6 優しさと矜持

 夜会のメインと言えばダンスである。
 着飾った紳士淑女は広間の中央へと繰り出し、絶え間なく流れる美しい音楽に身を任せていた。
 上品に笑いながらクルリと回るおねーちゃん。
 身なりの良い男の人がそれに合わせて、流れるように動いてみせる。
 二人は手に手をとって密着すると、スィーッスィーッと泳ぐように別の場所へと消えていった。
「……ほぇ〜……」
 一連の動きの滑らかさに、あたしはただ嘆息をつく。
 あたしが居るのは、アウグスタが用意してくれた休憩所の端っこだった。
 端っこと言っても内側のことではない。大広間と休憩所を区切るやたらと重くて厚い布の中だ。
 重たい布と薄いベールを使って作られた休憩所は、本当の意味では『部屋』になっていない。けれどその布をめくって入ってこようとする人間はいなかった。
 出入り口となるのは薄いベールで隔てられた一方だが、そこにはケニードとバルバロッサ卿がいる。よほど弁が立つのか、中に勝手に入らないよう牽制してくれているようだ。
 まして今、この中には宮廷の長とも言うべきヴェルナー閣下がいる。そんな場所に、無理やり割り込もうとする人もいないだろう。
 閣下の登場はケニード達にとって有難かったに違いない。
 とはいえそんな風に人集りができていると、あたしの方も広間を見に行けなかった。
 レメクに恥をかかせるから外に出たくは無いが、あたしだって『王宮の舞踏会』とやらを見たいのである。
 そこであたしは考えました。
 人集りが出来ているのは、出入り口部分。ということは、出入り口部分以外の三方から広間を覗き見すればいいのである!
 出入り口とは違い、三方は深い藍色のどっしりとした重い布で仕切られている。たっぷりとゆとりをきかせたその布をかき分け、目の所だけをちょろっと覗かせて、あたしは広間を見ているのである。
 あ。誰かと目が合った。
 ぱちくりと瞬きしたあたしに、目が合ってしまった相手もパチクリと瞬きをする。
 あたしよりちょっと年上だろうか? なかなか綺麗な顔した男の子である。
 すごくイイ服を着てるけど、あの子もレメクが言っていた『地方貴族の子供』だろうか?
 首を傾げながら、あたしはそそくさと布をかき分けて中に戻る。
 服の裾を踏まないよう気をつけながら布の海を脱出すると、ベッドもどきに並んで座っていたレメク達が微苦笑を浮かべてこちらを見ていた。
 どうやらあたしの動きをじっと観察していた様である。
「探検の成果はいかがでしたかな? レディ」
 おっとりと尋ねてくるヴェルナー閣下に、あたしは満面笑顔で歩み寄った。
 よちよちよち。
「すごく綺麗だったわ! あのね、女の人がクルッて回るとね、スカートがふわって浮くの」
 よちよちよち。
「この滑りやすい床でどうやったらあんなにスイスイ動けるのかな。お互いの顔しか見てないのにね、全然足とか服とか踏まないの!」
 よちよちよち。
 ちまちまと歩いて近づくあたしに、レメクが苦笑を浮かべながら立ち上がる。
 近くに来て手を差し出してくれたので、あたしは素早くその腕の中に飛び込んだ。
「おじ様! あたしもあんな風に踊ってみたい!」
「その前に、あなたはまず普通に歩けるようにならないといけませんね」
 レメクは苦笑しきりだ。
 あたしを軽々と抱き上げて、何故か左腕の上に座らせる。
 およ?
 そして閣下を振り返った。
 おりょりょ?
「では、閣下」
 あたし達の姿にニコニコ微笑っていた閣下が、レメクの声にゆっくりと腰を上げる。
 レメクの隣に並ぶと、あたしにニコッと微笑みかけて言った。
「参りましょうか」
 なんですと!?
 あまりにも唐突に言われて、あたしの思考が真っ白になった。
「(ちょちょちょ)」
(ちょっと待って心の準備が、てゆかやっぱりお外に出ないと行けないのね!?)
