1 魅惑のテーブルマナー

 人には『得意なもの』と『不得意なもの』がある。
 例えばあたしの場合、頭を使うような仕事よりも、体を動かす仕事のほうが得意だった。
 ハッキリ言おう。礼儀作法を覚えるより、護身術を覚えるほうが得意なのである。
 背筋をピンと伸ばしてシュタッシュタッと歩くより、向かい合った相手の動きを読んで逃げたり攻撃に出たりするほうが簡単だし、ナイフとフォークでご飯をつつくよりも、小刀を片手に仮想敵と戦うほうがずっと楽なのである。
 保護者にして教育担当者であるレメクは、いつもそのことで苦笑混じりのため息をついていた。だが、彼も半ば「仕方ない」と諦めているようだ。
 元・孤児院の孤児にして、現・クラウドール邸の居候であるあたしには、教養というものがほとんど無い。
 これはあたしだけじゃなく、国のほとんどの人がそうだった。
 文字を読める人も稀で、だからこそ看板は絵や図で描かれているのである。
 王侯貴族や、教会の神官などは識字率が高い。だが、それ以外で文字の読み書きができるのは、そのほとんどが商人だった。彼等は親方などに弟子入りして商法と一緒に文字や数字を習うのである。
 けれど、そんな彼等だって、宮廷の礼儀作法なんてものは習っていないだろう。
 まして、テーブルマナーなど、普通に暮らす上では必要のないものだった。
(そう……普通に暮らす上では、ね……)
 あたしは深く嘆息をつく。
 テーブルの上の食べかすを集めているのだが、テーブルが大きくてなかなか終わらなかった。レメクの家の家具はどれも立派で、このテーブルも実に重厚で大きなものなのだ。小さなあたしの体では、椅子の上を移動しながらでないと掃除ができないほどである。
 あたしはようよう食べかすを集め終え、テーブルクロスをエッチラオッチラと小さく畳んだ。それを床に置き、その上に食べかすを入れた器を置く。器の中は、いろんな食べこぼしでいっぱいになっていた。
(ふぅ……!)
 労働に汗がキラリと光る。家事はなかなか重労働なのだ。
 それにしても、テーブルの上の食べかすなんて、昔のあたしならひょいパクと口に放り込んでいただろう。
 けれど、それはしてはいけないと、レメクにキツく言われたのだ。とてもはしたないことだから、と。
 だから、もったいないけど捨てないといけない。……本当にもったいないと思うなら、あたしはもっともっと、綺麗に食べれるようにならないといけないのだ。
 あたしは次の作業用にと濡らした布を絞り、さらに深く嘆息をついた。
 椅子によじ登ってテーブルに対峙し、キュッと唇を引き結ぶ。
 零れたスープなどで汚れているため、テーブル自体も綺麗に布で拭かないといけない。だが、なんだか拭いてる途中で余計な水がぽたぽた落ちて、なかなか掃除が終わらなかった。
(……あたし、何やってんだろ……)
 ぐい、と袖口で目元を拭う。何度も何度も綺麗に拭いてるのに、しばらくするとまたポタポタと水滴がテーブルの上に落ちた。
(……何、やって……)
 パタッと、一際大きな水滴が落ちる。
 今日も自力でご飯を食べれなかった。
 さすがに一月もそんな状態が続くと、情けないを通り越してかなり辛い。
 レメクはそんなあたしを叱ったりしないが、食事中ずっと憂鬱そうな困り顔をしている。そして時折、なんとも言えないため息をつくのだ。
 それがいっそう辛かった。
(……どうしよう……)
 春の大祭まで、あと七日しかない。
 もうそれほどまでに、時が迫っているのだ。
 祭りの始まりと同時に、王宮では諸官諸侯を集めての夜会が開催される。その夜会に、あたしとレメクは出席しないといけないというのに……
 あたしは布をギュッと握った。
 正直、一日一日が苦しかった。
 路地裏で残飯を漁っていた子供が、いきなりそんな場所に出てまともに振る舞えるはずがない。足の運び方や挨拶の仕方だって、何度も何度も間違えている。本番になったらどうなるのか。考えるだけでも恐ろしい。
(どうしよう……)
 ゴシゴシとテーブルの上の水滴を拭き取ると、後ろの方でノックの音がした。
 台所の入り口からだ。
 その音に、あたしは慌てて目元を拭う。
 今日はケニードの家に遊びに行く予定になっていた。だから、きっとお迎えが来たのだ。 そう思って椅子から飛び降りたあたしは、振り返った瞬間、
 のけぞった。
「おじゅ……ッ!?」
 変な声が出た!
