!!」
 なぜか嬉しげにそう語る小さな乙女に、あたしは胡乱な目になった。
(お義姉さま……あなたはちょっと、不思議なお方なのですね?)
「お……お義姉さま、ですって!?」
 途端、フェリ姫が大きくのけぞった。
(……あれ?)
「ワタクシが、おねえさま!? そ……そ、そうですわね、あなたはワタクシの義妹いもうとになるのですもの! そう呼ばれても……そう、仕方がないことですわ!」
 なにやらブツブツと険しい表情で呟くお姫様。
 ……違う名前で呼んだほうがいいんだろうか……
(フェリ姫様……とか?)
「なぜわざわざ違う名前で呼ぶのです!? おねえさまとお呼びなさい!!」
 ……難しい人だ……
(……てゆか、心読まれてる!?)
 遅まきながらそのことに気づいて、あたしは目をカッぴらいた。
 そう、相変わらず喋れないあたしは、さっきからずっと無言だったのである!
 なのにそれに反応しているということは、嗚呼、なんということ! お義姉さまはレメクと同じく、あたしの心を読めちゃっているということである!
 なんで!?
 あたしの驚愕の眼差しに、お義姉さまは「フン」と鼻を鳴らす。
「なにを珍しがっていますの。ワタクシはアザゼル族でしてよ。この程度のこと、嗜みですらありませんわ!」
 ……人の心を読む『嗜み以前のモノ』ってナンダ……
 唖然としたあたしに、お義姉さまはエヘンと胸を張る。ちょっと嬉しそう。
「あなたもご自分の血統魔術や種族技能ぐらいは完璧に所得なさいませ! それに、他族の特徴や技能を覚え込むのは王族の嗜みでしてよ。全てに勝つために、あらゆる情報を覚えなければならないのです!! ……ま、まぁ、あなたがどうしてもと言うのなら、ワタクシが教えてさしあげてもかまいませんわよ? 一応、陛下からあなたの世話も頼まれていますもの。……ええ、あなたを完璧なレディにするためにも、ワタクシの力は必要でしょうとも!」
 本気で嬉しそう。
「さぁ、そうと決まれば準備ですわ! 食事はもう終わりまして? それともまだ? ああ、それから今日は一日お部屋から出てはいけませんわよ。三日も寝たきりだったのですから、一日はゆっくり休まなくてはなりません。もちろん、否はありませんわね? ベル。さ、女官長、準備をお願いいたしますわ」
 すぱすぱズンズン決めていくお義姉さま。
 おばちゃまはクスクス笑いながら「かしこまりました」と優雅に挨拶をした。
 そう、おばちゃまは女官長様なのです。なぜかあたしのすぐ傍にいてくれますが。
「そして料理長……なぜあなたがここにいらっしゃるのかは敢えてお尋ねしませんが、一応、ここは淑女の寝室でしてよ? 遠慮なさるのが普通ではありませんでして?」
「これは申し訳ございません。体調にあったものを作るために、特別に入室を賜った次第にございます」
「陛下の言でして?」
「はい」
 頷くおじちゃまに、お義姉さまも鷹揚に頷く。
「では、ワタクシが何か言う必要はありませんわね。ワタクシこそ、非礼をお詫びいたしますわ」
「滅相もございません」
 おじちゃまも柔和な笑顔でご挨拶。レメクが『王宮にその人在り』と称えた素晴らしい腕前の料理長様は、とっても渋い男前なおじちゃまなのです。……ええ、未だ味のほうは堪能できてませんが……
(……なんであたし、人の匂いはわかるのに、食べ物の匂いや味はわからないんだろう……)
 しょんぼりだ。
 おばちゃまやおじちゃまからは、暖かくて優しいイイ匂いがする。それはわかるのに、卵料理の匂いはサッパリわからなかったのだ。
 そっちもイイ匂いだったに違いないのに……
「メリディス族の『匂い』に対する感覚は、通常で言うところの嗅覚と違う……そう聞いたことがありますわ。危険を感知したり、愛情を察したり……どちらかと言えば、それは直感という感覚に近いのではありませんの? そういうものを『匂い』として感じ取るのでしたら、味覚や普通の嗅覚とは別次元の感覚ととらえるべきですわ」
(……そうなんだ……)
「あなた、ご自分の種族技能ぐらいきっちり把握なさいませ。メリディス族は数がとても少なくて、未だ解明できていないコトの方が多いですが……ワタクシでさえ知っていることを、本人が知らないだなんて……」
 あたしはしょんぼりと俯いた。
 本来、一族のもつそういう能力は、親から代々伝えられるものなのだ。
 けれどあたしのお母さんはずっと昔に亡くなり、他に教えてくれる同族の大人はいなかった。だから、あたしはほとんど何も知らないのだ。
 ……一族の居る森の名前だって、レメクが教えてくれるまで、どこにあるのかすら知らなかったのだから。
「……ま、まぁ、その、ホラ、そ、そういうこともありますわ? し、知らなかったのなら、今から知っていけばいいのですもの……ほら! いい加減シャキッとなさいませ! そんなことでは、クラウドール様にお顔を見せられませんわよ!!」
 お義姉さまの言葉に、あたしはシャキッと背筋を伸ばした。
 レメクの名前は不思議だ。ものすごい力が沸く。
 けれど、
(でも、まだ……レメクは……)
 すぐにしょぼぼんと萎れてしまう。傍にレメクがいないから。
「が、我慢なさいませ!」
 そんなあたしに、お義姉さまが叫んだ。
「これは……そう……愛の試練でしてよ!?」
 アイノシレン!!