 心の叫びを受け取って、すぐ近くにあるレメクの目があたしの目を覗き込む。
「無難な過ごし方は教えたはずです。……覚えていますね?」
「う……うん」
 頷きながら、あたしは小さく首をすくめた。
「黙って笑っていればいいのよね? 何か問われて答えに困ったら、おじ様にピタッてひっついて顔隠すのよね?」
 しおしおと肩を落とし、心許なげに確認するあたし。
 レメクは淡く微笑んだ。
「基本的には、そうなります。……本当はこんな方法は良くないのですが、今晩だけの辛抱ということで我慢してください」
「……うん」
 小さく頷くと、レメクはわずかに眉を下げる。
 どこか心配げなその顔には、少しだけ哀れみが混じっていた。
「……こんなことに巻き込んでしまって、申し訳ありません。本来ならこんな真似はしたくなかったのですが……」
 あわわわわ。
「い、いいわよ! うん。ほら、なんて言うか、一生に一度できるかどうかっていう経験だし! おじ様の一生の恥になっちゃうっていうのが恐いだけで……」
「そんな心配は無用です。前々から言ってますが、あなたが傷つかなければそれでいいんです」
「いや、あたしも前々から言ってるけど、おじ様の恥にさえならなければあたしはそれでいいんだって」
「恥など……何を恥とする必要があるんですか? あなたは、多少不思議な方向に暴走する癖と、未知の領域に空想が飛躍するのと、言動が今ひとつ子供らしくないこと以外は、何一つ恥ずべき所のない子供ではありませんか」
 ……その三つの要素は恥なのか?
 胡乱な目になったあたしに、レメクは全然気づかない。
「彼等に『あなた』を見せておく必要があるからこそ、こうして見せ物のようにあなたを連れ回しています。ですが、今夜一夜だけと必ずお約束します。例え誰に何を言われようと、今夜以外にあなたをこのような目にあわせたりはしません」
「……しかし、レ……いえ、クラウドール卿。それでは納得しない方々もおられるのでは?」
 レメクの声に、閣下がどこか難しげな顔で声をあげる。
 だがレメクはきっぱりと言いきった。
「幼い子供にこのような事を強いるなど、本来あってはならないことです。何と言われようとも、私は拒否いたします」
「ですが、応えなければ『侮られた』と思う者も出ましょう」
「それがなんですか」
「……」
「貴族の矜持ごときに、ベルをつきあわせるつもりはありません」
「……貴方のことも、どう言われるかわかりませんよ?」
「かまいません」
 ハッキリと言いきったレメクをひたと見つめ、閣下はふと口元を笑ませた。
「……そこまで仰るのでしたら、わたくしからは、もはや何も言いますまい」
 いや、マテマテ。
「いや、ちょ、ちょっと待って……待って、おじ様。あたし、おじ様が誰かに悪く言われるの嫌よ?」
 レメクの服をギュッと握って、あたしはじっとレメクを見つめた。
「おじ様が、あたしが傷つかないように、って……気遣ってくれるのはわかってる。それはわかってるの。でもおじ様、あたしもおじ様が誰かに傷つけられるのは嫌。影でこそこそ言われちゃうの、嫌なの」
 レメクもあたしをじっと見る。
 その、綺麗な綺麗な明け方の空の瞳。
「おじ様が『それでかまわない』って言っても、あたしがそれを嫌なの。……ねぇ、おじ様。それはきっと、おじ様があたしを気遣ってくれてるのと、おんなじ気持ちだと思うのよ」
 レメクがちょっと目を瞠る。
 その瞳を覗き込んで、あたしは思いの丈を込めて言った。
「誰かにあたしが笑われたとしても、そんなことで傷ついたりしないわ。そ、そりゃ、ちょっと悔しかったり辛かったりするかもしれないけど……その程度で折れちゃう矜持なんて、あたし、持ってないもの!」
 大切なのは、目の前の人。
 強くて優しくて寂しがりやで暖かい……この人さえ変わらず輝いていてくれれば、誰に笑われたって構わないのだ。
 もしかしたら、この気持ちは憧れとか尊敬とかに近いのかもしれない。
 大好きだけれども、それだけでは到底言い表せないいろんな気持ちが体の中にあって、その全てでこの人の輝きを守りたいと思うから。
「……私も」
 ふと、レメクが声を零す。
 どこか呆とした眼差しが、あたしの目を見つめていた。
「あなたのことで、例え誰に何を言われたとしても……それで傷がつくような矜持など、持っていません」
『あなたは……』
 コトリと何かが零れるようにして『声』が聞こえる。
 暖かくて、なぜか少しだけ切ない声が。
『私の……』
 私の?
