9 最後のダンスは唯一人と |
アウグスタ。 未だ本名を知らないあたしにとって、国王陛下を表す名前はそれしかない。 神か悪魔の如く美しい貌に、思わず拝みそうになるほど立派な胸。 爛々と光る瞳は悪戯心が満載で、笑えば八重歯がキラリと光る。 美貌も気っ風も人十倍。おまけに殿方よりも遙かに男気を持ち合わせているという、ちょっと他ではお目に掛かれない女性である。まさに 露出狂でさえなければ。 (そのアウグスタに……娘!!) 「……ッ!!」 あまりのショックに、あたしはバターンゴンッと床に倒れた。 (ぅぉををを……) 倒れただけでは収まらず、ゴロゴロと廊下を転げ回る。 頭が大変痛いです。 「ベル!?」 「嬢ちゃん!?」 突然床に撃沈したあたしに、レメクとバルバロッサ卿がぎょっとなって駆け寄った。 「何事です!? というか今、すごい音がしましたよ……?」 「頭から行ったぞ今の! おい、大丈夫か……?」 ……ものすっごく痛いです…… 打ちつけたのは後ろ頭だ。レメクの足にぶつかることで回転が止まったあたしは、頭を抱えたままピクピクと震える。 (くぉぉお……) レメクは慎重な手つきであたしを抱きかかえ、できるだけ頭を揺らさないように注意しながらそっとあたしの後頭部に手を伸ばした。 (痛い!!) ビクッ! となったあたしに、レメクが慌てて手を離す。 「大丈夫ですか?」 全然ですッ! 固く閉じていた目を開けると、そこには心配顔のレメクのお顔が。 (いちゃいです! おじ様!!) 打ちつけてるってわかってるのに、なんでわざわざ触るんですか! 涙目で抗議するあたしに、レメクはそろそろとあたしの後頭部を覗き込む。 自然、あたしの顔はレメクの胸元に密着することに。うふふん。 「………………心配ないようですね」 嗚呼なぜでしょう。 声が一気に冷たくなりました。 「コブまで作ってるのに、なんであなたはそんなに……嗅ぐのはやめなさい、嗅ぐのは。王宮ですよ、王宮ッ」 頭を揺らさないように固定してくれていた手が、ワシッと掴みに変化する。だがそれでこの吸引を止められるわけが……いやしかしここは王宮なわけですぅーっすぅーっくんかくんか。 「…………」 あ。あ。なんでこめかみに両拳を押しつけるんですかイタイイタイ! 「に……にぎゃーッ」 じたばたじたばた。 「……レメク、それにベル……おまえら、場所ちょっと考えろ……」 馨しい匂いと目眩がするほどの痛みの狭間で揺れるあたしに、熊さんがそろっと進言する。 即座に痛みが緩和されました。 熊グッジョブ! 「あなたは本当に……いえ、もういいです……」 なぜかレメクががっくりと肩を落とす。 どういうことだろう? 首を傾げて覗き見ると、なにかとても遠い眼差しをされてしまった。 本当にどういうコトなんだろうか? 廊下に跪いてあたしを抱えているレメクと、ぺったり張り付いたままレメクをジトーッと見つめるあたし。 そしてそれを見守る呆れ顔の熊一匹。 いつもの光景ができあがった所で、ちょっと遠くからわざとらしい咳払いの音がした。 「……コホン」 訳【こっち向け】。 あたし達は揃ってそちらを振り向いた。 ……ああ。 視線の先に、目を丸くした美少年と、白い眼差しの美少女が一人。 そういや、いたんだっけ。あの二人。 レメクがあたしを慎重に抱え直し、すっくと立ち上がって二人に向き直った。 「殿下。それに、クレマンス伯爵。お話し合いはお済みですか?」」 「……むしろ、あなた様のほうの寸劇こそ『お終い』ですの?」 寸劇と言われた。失礼な。 ぎゅむっと唇を引き結んだあたしに、熊さんがぽつりと感想を零す。 「うまいこと言うなぁ」 重ね重ね失礼な。 むむっとしてバルバロッサ卿を睨むあたし。 レメクは何故かそんなあたしをじっと見てから「終わりのようですよ」と答えた。 ……むぅっ! 「そう……ですか」 あたし達の様子に、お姫様はちょっとたじたじになりながら頷く。 