 のけぞったあたしのすぐ真ん前にいたレメクは、あたしの声と動作に眉をひそめる。
「……おじゅ?」
 あああ気にしないでおじ様って言おうとしてトチったの!
 ワタワタと腕を振るあたしに、レメクは首を傾げつつ手を伸ばす。
 きょとんとそれを見守ると、そのまま手が伸びてあたしの両脇をガッシと掴んだ。
 おりょ?
 そのまま猫でも抱えるようにしてヒョイと持ち上げる。
「アロック卿の馬車が迎えに来ていますよ」
 あい。
 あたしは頷く。宙ぶらりんな足がぷらーんぷらーんと揺れた。
「私は王宮に行ってますから、しばらく大人しくしていてください」
 あい。
 あたしはもう一度頷く。
 レメクはそんなあたしを見て、ちょっとだけ口元を笑ませた。
 そんな小さな笑みでも久々に見る気がして、あたしもちょっと笑う。
 レメクはあたしを抱きかかえ直すと、反射的に張りついたあたしの背をポンポンと叩いてくれた。あたしはフンフンと匂いを嗅ぐ。優しくて暖かい匂いは、どこかちょっぴりせつなかった。
「ベル」
 すりすりとレメクの首筋に頬ずりをしていたあたしに、レメクが囁く。
「焦らなくてもいいんですよ」
 それはとても優しく、そして暖かい声だった。
 あたしは目をぱちくりさせる。
 もしかして、めそめそしてたのを見られちゃったりしたんだろうか?
 ぱちぱちと目を瞬かせたあたしに、レメクはただ穏やかに微笑む。
 あたしはその笑みに、何も言わず、ただニッコリと精一杯の笑みを返した。

 ※ ※ ※

 我が未来の旦那様(予定)たるレメクは、非常に位の高いお人である。
 なにせ、王国でも十数人しか使い手のいない『紋章術師』であり、また、裁判すらすっ飛ばして人を裁ける『断罪官』なのである。
 次期男爵様たる我が友ケニードや、元侯爵家嫡子たるバルバロッサ卿が一歩も二歩も退くほどの人物。それがレメクという男だ。
 紋章術師は出自問わず厚遇され、身に宿した紋章に相応しい爵位が与えられる。
 与えられる爵位は、だいたいが準伯爵位。 ただしこれは、紋章術師個人に与えられる爵位であって、世襲することはできないのだそうだ。
 子供が同じ紋章を会得した場合に限り、その子供に爵位を譲ることもできるが、その場合は元紋章術師は『唯人』になって、今まで持っていたあらゆる権限を失うらしい。
 そんな事情もあって、紋章術師のお家では、時に『紋章』の跡目争いで血なまぐさい事件にまで発展するのだとか。
 初めて知った話だが、紋章術師というのも、なかなか大変なものである。
 さて、その紋章術師の地位だが、これは、身に宿したる紋章のよって決まるらしい。
 一口に『紋章』といっても、内容や力はピンからキリで、中にはほとんど役に立たないものもあるのだとか。
 レメクがこっそり教えてくれた内緒話によると、国が厚遇する紋章というのは、悪用されれば甚大な被害を受けるような紋章に限られているらしい。
 例えばレメクの持っている紋章がそれだ。また、我らが女王陛下が持っている『門』の紋章などもそれにあたる。他にも自然的な力であるもの、火、水、土、風、雷、木などがある。おもしろい所では、金属である鋼、それに、鍵の紋章なんていうものもあるらしい。
 それらの力の強さ、重要度、影響力などを吟味して、地位を決定していくのだそうである。
 レメクの紋章術師としての地位は、詳しくは言ってくれなかったが、どうやらかなり上のほうらしかった。
 王家の秘術であるはずの『罪』と『罰』の紋章や、秘術中の秘術とされる『闇』の紋章を持っているぐらいだから、トップクラスなのは間違いない。
 けど、頂点かと問えば「違う」と返されたので、まぁ、三本の指に入るぐらい、とったところなのだろう。
 ……てゆか、じゃあ頂点はいったい誰なのか。ものすごく疑問だ。
 ちなみにレメクが紋章術師として賜っている爵位は『侯爵』位。
 準では無く、れっきとした侯爵様なのである。
 これだけですでに雲上人だが、この上にさらに『断罪官』としての位がくっつく。
 これは特殊かつ独立した権限を持つ役職で、その力は時に王すら凌ぐほどだ。
 人を裁くことに特化しており、簡単に説明するなら、そう! 『一人裁判』!