 あたしは首を傾げる。
 けれど、声はそれ以降伝わってはこなかった。
 ただ、途轍とてつもなく暖かい気持ちが伝わってきた。暖かくて、けれどどうしてだか、涙が出そうなぐらい心を揺さぶる熱が──
「……ふむ。ならば、何の問題も無いようですな」
 ふと聞こえてきた声に、あたし達はハタと我に返った。
 思わず同時にそちらを見ると、なにやら大量の羊皮紙を懐に仕舞うおじいちゃまが。
「か、閣下」
 レメクがちょっと焦った顔になった。
 顔を上げてニコッと笑った閣下に、あたしは軽く首を傾げる。
 ……さっきの羊皮紙の束。なんか、ケニードのアレに似てるんだけど……?
(閣下も『複写紋章術』を使える……とか?)
 あたしはジッと閣下を見つめる。
 もしかして、閣下もレメクマニアなのだろうか。お年から考えるに、あたし達の先輩と見るべきかもしれない!
(……後でぜひ物々交換を!)
 あたしの目がキラリと輝いた。
「さて」
 その閣下の声に、暑くもないのに汗をかきはじめていたレメクがちょっと後退る。
「お若い方の時間は後の楽しみにしておいて、まずは次の戦いをどう制するかを考えましょう」
 ……どういう意味だろうか?
 首を傾げたあたしに、閣下は晴れやかに笑う。
「なに。夜会とは絢爛豪華な戦なのですよ。人々は互いの持つあらゆるものを賭けて駆け引きをするのです。……ここで最も重要視されるのは、情報でしてね。それは何も真実に裏付けされた『情報』でなくても良いのです。そう……いわば、噂でいいのですよ。新しい噂、珍しい噂、貴重な噂。そういったものを持った者が勝者となるのです。人々はその人を称え、その人に注目し、その人は沢山の人に認識され、人脈を得るのですから」
 そこで、と閣下は声を潜める。
「貴方様方に関してですが、お二人の場合この度の夜会は最上の舞台と言えるでしょう。注目度も目新しさもその貴重さも、全てが他の『噂』よりも抜きんでています。例えば……」
 そこで言葉を区切って、閣下はちょっと引き気味のレメクに掌を向けた。
「もともと数多の方から誘いをかけられながら、一度として夜会に出席しなかった方の登場」
 次に掌はあたしに。
「そして、数十年に一人世に現れるかどうか、とまで言われたメリディス族のレディ。この組み合わせは、それだけで大変な注目をされます。おまけに見栄えも大層良いですしね」
 うん。それはもう、実体験しちゃいました。
 あたしは出入り口のほうに視線を馳せる。
 ……なにしろ、あそこにも人集りができちゃってるほどですから。
「おまけに、お嬢様に関しては実に様々な噂が出ています。レン……いえ、クラウドール卿の元に貴女が居るという噂が流れたのが、今から一月半ほど前。その後、クラウドール卿の応対で爆発的に増えてしまった憶測の類がかなりの数に上ります」
「憶測の類?」
 声を上げたあたしに、閣下はニコッと笑う。
「ええ。最たるものは、レ……いえ、クラウドール卿が、どこかのご令嬢との間に御子を儲けられていた、という噂です」
「!?」
 ショックのあまり顎を落としたあたしに、レメクが慌てて声を上げた。
「噂です! 違います! ……違うと言ってるでしょう!」
 しかし、その慌てっぷりがかえって嘘くさい。
 あたしは絶望的な目で彼を見た。
「だから、あなたがその子供だと思われたんです! 言ったはずですよ!? 私に妻子は無いと!」
 あぁ、そういえば。
 あたしは開ききっていた口をパクンと閉める。
 そういえば、出会った最初の方でそんな話をしたんでした。
 ……いやでも、世の中には結婚してなくても子供のいる人もいるわけで……
「だから、あなたがその子供だと思われているという時点で、誤解も甚だしいと気づいていただきたいのですが!?」
 レメク、必死。
 なぜかヴェルナー閣下がほんのりイイ笑顔になっていた。
「閣下!」
「……とまぁ、こんな風に事実無根な噂が宮廷で流れるようになってしまいまして。ご息女を頂きたい、などと言われることもあったそうなのですよ」
 非難を込めたレメクの声に、閣下はニコニコとあたしに笑いかける。
 あたしは「なるほど」と頷きながら、密かに感服していた。
 ……閣下。確かケニードのお話では、いつもつれなくされてたとか。
 さては意趣返ししてますね?