そうして、盛大に嘆息をついて少年伯爵を睨んだ。 「でしたら、ワタクシの方もお終いにしておきますわ。……後で、じっくり、お話をさせていただきますが」 うーわなんか強調されてるぞー…… お姫様の声前半で顔を輝かせ、後半で青ざめた少年伯爵に、あたしはちょっと半笑いになった。 あの二人の力関係はあまりにも明らかだ。 (……可哀想に) と、あたしの心でも読み取ったのか、お姫様がギラッとあたしを睨む。 (ぅおッ!?) 思わずレメクの腕の中で身構えてしまう。それほど、凄まじい一瞥だった。 (な、なんでそんなに敵意バリバリなわけ?) あたし、あのお姫様に何かしたっけ? お姫様はあたしをギンギンに睨みつけながら、レメクに向かって声をかけた。 「……ところで、クラウドール様。ワタクシ、先程聞き捨てならない言葉を聞いたのですけれど」 「聞き捨てならない言葉……ですか」 レメクはあたしとお姫様の様子に首を傾げつつ、ぼやくように呟く。 「もしや、『アウグスタ』の件ですか?」 「そうですわ! よりにもよって陛下をそのような名で呼ぶなど……!」 「陛下から直々にそう呼ぶよう言われているのですよ、ベルは。むしろ今更『陛下』と呼ぶ方が、あの方は嫌がるでしょう」 「!」 その言葉が余程ショックだったのか、ビリビリと敵意を迸らせていたお姫様がよろめいた。 なにやら顔が青くなっている。 「陛下が……直々に!?」 「ええ」 「その名で呼べと!?」 「そうです」 嗚呼、とばかりに嘆いてから、お姫様は儚げに立ちつくす。 薄暗がりの廊下で、その姿はちょっとびっくりするぐらい美しかった。 「なんということでしょう。ワタクシの婚約者を誑かすような子に、親しき名を呼ばせておいでとは……!」 ちょっと待てぇえッ!! 「誰が誑かしたってもぐもぐっ!」 ぬぁあああレメク何故口を塞ぐんですかもごごーッ!! 「もごぐもッ!」 「落ち着きなさい。声が少し大きくなっていましたよ」 「もごごッ!!」 「わかってます。わかってますから……落ち着きなさい。(あとで美味しいケーキを焼いてあげますから)」 最後の小声にあたしは即座に大人しくなった。 あまりにも素早いその反応に、レメクがパクンと口を閉ざす。 (ケーキ!) その麗しいお顔に向かって、あたしはキラリと目を輝かせた。 ケーキ! ケーキ!! この世で最も美しく、そして美味しく愛らしい食べ物! 溢れる期待に瞳がギラリ。そしてよだれがじゅるじゅるり。 あたしは握り拳を作ると、目を爛々と輝かせてレメクを見つめた。 とりあえず、本日食べ損なったガトーショコラを希望します! 『……了解です』 心の声で返答し、彼はお姫様へと向き直った。 動きにあわせて、フワンといつもの匂いがレメクから漂ってきた。 ……ぴすぴす。 「殿下。お気持ちはわかりますが、目を曇らせてはなりませんよ。この娘はクレマンス伯爵を誘惑したわけではありません」 ぴすぴす。 「まぁ! あなた様までそのようなことを仰いますか」 ぴす。 「殿下も本当はよくわかっておいでではありませんか?」 ぴすぴすぴす。 お姫様が沈黙した。 次いでその目がジトーッと少年伯爵を睨む。 ぴぷん。 (……ははぁ) レメクの首にかきついたまま、あたしは遠い眼差しを二人へと向けた。 どうやら今回のような行動は、伯爵にとってそう珍しいことでは無いらしい。 他にも何か思い当たる事例があるのだろう、お姫様は氷のような眼差しで少年伯爵を睨んでいる。伯爵の顔色はもう真っ白だ。 ……にしても、普通、パートナーそっちのけで他の女に声かけたりするかなぁ? (……そんな相手が婚約者だなんて……) あたしはピリピリしているお姫様を眺め、そっとため息を零した。 この姫様……ものすごく不憫かもしれない。 ぴすぴす。 「……ですが……」 苦い顔ながら何かを反論しようとするお姫様に、レメクは静かに言う。 「事実をきちんと把握し、認めることもまた必要ですよ。