 その瞬間、あたしの背筋がビシッと伸びた。
 口がギュムムッ! 目がビカッ!!
 一瞬でギンギンと熱意をほとばしらせたあたしに、お義姉さまは満足そうに頷く。
「そう。それでよろしくてよ」
(はい、お義姉さま!)
 あたしはギラリと輝く瞳で頷きを返した。
 なぜか同室にいたおじちゃま達が目を丸くしているが、そんなのは気にしない。
(レメク……! レメク!!)
 思いの全てを力に変えるのなら、心はいつだって強くなくちゃいけないのだ。
 しょんぼり俯いていたって何にもならないなら、できるだけ背筋を伸ばして! 上を向いて!! 踏ん張らないといけないのだ!!
 例えそれが、悲しい空元気だとしても……!!
(レメク……!!)
 ぎゅむっと唇を引き結んだあたしに、お義姉さまは一瞬目を瞑り、そうして覇気に満ちた笑みを閃かせて目を開けた。
「さぁ! では、そろそろお着替えさないませ! 午後からは陛下もいらっしゃいますわ。それに……あなたのご友人もおいでになるはずです! あなたが起きられたことは、もう知れ渡っているのですもの」
 艶やかに笑って言うお義姉さまの合図で、壁際にひっそりと待機していたメイドさん達が動き出した。
 あたしは反射的にお義姉さまを見る。
「…………」
 お義姉さまは一瞬だけ眉を顰めた。
 そうして、あたしの近くにきたメイド達に合図をおくる。
「お待ちなさい。……あなたがた、そういえば、どちらの方々ですの?」
 三人はサッとお義姉さまに礼をとった。
「わたくしどもは陛下より姫君のお世話を仰せつかった者でございます」
「そう。で、どなたのゆかりの方かしら?」
 ……どなたの縁?
 あたしはきょとんと首を傾げる。
 メイド達が口を開いた。
「わたくしはレンフォード公爵の縁にございます」
「わたくしはセルヴェスタン侯爵の縁にございます」
「わたくしはバンカム侯爵の縁にございます」
「そう……。では、ご苦労でした。あとはワタクシが用意を調えます。あなたがたはお下がりなさい」
「「「殿下!?」」」
 三人の合唱に、お義姉さまは婉然と微笑む。
「陛下より世話を仰せつかったのはワタクシもです。準備はワタクシの配下の者にさせますわ。あなた方は本来の業務にお戻りなさい。人出が足りないからと集められたのでしょう?」
「い、いえ、殿下、わたくしは」
「あなたの上に立つ方で、何か言う者がいれば、ワタクシが直接お話いたします」
 ニッコリ、キッパリ。
 一言で反論を封じたお義姉さまは、ベットの上のあたしを見下ろして胸を張る。
「さ、ベル。参りますわよ」
 言うや否や、お義姉さまはベッドサイドに置かれていた小さな呼鈴ベルを優雅に掴み、リンと軽やかに響かせた。
 一瞬の間も置かず、寝室のドアからピンと背筋の伸びた美女達が入室する。そのエプロンドレスは王宮のメイドさん達のとほぼ同型だが、襟元やヘッドドレスが微妙に違う。また、同じ灰色の世界に沈んではいても、色の深さが微妙に違っていた。ということは、本来なら色そのものが違っているのかもしれない。
 ……今のあたしには、やや灰色気味、やや黒気味、って感じにしか違いがわからないけど……
(お義姉さまの配下、って……メイドさん?)