 おじいちゃまは大変イイ笑顔だ。
「そんなクラウドール卿を助けるためにも、この戦は制さなくてはなりません。……お嬢様、あなたの協力が必要なのです。なに、クラウドール卿にペッタリくっついていればいいだけですから、難しくはありますまい? あと、そうですね……隙を見て頬にでも祝福をしてあげれば、尚良いですね」
「閣下!」
「祝福って?」
 声を上げるレメクとあたし。
 閣下はあたしの方だけに笑顔を向ける。
「キスをしてさしあげるのですよ」
 あたしの目がギラッと輝いた。
「そうやって、とても親密だというのを周囲に知らしめるわけです。娘疑惑はクラウドール卿が必死に否定してくれますからね。やっていただけますか?」
「もちろん!」
 閣下はにっこりと微笑み、レメクに向かって「さぁ、これで準備万端です」と言わんばかりに頷いてみせた。
 レメクがとてもとても渋い顔。
「言っておきますが、そういった行為はこのような場でするべきことではありませんよ」
「なにを仰いますか。周知する必要がある場合、敢えて成すのが良策です。百聞は一見にしかず、という古の言葉をご存じでしょう?」
「意味が違うと思いますが」
「広義においては似たようなものです」
 ピシャリと言いきって、閣下はあたしに向き直った。
「さぁ、では夜会を制しに参りましょう。大丈夫ですよ、お嬢様。不肖なる身ではございますが、わたくしもお傍におりますからな。レン……いえ、クラウドール卿ともども、わたくしの命をかけてお守りいたしましょう」
 晴れやかに笑って言うおじいちゃま。その素敵発言にウットリと微笑んで、あたしはレメクへと視線を向けた。
 さぁ。
 さぁ、おじ様。
 おじ様もここで何か、ズキュンッとくるセリフを一発!
 目を輝かせてお願いすると、なぜか不機嫌そうな顔で睨まれる。
 ペチコ。
「……ちょぁー……」
 叩かれたおでこを押さえて呻くあたし。
 閣下はそんなあたし達を見て、はんなりとした笑みを浮かべてこう言った。
「……貴方様も、照れるということをなさるのですね……」
 レメクがものすごい目で睨んでいた。

 ※ ※ ※

 休憩所から大広間に出る時、あたしはこう思いました。
(どうせ広間に出るんだったら、さっきのあたしの冒険は何だったのだろうか)
 けれど大広間に出た後、あたしはこう思いました。
(……嗚呼、あの時見ておかなかったら、きっとコレがふつーの舞踏会の光景だと思っちゃったんだろうなぁ……)
 流れる音楽こそそのままに、けれど踊っている人が一人もいない。そんな舞踏会が、今ここに!
(……いや本当、おじ様、王宮でどういう存在なの……?)
 胡乱になる目を伏せて隠し、あたしはこっそりとレメクに『声』を送った。
『おじ様、すごーくモテモテね?』
 休憩所から出た途端わらわらと群がってきた人々は、どう少なく見積もっても全体の半数以上にのぼる。
 踊り手を失った音楽が、それでも綺麗に鳴り響いているのがすごくシュールだ。
『再三言っているように、時期が悪かっただけです』
 時期が悪いだけで、こんな人集りになったりするだろうか?