……それと、伯爵。時間がおありでしたら、後々に私からもお話が」 おや。どうやらレメクからも何やら『お話』があるらしい。 ぴす〜。 伯爵が一層青ざめたのが謎だ。 ぴすぴすぴす。 「そしてベル」 ぴす? 「……そろそろかまいませんか?」 顔をこちらに向けてもいないのに、レメクの指が過たずあたしの鼻をきゅむっと摘む。 ぴぷっ。 「にょっ!?」 あたしは反射的にレメクの手を両手で掴んだ。 引き剥がそうと全力で引っ張る! しかし! レメクの手は離れない!! 「っ! にょぅっ!」 一生懸命外そうするあたしに、レメクがツーっと静かな視線を送ってくる。 「「…………」」 しばし見つめ合うあたし達。 「……ベル」 「みょい」 「そろそろ、かまいませんね?」 「…………」 「かまいませんね?」 ……あい。 真っ直ぐに目を見つめたまま二度も言われてしまった。 さすがのあたしもこれには抵抗できない。もしかして弱点バレちゃんたんだろうかと思いつつ、あたしはしょんぼりと手を離した。 何故かレメクが心底安堵の表情になりました。 「さて……」 自分とあたしの服の皺を丁寧に伸ばし、レメクは唖然とした顔のお姫様達と苦笑熊を見渡す。 最後にあたしの所に視線を戻して、彼は穏やかな声でこう言った。 「そろそろ陛下が入場される時刻です。会場に戻ると致しましょうか」 もちろん、否など言えるはずがなかった。 お手洗いに出ていた時間はそれほど長くなかったはずなのに、帰ってきた大会場内の混雑たるや想像を絶するものだった。 恐ろしいほど広かったはずなのに、そのほとんどが人で埋まっている。 もちろん王都大通りのようなゴミゴミとした混雑では無く、人々の間にはゆったりとスペースが空いている。だが、それにしてもすごい人出だった。 (うわぁ……) おそらく、控えの広場にいた人達も全員集まっているのだろう。 着飾った紳士淑女の大集団は、まさに圧巻と言うべき迫力がある。 (すごいなぁ……) これだけ沢山の人がいるのに、一人として同じ色、同じデザインのドレスが無いのがまたすごい。 いったい、その一着にどれだけの金貨をつぎ込んでいるのか。 考えるだけで冷や汗が出そうなほどだった。 (……ここに泥棒さんが入ったら、きっとすごいことになるんだろうなぁ……) どこを見ても宝の山。全員の服を脱がせたら、いったい金貨何万枚分になるのだろうか? (あ〜……でも、あのお姫様のぐらい綺麗なドレスは、やっぱりそう無いのね……) あたしにはドレスの流行とか善し悪しとかはさっぱりだが、抜きんでて美しいものぐらいはわかる。 あの金髪のお姫様が着ていたドレスとかがそれである。 やはり王族の姫君が纏うものともなると、意匠も生地も他とは違う。 そういえば、アウグスタが着ていたドレスも、あの際どい露出はともかく、意匠も生地も大変素晴らしいものだった。 眼前の光景はと言えば、全体的にドレスは肩と袖口にフリルをあしらっているのが多く、高位だろう人達のドレスはそれが特に顕著だった。 おそらく、それがこういった場での流行なのだろう。 中にはフリルで手が見えなくなっている服まである。 ……あれはちょっとイタダケナイ。 逆にそういった装飾がかなり少ないドレスもあった。 それらのドレスは布地も地味で、形も少しシンプルだ。 それでもあたしから見れば素晴らしく美しいドレスなのだが、纏ってる人は少し身の置き所の無さそうな顔をしていた。 ……もっと自信をもっていいと思うのだが。とても綺麗で似合ってるし。 そんなことを思いながら、あたしは自分のドレスを見下ろした。 真珠の輝きを纏ったこのドレスは、銀糸も眩い一級品。 袖口には瀟洒なフリルが品良くあしらわれ、肩口には銀糸の縫い取りが鮮やかに輝く。 形はどちらかと言えばシンプルで、アウグスタが自ら「少し型は古いが」と言っていたのも頷ける。 