 それにしても、全員が素晴らしい美女ばかりだった。
 華やかな人、涼やかな人、色っぽい人、可愛らしい人……なんというか、もう、いろんなタイプの美女を全員揃えたような感じである。
 しかも人数が多い多い……
(……全員……入ってこれるのかな……)
 十数名入ってもまだ続々と入室してくるメイド群に、最初からいた王宮のメイドさん達もたじたじになっていた。
 ……気持ちはわかる。あたしも逃げたい。
(……にしても……あの籠、何?)
 美女メイド達は、全員がそれぞれ一抱えはある巨大な籐の籠を持っている。かなりの重量だと思うのだが、彼女等の足運びは異様なほど優雅だった。しかも完璧に揃ってる。
「体のことを考えれば、できれば着替えも控えて休ませてあげたいところですが……そのような姿で他の方々と面会などできませんもの。仕方がありませんわよね」
 ……どう答えればいいのやら……
 気になりすぎるメイド群を見ながら、あたしはジリジリとベッドの上をちっこい尻で移動した。ちょっぴり腰が逃げるのです。
「ベル。何か好きな色はありまして?」
 素早くあたしの前に並んだ姫メイド達は、お義姉さまの声にバッと揃って籠を床に降ろす。そのあまりにも揃った動作に、あたしは思わずビクッと飛んだ。
(兵隊!?)
 昔、祭りのイベントで見たことがある。なんとか隊とかいうすごい上の兵隊さんがやってた演目で、こんな風に全員が揃っていたヤツを……!
「それは近衛隊の集団舞踏マスゲームではなくて? ……まぁ、あれはあれで凛々しくて素敵ですけれど、あんな華のないシロモノと一緒にしないでいただきたいですわ」
 心読まれた!
 さらにビクッとなったあたしに、お義姉さまは「フフン」と素晴らしい笑顔。サッと片手を挙げると、姫メイド達が一斉に巨大な籠をパチンと開けた。
 ……だからナゼ、そこまで揃う……
「今日は……そうですわね……少し明るい色にいたしましょう。暗い気分が吹き飛ぶように! ワタクシが藤色のドレスなのですから、あなたはクリーム色のドレス。バッスルはできるだけ軽いものにするべきですわね。かわりに飾りレースで華やかさを演出いたしましょう」
 ……全部同じ灰色に見えるのです……
 きっと本来は煌びやかなのだろうそれらを見下ろして、あたしは困った顔で首を傾げた。
 それにしても、巨大な籠の中が全部衣装とは……
 衣装部屋をそっくりそのまま詰め込んできたんじゃなかろうか? と思うような、とてつもない量である。
「姫様、妹姫様の御髪おぐしはいかがいたしましょうか?」
「そうですわね、髪は……」
 お義姉さま、しばし沈黙。
「……なんですの? この不揃な髪は! これだけ見事な髪をもっていながら……!」
 ……怒られました。
 見上げながらしょんぼりと肩を落としたあたしに、お義姉さまは「コホン」と変な咳払いをする。
「し、仕方がありませんわね! 左右にわけて、軽くカールさせて……そう、リボンと花で飾りましょう。リボンはもちろんレースでしてよ」
「こちらの物などいかがでしょう? 姫様のおつけになっている飾りレースと同じヴィレントの作ですわ」
「素敵ですわね。それにいたしましょう。……まぁ、ベル。なにをしていますの。座ったままでは着替えられませんことよ?」
 呆れきった目で見下ろされるが、まともな反応など返せるはずがない。
 テキパキと目の前で広げられるドレスやらレースやらに、さっきから呆然としっぱなしだ。(お……お姫様って……お姫さまって……)
 動くとき、いつもこんな衣装舞台を引き連れてるのだろうか!?
「まぁ、違いましてよ、ベル。これはワタクシがあなたのために用意したドレスですわ。言うなればプレゼントです」
(プレゼント!?)
 あたしは耳を疑った。軽く二十は超える巨大籠の中に入っている、この大量のドレスがプレゼント……!?