 ……ならないと思うなぁ……
 一応、広間の端っこには音楽にあわせて踊ろうとしている人もいる。たぶん地方貴族の方々だろう。人の視線がこちらに集中しているのを利用して、一生懸命ダンスの練習をしているようである。
 ……羨ましい。
 あたしはレメクの腕に座ったまま、遠いそちらに思いを馳せた。
 歩くことさえ満足にできないあたしではあるが、ダンスにはものすごく憧れているのだ。
 そう、おじ様と手に手を取って踊れたなら!
 それはとっても素敵だろうなって思うのだ!!
(……いいなぁ……!)
 現実を思うと涙が止まりませんが。
 そんなあたしを腕に座らせているレメクは、方々ほうぼうを相手に応対中だ。
「……いいえ」「違います」「いいえ」
 ……なんだか否定ばっかりしています。
 一人対多人数であちこちから質問されているからなのだろうか? 似たような質問が相次ぐせいで、否定回答が多いらしい。
 もちろん、問いの中身は「ご息女ですか?」とかだ。
 にしても、本当にそういう噂が横行してたんだなぁ……
 あたしはちょっと遠い目になった。
 レメクは御年三十二歳。そう思われても仕方がない、ということだろうか。
(それともまさか)
 ハタとあたしは思い至る。
(レメク、意外とお手々の早い人だったり?)
『違います!』
 思った瞬間に、ものすごい否定が飛んできた。
 だがしかし、ならば何故このような誤認が広がっていたのか。
 本来なら『極稀な』メリディス族の子供でさえ、もしかして娘さん? などと言われるということは……
 そう! レメクならメリディス族の子供がいても不思議じゃないと思われたということで……
 ということは、嗚呼! つまり、イロイロと……!!
『違いますッ!!』
 さっきよりも早く強烈な否定が飛んでくる。
 なんでそんなに必死なのだろう。ちょっと問いつめたい気分です。
 あたしはギラリと目を輝かせる。
 けれどあたし達の脳内バトルは不発に終わった。
「しかし、メリディス族のご令嬢とお会いできるとは……幻と言われるだけあって、ここ二十年ばかり噂も聞きませんでしたからな」
 質問では無く話題として、あたしの一族名が出てきたのである。
 思わずビクッとなったのは、あたしのことを根掘り葉掘り聞こうという意図が伝わってきたからだ。
 反射的にレメクの首にすがりついたあたしの背に、暖かい手がポンと添えられる。ポンポン、と軽く叩くのは、心配するなの意思表示だ。
「本人は至って普通の子供ですよ。多少珍しい色の髪をしていますが、その程度です」
「いやしかし、一族は総じて類い稀な美貌だとか。曰く、妖精の如く美しい、と」
 これはもっと顔を見せろという催促だろうか?
 それとも褒めてくれているんだろうか?
 あたしはレメクの首に顔を伏せたまま、心の中で「?」を飛ばす。
 極稀な一族の、さらに稀な美人さんが有名だったのか何かだろうが、同じ一族だからって一緒くたに『きっと美人』だとか思わないでいただきたい。
 こっちは普通の子供です。
『……いえ』
 なぜかレメクから控えめな否定が飛んできた。
 どういう意味ですか?
「はは、しかし、そのようにされてはお顔を拝見することも叶いませんな」
 レメクの首に顔を埋めている(グッジョブ)あたしに、人垣の中の一人が笑いながら言う。追従する声もあがるが、アウグスタ級の美人さんならともかく、このあたしに顔が上げれるわけもない。
 てゆかですね、メリディス族だから美人って決めつけて、そんな話題の最中に顔上げろなんて催促しないでいただきたい!
「申し訳ありませんが、このように大変恥ずかしがり屋でして」
 微動だにしないあたしに、レメクがさらりと助け船を出す。
 そう、今のあたしは恥ずかしがり屋で、初めての夜会に気絶しちゃうぐらい繊細なお嬢様なのである。
 なのでこんな風に、わりと早くからレメクに密着して、質問攻撃から逃げていても不思議では無いのだ!
 ええ。貴族様方が恐くてとっととトンズラしたわけではありませんよ!?
 もちろん、公衆の面前でレメクに密着できるイイチャンスだとかも思ってません!
 本当です!!