大きい顔をしている貴婦人方の『フリルでちょっと膨張しちゃいました』的ドレスに比べると、ものすごくシンプルですらっとしているのだ。 ただ、お尻の上あたりにあるバッスルと呼ばれるものは立派だった。これは言うなればお尻の上あたりで布をふくらませ、鶏の長尾羽のようにスカートをゆったりとさせているものである。 ……さっきのバターンゴンッでも全くへこんでいないあたり、とんでもなく丈夫なようだ。 「どうかしましたか?」 ドレスをちょいちょいと摘むあたしに、宰相閣下の元に戻りながらレメクが声をかけてきた。 相変わらず周囲の視線を集めながらの移動だが、足早に歩くレメクには誰も声をかけられない。 目指す場所に宮廷内最高権力者ヴェルナー閣下が待っていれば尚のことだろう。 あたしはレメクに視線を戻し、首を傾げて言った。 「あのね、このドレスなんだけど、なんて言う仕立て屋さんが作ったものなの?」 その瞬間、ビシッとレメクが固まった。 ……およ? ささっと視線を見交わし近づこうとする貴族達に、慌ててレメクは歩き出す。 「……仕立て屋では……ないんですよ」 ……ないんですか。 スタスタと歩きながらのレメクの声に、あたしはいっそう首を傾げる。 なにか奥歯に物が挟まっているかのような声がとても気になる。 「趣味で仕立てとかしてる人がいるの?」 レメクの目がそっと逃げた。 何故でしょう。 「いるの?」 「……えぇ、まぁ」 ……だから、なんでそんな言いにくそうに言うんだろうか。 「あたしの知ってる人?」 「……えぇ」 レメクの頷きに、あたしは脳裏に知っている人達の顔を思い出す。 だが、その中で裁縫関係が得意で……こういったすごくイイ品を扱えるような人となると…… あれ? 何故でしょう。 男しか残りませんでしたよ? 「……ケニードとか?」 とりあえず最有力候補を挙げる。 しかし、レメクは首を横に振った。 「いえ? 彼にはそういった才能は無かったと思いますよ」 あれ? 違いましたか。 じゃあ、と次を挙げる前に、レメクがなんとも言えない苦笑を浮かべて言った。 「 …………。 ……。 (ポテトさんッ!?) 驚きのあまり声もないあたしに、レメクは半笑いで頷く。 「昔からこういった関連はとても上手だったんです。よく教わりましたよ、いろいろと……」 ……教わったんだ。 あたしはレメクをじーっと見上げた。 この名付け親子が並んでちまちま裁縫している所をちょっと見てみたいものでございます。 きっと素晴らしく眼福なことでしょう! うっとり。 「あのヒトの手で創られたものですからね、いったいどんな魔法がかけられているのやら……おそらく、あなたの丈に直したのもあの方でしょう」 おじ……じゃなくて、お義父様はなかなか手先の器用なお方らしい。 それにしても『魔法』って…… あたしはレメクを見上げながらなんとも言えない顔になった。 魔法と言うのなら、レメクのもつ紋章だってとんでもない『魔法』だと思うのだが。 すると、レメクはちょっと真剣な顔になってあたしに言った。 「……ベル。覚えておいてください。私達が扱っているのは確かに『魔法』と呼ばれるものに最も近い『力』です。けれど、『魔法』そのものではありません。……『魔法』とは、私達ごときで扱えるようなものでは無いんですよ」 「……どういうこと?」 あたしは首を傾げる。 正直、あたしには魔法も紋章術も同じようなものに見えるのだが。 「…………」 レメクは少し言いよどみ、あたしから視線を外して小さな声で言った。 まるで何か、恐れ多いモノを語るかのように。 「……『魔法』とは神代の力。それは人の手にあるまじき、人ならざる者の力です」 「あ。おかえりー」 人の海を泳ぎきり、ヴェルナー閣下の元にたどり着いたあたし達をケニードが笑顔で迎えてくれた。 あの凄まじい量の羊皮紙が無い所をみると、謎の輝く黒ずくめサンがどこかへ運んでいったのだろう。 会場に着いてから久方ぶりに見るケニードは、肌ツヤツヤで頬げっそりだった。 