「陛下からも言われましたの。あなたはまだ、ご自分のドレスをあまり持っていらっしゃらないから……」
 ほぅ、とため息をつきながら、お義姉さまはクルクルと自分の髪を指で弄ぶ。
「だから、ワタクシの小さい頃のドレスを何着か、あなた用に都合してやってはくれないか、と……。ええ、もちろん、陛下のご幼少の頃の物もあなた用に仕立て直してくださるそうですわ。本当なら、新しく仕立てたものを贈るべきなのですが、今は仕方がありませんもの。諦めて、袖を通していただきますわ。それに、ワタクシ、大好きなドレスしか選んできてませんのよ? 一度しか袖を通せなかったものや、一度も袖を通せなかったものとか……!」
 グッ、と握り拳で語るお義姉さま。
 というか、ナゼ一度も袖を通さないよーなドレスがあるのかが不思議です。
「あら。ドレスなんて、月に何着も作ったり贈られたりするのですもの。時には体の成長に置いてきぼりになってしまう、困ったちゃんなドレスもありますわ。袖を通すことのないまま着れなくなってしまう、という風に」
 ……貴族って……
 あたしはガックリと肩を落とした。
 お風呂というお金のかかるモノを聞いた時にも思ったが、なんというか、お金の使い方というか考え方が、あまりにもあたし達と違いすぎる。
(使わないドレスが何着もあるって……これ一着でお腹一杯食べられる子が、いったい何人いることか……!!)
 違う意味で握り拳なあたしに、お義姉さまはちょっと眉をひそめる。
「ベル。今まで過ごしてきた環境が違うのですもの、いきなりこちらの考え方に合わせろとは言いませんわ。ワタクシも『そのこと』は重々、陛下から伺っております。けれど、ベル。今のあなたは王家の娘。例え血は繋がらなくても、魂で陛下と繋がっているのです。毅然とした態度で、優雅に、そして時に傲慢になりなさい」
(……傲慢、って……)
「王族がたった一着のドレスに執着してたら、民はいったいどういう目でその姫を見るかしら。物を大事にするお姫様? ……いいえ、そんなことにはならなくてよ。なんて貧乏くさい姫君かと、恥ずかしいと嘆かれてしまいますわ! まして他国の使者に、うっかりそんなところを見られてごらんなさい! あの国の姫はいつも同じものを着て、格好はつけているが実はナスティア王国は大変な貧乏国なのかもしれないと……!! そんなとんでもない噂を流されてしまいますのよ!?」
(お……大げさな……)
「大げさなどではありません! もちろん、我が女王陛下の治めるこの国は、近隣諸国の中でも一・二を争うほどの強大国ですわ。ですが、それすらも王族のちょっとした行動で、誤解も甚だしい『見かけだけ』と思われてしまうかもしれないのです。現に十年ほど前、西の国で起こった戦争は、ある一国がとても慎ましい生活をしていたことがきっかけでしたのよ」
(ナゼ!?)
 唖然としたあたしに、お義姉さまは胸を張って背伸びする。
「ですから、慎ましい生活、イコールお金がない、つまり国力が低いと判断されてしまったのですわ。国力が低いということは、戦を仕掛けても楽に領土をとってしまえるということ。他国がその国に戦をしかけてきた理由が、それなのです。ですがその国は慎ましいだけで、国力は大変豊かでしたから、あっという間に返り討ちにしてしまったのですわ。そしてその戦争に『ついでに』参加していた他の国々も返り討ちにして、現在に至るというわけです」
 ……すごい国もあったもんだ……
 呆然と感心するあたしに、お義姉さまは宛然と微笑む。
「もちろん、贅沢すぎるのは慎ましいよりもかえって悪いですわ。けれど、そう……贈られたドレスが成長にあわなくて着れなくなってしまうことなんて、貴族にはよくあることですもの。そんなに気にすることはありませんのよ」
(そ、そういうものなんだ……?)
「そう思わなくてはならないのです。いいこと? ベル。物を大事にすることはとても素晴らしいことですが、こだわりすぎるのは悪いことでしてよ。物を大切にする心とは別に、使えなくなってしまった物を諦める潔さも、人には必要なのです。……まぁ、それでも、とてもとても大切な思い出の品は、いつまでも持っておくべきだとワタクシも思いますけれど」
 そう言って、ナゼかもじもじと胸元のブローチをいじるお義姉さま。なにか思い出があるのだろうか? あのブローチには。
「さ。お説教はここまでせすわ。……ええ、まぁ、なかなかいい感じに仕上がったではありませんの。これなら、ワタクシもドレスを贈った甲斐があったというものですわ」
 お義姉さまに満足げに頷かれて、そこであたしは初めて自分が着せ替えさせられていたことに気づいた。なんか腕ひっぱったり体を持ち上げられたりしてると思ったら……てゆか完了してる!?