『……ベル。あとでちょっと、お話が』
 素早く飛んでくるレメクの『声』。
 嗚呼、世の中って難しい。
「ははぁ……しかし、クラウドール卿はずいぶんと慕われたものですなぁ。いや、羨ましい」
 ははは、という明るい笑い声は周囲から。
 ちなみに、レメクは一度も笑っていません。愛想笑いも無いよ、この人。
 しかし、そう思った途端、思わぬ所で奇跡が発生!
「……ええ、こうして慕ってもらえるのは嬉しいものです」
 微笑ったぞ。今この人微笑ったぞ。
 顔は見えないけど気配でわかる! 絶対ほんのり微笑ったぞ!!
 その証拠にどよめきが起こったのだ。間違いない!
(あぁああああたしも見たかったぁあッ!!)
 あたしは心の中で悶絶した。
 いや確かにあたしは度々笑顔見てるけど!
 見てるけどもっともっとと言うか笑顔全部見尽くしたいんです!!
 あたしは素早く顔を上げると、まだちょっぴり微笑みの余韻を口元にはいているレメクを観賞。
 よし。脳内保存。
 そして素早く行動に出た。
 ちゅ。
 ちょっとズレて顎あたりになっちゃったけど、一応これもほっぺにチューだ。
 どよめきが三倍増しになったが、そんなことはどうでもいい。
 ひとまずあたしは元の定位置へ。ちょうどレメクの背後にいた閣下と目が合った。
 閣下は輝く笑顔でサムズアップ。
 あたしもこっそりサムズアップ。
 互いにお目々をキラキラリ。
 なぜかレメクは何の反応もしてくれませんでしたが。
 ……てゆか、あれ? なんか動き止まってる?
 あたしはチラッとレメクを見た。
 レメクの時が止まっています。
 もう一発ブチューッとやっていい?
「!」
 あ。気づかれた。
 十秒ぐらい固まっていたレメクは、ぎょっとした顔であたしを見る。明らかに怯んでいるが、何故怯まれているのかがわからない。
 まぁ、いいや。
「ベ……!」
「ああ、レメク、レメク。ちょっといいか? 閣下がお呼びなんだが」
 何か叫びかけたレメクを遮って、大きな熊さんが突如出現。
 いや、本当はすぐ傍にいたんだろうけど。今まで全然気づきませんでした。
 ……この巨体が不思議なほど、気配消しちゃうんだなぁ、これが。
 しかし、閣下が呼んでいるとはどういうことだろうか。ひょいと閣下を見ると、閣下は「わたくし?」と言わんばかりの目で自分を指さしていた。
 だが、瞬きする間もなくにっこり笑顔になって、それっぽい顔に変身する。
 何だろう?
「閣下が?」
 レメクがくるりと後ろを振り返る。
 自然、あたしは今まで背を向けていた人々に顔を見せるハメに。
 おお、というどよめきに、あたしはとっさに俯きかけ……
 気を取り直して、とりあえずにっこりと愛想笑いした。
 そしてそそくさと体勢を立て直し、閣下にちょこんと向き直る。
 で? お呼びって?