何故!? 「け、ケニード、その顔、どしたのッ!?」 「複写紋様術の使いすぎですね。……ただいま帰りました、閣下。それにアロック卿」 紋様術の使いすぎ!? 「お帰りなさいませ、レ……いえ、クラウドール様。お嬢様。バルバロッサ卿」 「お帰りなさい。……あははは〜。紋様術って精神力使いまくるからねぇ〜」 精神力使いまくり!? 驚きに口をパカーッと開けているあたしに、ケニードが情けない笑みを浮かべる。 「紋様術を使うには、三つの要素がいるんだ。紋様に関する正しい知識、 ……な、なるほど。 あたしは納得と同時に、呆れとも尊敬ともつかない眼差しをケニードへと送った。 そんな風にゲッソリするほど、限界ギリギリまでレメクの写真を撮りまくってたわけですね。君は。 その心意気に……敬礼! 「ところでお嬢様」 目をキラキラさせて互いに敬礼したあたしとケニードに、ヴェルナー閣下がおっとりと微笑みながら声をかける。 「先程、なにやら素敵な誘惑をされたそうですな?」 素敵な誘惑ぅ?? 途端にあたしの顔が渋くなる。 「もしかして、さっきの変な伯爵のこと?」 「……変な伯爵、ですか」 レメクが微妙な表情でどこか遠くを見る。 あ。その方向に件の伯爵を発見。 大会場には一緒に入ったけど、いつのまにか別行動となっていたもようです。 ……いや、別に一緒にいたいわけじゃないからそれでいいんだけど。 ちなみに隣の美しい姫君に睨まれて、ほんのりと青白かった。 「あ〜クレマンス伯爵でしたっけ。前国王陛下の妹君の末の公子様で、確か次期公爵の呼び声の高い方ですよね」 いつでもどこでも情報通なケニードは、さっきの場にいなかったのにスラスラと答える。 「たしか御年十三歳におなりでしたよね。フェリシエーヌ姫のご婚約者であられるのに、美しい女性を見ると声をかけずにはいられない御仁だとか」 「……十三歳にしてソレってどうなの……」 「うーん。あそこの公爵家は奥様方の上下関係がかなりきっちりしてるから、姫君のご不興をかわない限りお妾さん上等って感じじゃないかなぁ?」 ……お姫様は大不興デシタヨ。 たぶん、それでも懲りないんだろうなぁ、あの少年伯爵様は。 まぁ、どうでもいいコトなんだけど。 「バルバロッサ卿が走ってきた時には何事かと思いましたが……いやはや、あの一幕はしばらく忘れられそうにありませんな」 なにか楽しいことでも思い出したのか、ヴェルナー閣下がくすくすと笑う。 あたしの「?」の視線に気づいた閣下は、穏やかに微笑んで解説してくれた。 「お嬢様がご不浄を理由に退出されてしばらくした後、バルバロッサ卿が一人で戻って参りましてね。お嬢様を一人きりにするなどありえない方ですから、何事かと思ったわけです。そうしたら、クレマンス伯爵がお嬢様にどうやらご執心のようだ、と」 あたしはバルバロッサ卿に視線を転じた。 大熊さんはカクテルグラスをぱかぱか空けながら、「あん?」と目をぱちくりさせる。 「そう仰ってクラウドール様を連れて行ってしまわれたわけですな。ですが、なんとその時に、ちょうどおいでになっていたフェリシエーヌ姫もその話を聞いてしまったわけで」 わーお。 あたしは思わず半笑いになった。 (あー……だからお姫様あたしに敵意バシバシだったわけだー……) そりゃ、自分の婚約者が別の人に「ご執心」だなんて言われちゃ、腹も立つというものだろう。 おまけに、初めての夜会なのにちゃんとエスコートすらしないパートナーだとしたら…… …………うわ。マジで最悪かもしれない…… 「あの時の姫君のお顔は素晴らしかったですね。陛下と血が繋がっていないとは信じられないほど、怒りの表情がよく似ておいででした」 そう言ってどこか微笑ましそうに笑う閣下に、あたしは半笑いを深め…… ……あれ? なにか気になる単語あったような? 「……血が……繋がっていない、って?」 