 いつのまにやらドレス(たぶん本当はクリーム色)を着せられ、髪を可愛く左右で結われたあたしは、おろおろと周囲を見渡した。
 姫メイドさん達が一斉に素晴らしい笑顔を煌めかせる。
「素敵でいらっしゃいますわ、妹姫様」
「可憐ですわ、妹姫様」
「とてもよくお似合いですわ、妹姫様」
 ……あたしの名前は『イモウトヒメサマ』になったようです。
 それにしても、どうでもいいが、ナゼいつも一斉に反応するのだろうか。しかも完璧に揃ってるし……でもセリフ被らないし……
 カリコリと頭を指で掻くと、お義姉さまは「めっ」という顔であたしを見る。
「ベル。そのような仕草をするべきではありませんわ。もし髪の中が少々気になるようでしたら、こう!」
 お義姉さまはとても上品に髪を押さえられる仕草……って、ソレは掻いているのですか!?
「よろしくて? ベル。優雅に、気品ある仕草で! どのようなものであれ、ワタクシ達に求められる仕草というのは、そういうものです。お話をする時も、イヤリングに触れる時も、そう、ドレスの皺を気にする仕草すらも気品高く! 美しく!!」
 その気迫に、あたしの喉が「ぎょぐっ」と変な音をたてた。あまりの迫力に、思わず唾を飲み込んでしまったのだ。
「困ったことがあったときは、か弱く、儚く、美しく! 困ったわ、というポーズでせつなげにしているのです。そうすれば、きちんとした男性は必ずあなたの力になってくれます。悲しことがあったときは、せつなく、儚く、美しく! 今にも消え入りそうな風情でいれば、必ず男性は膝をついて助力してくれますわ。そして戦わなくてはならないときは、気高く、尊く、美しく! 我こそが正義という気迫をみなぎらせて、相手を叩きのめしてしまうのです!!」
 ……なんかすごいことを教えられている。
 あたしは引き気味な腰を必死に押しとどめて、心にしっかりと言葉を刻みつけた。
 綺麗なお姫様の語る『王族の女としてのあり方』は、なにかヒジョーに役にたつ気がするのです。
 対レメク攻略で。
「さぁ! それでは午後からいらっしゃる陛下やお見舞いの方々に披露すべく、特訓をいたしましょう! ……あぁ、けれどベル、これだけはしっかり心にとめておかなくてはいけませんでしてよ?」
 バッチコイ、と気合いを入れてヨロヨロお義姉さまのもとに向かったあたしに、お義姉さまは宝石のよう瞳をキラリと光らせて言う。
「無理な時に無茶なことをするのは、勇敢ではなく無謀と言うのです。つまり、今のあなたの体調にあった特訓をしなくてはいけません。いいですわね?」
 あたしはお義姉さまの瞳をジッと見つめた。
 覚えている。
 今は灰色にしか見えないけれど、この人の瞳は、まるで鮮やかな海のような綺麗な青をしていた。どこかポテトさんの瞳にも似たその瞳。
 それを脳裏に思い浮かべながら、あたしはニッコリと笑って頷いた。
(はい! お義姉さま!!)
 お義姉さまがナゼか一瞬、くらりと立ちくらみをおこされた。……ナゼ。
「よ……よ……よろしくってよッ!!」
 そして握り拳。……ナゼデスカ?
 よたよたとおぼつかない足取りで近づくあたしの、その伸ばした掌をグッと可憐な手で握りしめて、お義姉さまは爛々と輝く瞳でこう言った。
「ベル。今日からはこのワタクシが! お義姉さまであるこのワタクシが!! あなたの味方ですわ!!」
 あたしはとりあえず、おずおずと小さく頷く。
 お義姉さまの後ろには、ズラリと並ぶ美しい姫メイド達。
 最初に会った時には想像もつかなかったが、ものすごく力強い味方ができたようだった。
(……ねぇ、レメク)
 これを話せば、レメクはどういう反応をするだろうか。
 呆れるだろうか、苦笑するだろうか──それとも、優しく笑ってくれるだろうか?
(早い会いたいって言ったら……カミサマに怒られちゃうかな……?)
 もし、そんな存在がいるのならば。
 あらゆる元凶のくせに、まだこんな我が儘を思ってしまうあたしを。きっとカミサマは赦してはくれないだろう。
(でもね、レメク……)
 それでも、会いたいの。
 話したいの。
 体の奥の一番大事な場所で、トクトクとこころが騒いでいるの。
 けれど会えないのは、愚かで鈍いあたしのせいだから。
(……レメク)
 あたしはお義姉さまの手をギュッと握り返す。
 伸ばした掌を掴む手は違っていても、この温もりはレメクと同じ優しさに満ちている。
 見つめ返す瞳はレメクの瞳とは違うけれど、その強さはレメクと同じ強さを湛えている。
 あたしは唇を引き結んだ。
 感じているものを、目に映るものを、あたしは決して忘れてはいけない。

 もう二度と、同じ過ちを繰り返さないために。


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