「あぁ、クラウドール卿。一つお願いしたい事があるのですが」
「(衆人環視の前で、いつもみたくワァワァやるわけにゃいかんだろうが)」
 なぜかちょっと声を大きくして言う閣下。その声に隠れて、ぼそぼそと熊さんが横でぼやく。
「(それなら、ベルの動きを止めていただきたいですが)。なんでしょうか?」
 ぼそぼそと返しながら、レメクが閣下に首を傾げた。
「(あの突発行動をどうやって止めるっつーんだよ、てゆか嬢ちゃんもちょっと場面考え……)」
「お二人の結婚式には、ぜひわたくしが介添えを」
「「なんのお話です!?」」
 レメクと熊さんが同時に叫ぶ。
 バルバロッサ卿のフォローは裏目に出たようです。
 上がったどよめきは先に何倍あっただろうか。
 音楽が完全にかき消された所をみると、相当な音量だったと推測されます。
 ……爆弾発言もここまでくるといっそ見事だ。
「クラウドール卿! で、ででででではあの噂は本当だったのですね!?」
「いや、まさか! 貴方ほどの方が……!!」
「ご自分で育てて収穫を!?」
「ではさっきのはそういう意味での接吻で!?」
「さすがです! まさかそこまでとは!!」
「お待ちください! うちにもそれなりに美しい娘が!」
「いえ! 我が家にも同じぐらいの年頃の娘が!」
「普通の年頃の娘ではいけないのですか!?」
 とたんにドッと押し寄せてきた人々の熱気に、さすがのレメクも思わず後退る。だが、彼の冷静さはこういう時にこそ発揮されるものなのだろう。
「待ちなさい。私はまだ何の返答もしておりませんよ」
「師匠と呼ばせてください!」
「何の師匠ですか!」
 三秒と持たなかったが。
「おまえはどうして嬢ちゃんが関わると冷静じゃないんだ……。つーか、閣下ぁ……この事態どうするつもりですかー」
 いつものクラウドール邸のやりとりのような言い合いをしはじめるレメクに、遠目になったバルバロッサ卿が閣下に非難の目を向ける。
 珍しく『言い合い』の観客になっているあたしは、レメクと閣下を交互に見つめた。
 と言うかですね、言い合いに参加してる一部の人以外、全員がすごいびっくりした顔になってるんだけど……どうしてでしょう?
 ……いや、たぶん、レメクとあたしの関係を誤解してビックリなんだろうけど……
「どうするもなにも、こういうことをやりたくて陛下はレン……いえ、クラウドール卿をお呼びしたわけでしょう? こちらのお嬢さんとのやりとりを拝見して、わたくしも得心を致しました。それに、で……ぁあ、ゴホン、クラウドール卿の雰囲気が前と全然違っておられましたからな。こういう場面を見せておくのも良いかと思ったのです」
「……閣下」
「ご覧ください。あぁやって一生懸命発言を撤回させようとすればするほど、常のあの方との違いに、人々はかえって納得をしてしまうのです。素晴らしい認知のさせ方だとは思いませんか?」
「……閣下」
「ついでにわたくしの希望も叶えていただければ、これに勝る幸せはありません。……あぁ、できれば名付け親にもなりたいのですが、こればかりはお許しいただけないでしょうなぁ……」
「……閣下ッ」
 夢見るおじいちゃんの横で、大きな熊さんが頭を抱えている。まるでレメクと閣下のやりとりのようだ。
(それにしても……)
 あたしはワァワァ言い合っているレメクを見上げてから、ついと周囲を見渡した。
 さっきから気になっているのだが、ケニードの姿が見えません。いつもなら、絶対にレメクの傍に……
 …………。
 ……あぁ……うん……
 あたしは真正面の一角に目を止め、小さく親指を押っ立てた。
 いました。
 いましたよ。
 光速の複写術師様が。
 手も霞むほどの早さで何十枚(何百枚?)もの『写真』を増産しているそのお人は、一瞬だけあたしに親指を立てて作業に戻る。
 そしてその隣には、助手の如く控える謎の黒ずきんさんが。
(……あれは……どう見ても、ポテトさん……)
 ……てゆか顔が見えないほど深くフード被ってるのに、なんであんなにキラキラしているんだろう……
 あたしは遠い目になってその黒ずきんを見つめた。
 顔が見えないのに美形の輝き。あの一角だけが妙に眩い。
 あのヒトの謎美貌は、きっと袋詰めにしても輝くに違いない。……なんかヤだ。
 あたしは視線をレメクへと戻し、もう一度閣下達の方を見た。
 閣下は輝く笑顔で大きく頷く。
 スキニヤッテイイヨ。
 そんな言葉が顔に書いてありました。
 あたしもしっかりと頷きを返す。
 バッチコイ。
 そう顔に書いておきました。
 折しもレメクへと視界を戻したあたしに、とても立派な初老の女性が勢い込んで声をかけてくる。
「そ、それで、ねぇ、そちらのお嬢さん。お嬢さんは、クラウドール卿のこと、どう思っていらっしゃるのかしら!?」
 こんな質問されたところで、あたしに何か気の利いた答えが返せるはずがない。
 なのであたしは、全身全霊、心の底から、本音を言わせていただきました。
「大好き!」


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