あたしの問いに、レメク以下四名は「あぁ」と声を揃える。 「フェリシエーヌ姫は陛下の実の御子ではありませんよ」 一同を代表してのレメクの言に、あたしは目と口を丸くした。 「あんなに似てるのに!?」 「ええ。だからこそ、陛下もフェリシエーヌ姫を養女として迎えられたのです。現在、王女殿下と呼ばれるお方は十一名。いずれも金髪の美姫とのことです。そして第一王女であられたマリアンヌ殿下から第十一王女であるフェリシエーヌ殿下まで、全員陛下の実の御子ではありません」 全員養女! てゆか十一人も養女迎えるって…… いったい、うちの王様の一家はどうなっているんだか…… 「陛下はああ見えて、とても一途な女性ですからなぁ……」 ヴェルナー閣下がどこか暖かいものを込めた眼差しでそう呟く。 男三人は互いに目を見交わし、なんとも不思議な微苦笑を浮かべた。 どうやら男達は、閣下の言う「一途」な部分をよく知っているらしい。そしてそれはどうやらとてもとてもビミョーなもののようだ。 「ねぇ、おじ様。アウグスタはまだ結婚してないのよね?」 あたしの問いに、何故かレメクがギクッと固まる。 ……何故ですか? 「そう……ですね。いなくなるまで何の進展もなかったですし、さらに今まで行方知れずだったわけですし……」 「???」 しどろもどろの言葉の意味が不明です。 それはともかく。 あたしは今まで『国王陛下のご結婚』などという話題は聞いたことも無かった。 というか、昔『王女様のご結婚』の話題は酒場であがったことがあるから、あたしはてっきりとうの昔に王様は結婚していて(この時は王様は男の人で、しかも年配の人だと思っていた)、王女様も沢山いるんだろうなーという風に思っていたのである。 が、実のところ『王様』はあのアウグスタ。 輝く美貌は二十歳前半ぐらいに見えるし、あの張りよし艶よしムッチムチの体だって、どう見ても二十歳前半に見える。 故に今までアウグスタの年齢も結婚のことも考えずにいたのだが…… 「そういえば、アウグスタって今何歳……?」 「考えてはいけませんよ、ベル。それは女性にとって大変失礼に値する疑問です」 エ。ナニおじ様その真剣な顔。 てゆか目がものすごく恐いですよ!? 「陛下がお一人でいらっしゃる理由はさておき。お年のことはもっとさておき。まぁ、お嬢様におかれましては、今後クレマンス伯爵のように誘惑をかけてくる殿方が増えてくることでしょうから、どうぞお気をつけください。……ということでこのお話はこれまでといたしましょう」 最年長者であるヴェルナー閣下の声に、レメク達はさっさと大きく頷いてしまった。 それぐらいアウグスタの年齢は禁忌なのだろう。 ……まぁ、いいけど。 なにやら釈然としないものを感じつつ、あたしも頷いて話題をきりあげた。 と、ケニードが何かを思い出した顔になって声をあげる。 「あぁ、でも。今年は『あの方』がおいでになるから、陛下もダンスを踊られるかもしれませんね」 アウグスタがダンス? 即座に頭の中に優雅に踊るアウグスタが浮かんだ。 見たい! それはすっごく見たいです!! 「むしろ、『あの方』が素直に舞踏の場に出てくださるかどうかが問題じゃあないかなぁ?」 「え。出てくれませんかね。陛下は最初だけ踊られるけど、それ以降は絶対踊られないでしょう? 今回は『あの方』もおいでになっていることだし、最後の踊りはお二人で踊られるものだと思っていたんですが……」 最後の踊り。 その言葉に、あたしは耳をピンとたてて身を乗り出した。 「最後の踊り、って、物語でよく王子様と王女様が踊るやつだよね?」 「そうですよ、お嬢様。あなたは十年後ぐらいにこちらのクラウドール様と」 「勝手に未来を決定しないでください、閣下」 「それは確定だからいいんだけど、それってすごい大事な踊りよね?」 「ええ。正式なパートナーと踊る最後の踊りは、それまでのものとは違って必ずお互いに寄り添いあって踊るダンスです。