三章 魔法使いの孤独

 バルドがよほど上手く誘導したのか、それとも別の理由からなのか、伝令到着と同時に一目散に撤退した駐屯兵の姿に、ゼノは殴られた頬を抑えながら「ほぉ」と相好を崩した。
「さっすが俺の兵達。早い早い」
「……頭が平和だな、ゼノ」
「む? なんだその言い方ぁ」
 いつになくトゲトゲしているルディに、ゼノスは盛大に眉をひそめた。ルディは不機嫌そうな表情のまま眼下の光景を見下ろす。
「あいつらは、単にオレの魔法が怖くて走ってるだけだよ。大男も怯える王国一の魔導師だ。巻き添えくって死ぬのが怖いんだ」
「……ルディ」
「そんな顔したって、本当のことには違いないだろ? こんなの、毎回のようにあることだし。……知ってた? 魔導師ってさ、世間じゃ人間とは認めてくれないんだよ」
「…………」
ゼノスは静かにルディを見た。そんなことは無いと、そう言うには彼は世間を知りすぎていた。
「世間の評判が大きくなればなるほど、反動も大きくなるんだ。片方で『魔導の君』だなんて持ち上げておいて、片方で『化け物』だって見下げてる。……魔法使うときなんか最悪だ。好奇心だけで勝手に覗きに来ておいて、あとであんなのを使えるのは人間じゃない、なんて言うんだから」
「……それは、」
「……一昨年は石をぶつけられた」
「!」
「気味が悪いから近づくな、だってさ。だったら、初めからオレの力なんて頼らなければよかったのにな……」
 皮肉げに笑ったルディは、ゼノを見上げてちょっとひるんだ。目の前に、恐ろしく怖い顔をしたゼノがいた。
「……ゼノ?」
「誰がお前に石なんかぶつけたんだ!」
唸り声のような怒声に、ルディはびっくりして目を見開く。
「……え、あの……」
「誰だ!?」
「あ……青騎士団長」
 迫力に負けて答えた途端、目の前の顔にハッキリとわかる青筋が浮かんだ。よく日に焼けた精悍な顔が、奇妙にどす黒くなっている。ルディは、なぜか「ぶちのめす!!」という文字をその顔に見てしまった。
「あンの野郎……俺のところに任務がまわってきたのは、ルディの我が儘を見越してのことかと思ってたが……そうか、そういうことか……………………………ミテロヨ……」
最後の限りなく黒に近い声色に、ルディは眉をへの字のしてゼノスを見上げた。その口元がぴくぴく動いているのは、泣き笑いに崩れそうになる顔を必死で留めているせいだ。
(……か、変わらない!)
 自分が魔力持ちの人間だとわかったときも、魔導師として初めて依頼をこなしてきたときも、他の誰でもなく、彼だけが自分が本当にしてほしかった態度をとってくれた。家族として愛してくれた。どんなに日にちが経っても、どんなに周りが変わっても、ゼノスのその態度だけは変わらなかった。彼の魂だけは変わらない!
(……ゼノ……!)
嬉しさで涙が出そうな気持ちをグッと堪え、ルディはギュッと目を瞑った。嬉しかった。今でもそうやって自分を『人間』として、『子供』として見てくれることが泣きたいほど嬉しかった。
 けれどそれを表に出すことができない彼女は、必死で呼吸を整えてからゴホンと嘘臭い咳払いをした。ゼノスが顔を上げてこちらを見るより早く、くるりと背を向けて杖を取り出す。
「さ、さっさと終わらせて、家に帰ろう。な?ゼノが帰ってくるの、みんな待ってるからさ。嫌なことなんか忘れて。オレも……オレは、ゼノがいてくれれば……それで嫌なこと全部忘れれるから」
「ルディ……」
 背を向けて歩き出すルディに、ゼノスは目を細めた。女の子としての成長が限りなく無いに等しい彼女は、後ろから見ても男の子にしか見えない。それでも彼女は女の子なのだ。しかもまだ幼い……自分にとっても、大事な大事な……可愛い女の子なのだ。
「……ルディア」
 名を呼んで、ゼノスは小さなその体を腕の中に抱きしめた。華奢な肩が、ビクッと大きく跳ね上がった。
「……無理なんかしなくていい。嫌なこと全部、忘れれるわけないだろう? そんなの無理に決まってるだろう? 忘れたふりしたって、嫌だったこととか、辛いこととか、そんなの全部、胸の中に残っちまうだろう? ……無理に忘れなくたっていいんだ。忘れたふりしなくてもいいんだ。……おまえ、まだ十三じゃないか。悔しかったって、悲しかったって泣いていいんだ。……叫んだっていいんだよ」
 優しい腕の中で聞く声に、ルディは目を見開いた。せっかく堪えた涙が出そうになって慌てて身じろぐ。
「だって……でも……」
「ここでなら、できるだろ?」
 いっそう深く腕の中に閉じこめられて、ルディは目を瞑る。ここでなら……あぁ、そうだろう。この腕の中ならばそれができる。そうしてもいいのだと、優しい腕が言ってくれる。
 それは非常に魅力的な誘いだったが、ルディは一度だけ力強い腕に強く抱きつくことで、泣き出してしまいそうな気持ちを押し殺した。
「駄目だよ。ゼノ」
「ルディ……?」
「駄目なんだ。……泣いたら……きっと、負けちゃうから」
「……何にだ?」
「……自分に」
 強い声で言ったルディに、ゼノスは目を見開いた。
「……弱い自分になりたくない。泣いて終わるような自分にだけは……なりたくないんだ」
「……ルディ……」
「……オレはね、ゼノ。いつだってゼノと対等に立ちたいんだ。守ってもらえるのは嬉しい……本当に嬉しいけど……オレは、できたらゼノを護れるようになりたいんだ」
「……おまえ」
 なんともいえない顔をしたゼノに、ルディはちょっと笑った。
「泣いて強くなれるほど……今のオレ、強くないからさ。だから……それができるようになるまで、泣かないって決めたんだ。泣いたら、きっと甘えて弱くなるから」
「…………そうか」
 ほんの少し微笑って、ゼノは真っ直ぐに見上げてくる少女の額に口づけた。
「おまえがそう決めたんなら、俺は何も言わない。けど……辛くなったら、少しぐらい弱くなってもいいから、迷わずここに来いよ。いつだって、おまえのために空けておくから」
「……うん」
 せつないぐらいの嬉しさを噛みしめて、ルディはその腕に強くすがりついた。ギュッと抱きついて、パッと離す。そうして、力強い足取りで崖へと向かって歩き出した。
「ゼノ。今から魔法を使うから少し離れて」
 ゼノはルディを見て頷く。国で一番の魔法使いの勇姿を、間近で見守りながら。
「一撃で頼むぜ、ルディ」
 ゼノの軽口に、ルディは笑って頷いた。

 沼地に巨大な雷が落ちたのは、その数秒後のことだった。  





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