とても大事な踊りですよ」 力を込めて語るあたしと閣下の横で、レメクが「確定ですか……」と遠い眼差し。 それを無視して、閣下はしみじみと語り出した。 「思えば、私も陛下や殿下のラストダンスだけは拝見したことがありませんでしたな。前国王陛下の御代では誰が最後の踊り手になるかで熾烈な争いがあったというのに、今代の方々はあまりにも身が固すぎて一度も最後の踊り手を受け付けないというか……」 ふむふむ。 前の王様はいろんな美女を最後の踊り手にしてウハウハやってたのに、アウグスタや王女殿下達は最後の踊りを今まで一度も踊らなかったのですね。 「あれ? でも、結婚した王女様もいるんだよね? アウグスタの養女のお姫様の中で。その人も最期の踊りは誰とも踊らなかったの?」 あたしの声に、閣下は何故か一瞬真顔になり、すぐにほんのりと微笑んで頷いた。 「……ええ、わたくしは拝見していないのですよ。どの殿下方のものも。もともと、ここ数年はあまり長居せずにいましたし……」 そう言って、なにやら含みあり気な視線をレメクに向ける。 レメクは大変苦い顔だ。 そういえばレメクが王宮を去って以降、夜会に出るのも億劫になってきてたって言ってたっけ。 「願わくば、陛下と殿下……それぞれのパートナーを伴ってのラストダンスを見たいものです」 しみじみとそう締めくくった閣下に、あたしは真剣な眼差しで深々と頷く。 あたしを抱えるレメクは、どういう理由でかとてもとても苦い顔になっていた。 ……ナゼデスカ? 「おじ様は、アウグスタや王女様達が誰かとラストダンスを踊るのが嫌なの?」 顔を覗き込んで問うあたしに、レメクは目をぱちくりさせてから首を横に振る。 「いえ……そういうわけでは無いのですが……」 じゃあ、なんであんな苦い顔をしてたんデスカ。 「特に陛下に関しては、頼むからさっさとまとまってくださいといつも思っているほどです。……いいかげん、『あの方』も腰を落ち着けていただきたいものです」 ため息混じりのレメクに、聞いていた他一同が青い顔になった。 それに首を傾げながら、あたしはレメクをまじまじと見る。 「おじ様は、最後のダンスを誰かと踊ったことある?」 「いいえ。他のものなら請われた時に適当にお付き合いいたしましたが……さすがに最後のものだけは遠慮させていただいていました」 「ふぅん」 そのあっさりとした返答に、あたしは妙にホッとしながら相槌を打った。 誰もが大事にとっておく『最後のダンス』。 レメクがそうであったように、アウグスタもそのダンスをずっとずっと踊らずにいたのだという。 それはきっと、踊りたいと思う人が……その時自分の傍らにいてくれなかったからだろう。 だからアウグスタは、誰の手もとらずにずっと待っていたのだ。 唯一人の、大切なそのヒトを。 それはなんて素敵な一途さだろうか。 あたしは微笑む。 脳裏に浮かんだアウグスタに、思いのままに賞賛を送った。 おりしも会場内にファンファーレが鳴り響く。 女王陛下の来場を告げる高らかな声。 全ての視線を集めて、優雅な女王が会場内に足を踏み入れる。 傍らに従えるのは、闇の美貌。 絶世という言葉すら色あせるそのヒトと共に現れたアウグスタは、あたしが知るあらゆる全ての『彼女』の中で、最も美しく輝いていた。 (……あぁ) その瞬間、あたしは悟った。 彼女が待っていたのが、誰だったのかを。 (……アウグスタ……) 『王』を迎えるためにヴェルナー閣下が彼女のいる方へと歩み寄る。 同じく歩み寄るレメクに抱えられたまま、あたしは眩しい光景に目を細めた。 無意識にレメクの服を掴む手に力がこもる。 唯一人と並んで歩む黄金の女王── その姿はあまりにも眩しく、尊く、そして何故か── 不思議な既視感を覚える──そんな光景だった。 |
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