 法廷でいっぱい人が集まってする裁判を、いつでもどこでも一人でちゃっちゃとやっちゃえるのがレメクなのである。普通はいろいろややこしいのに。
 とはいえ、レメクはこっちの方の職務は毛嫌いしていた。
 感情を制御できないから、人を裁きたくないのだそうだ。
 一月ほど前、あたしを拾ったせいで責任者になってしまった『孤児院一斉粛正』で、レメクは断罪官として悪党どもをズバッと裁いた。その時に、そう零していたのである。
 冷静沈着で、時に冷酷っぽく見えるぐらいの怜悧な男前だが、実のところ、彼はものすごい直情的な熱血漢である。
 故に、約一月前に行った『断罪』についても、女王様達はすごく褒めてくれたのに、レメク自身はものすごい自己嫌悪に陥っていた。しばらく鬱っぽく湿り、時折気もそぞろだったほどだ。
 そんなレメクを見ていられず、あたしは慰めと励ましを込めて、いそいそと一緒にお風呂に入ろうと画策をしたのであります!
 ええ。宿のおねえちゃん達の情報によれば、それが一番効果的に元気になってもらえる方法なのだそうです。ちゃんとマイタオルとマイ風呂桶を用意して、お風呂に行くレメクの後ろからテクテクとついていったわけです。
 ……何故かいつも出入り口でバトルになりましたが。
 そして一度も実行できなかったです。放り出されて。
 ……しょんぼりだ。
 いや、それはともかく。
 そんなレメクだから、もちろん教養の方も大変素晴らしい。
 お家が貴族であるケニードやバルバロッサ卿にだって負けてない。
 で、そんなお三方から素敵なレディになるべく、暇を見つけては特訓されているのだが……
 ……少しは上達してるのかなぁ……あたし……


「あっはっはっは!?」
 あたしの近況報告を受けて、なぜか疑問系で大笑いしやがったのは、一ヶ月ほど前に友達になったナナリーだった。
 腹を抱えて床をバンバン叩きながら転がるという、なかなかに難易度の高い大爆笑を披露してくれているが、あたしのこめかみは引きつる一方である。
 てゆか、ナナリー。笑いすぎ。
「あのさぁ、ナナリー。あたし、これでも傷ついてるんだけど?」
 あたしの声に、ナナリーは「ごめんにぇ?」とどうにも笑っている口調で謝る。
 あたしは盛大に嘆息をついて、長いスカートの裾を懸命に避けながら壁際にもたれかかった。
 あたし達がいるのは王都北区の中央、絢爛豪華なアロック邸だ。
 我が友ケニードの街屋敷タウン・ハウスは、一月程前に行われた『孤児院一斉粛正』の際、行き場を失う孤児達の初期避難場所となっていた。
 その後、ほとんどの孤児は新しく用意された孤児院に移ったが、現在も一部の孤児はそのまま残っている。
 そのうちの一人がナナリーだった。
「あー……笑った笑った。いやもぅ、なんであんたってそうなんだか!」
 どういう意味!?
 未だクツクツ笑っているナナリーを睨みつけて、あたしは頬をふくらませる。
「なによ。ナナリーだって、テーブルマナー苦手だって言ってたじゃない!」
「当たり前じゃない。今までずっと手づかみだったのにさ、いきなり銀の匙と銀のフォークと銀のナイフを使いなさい、なーんて言われたって、上手くできっこないわよ」
 ナナリー以下数名の孤児仲間は、ケニードの屋敷で雑用をしながらいろんな教育を受けている。言うなれば我が同士だ。
 しかし、同じくレディ教育の辛酸を舐めているはずなのに、なんでそんな風に大爆笑しやがるのか!
「でもさぁ、ベル。あたし、食べ物つっつく度に『クラウドール卿』に飛んでいくような変な食べ方、しようとしてもできないわよ? ちゃんと自分の口に持って行けるもの」
 ……むぅ!
 痛い所をつかれて、あたしはぎゅむっと口を噤んだ。
 ナナリーは目尻に浮かんでいた笑い涙を拭いながら続ける。
「誰よ? 豆つついて『クラウドール卿』を呼吸困難に陥らせたの。あたし、あれほど笑ったのは初めてよ?」
 一番最初のハプニングまで持ち出されて、あたしはいっそう口を引き結んだ。
 豆鉄砲と化した豆に急襲されたレメクが、喉の中を豆で打ち抜かれて延々咳き込むという、前代未聞の大珍事である。
 えぇ、あれはとても大変な事件でした。
 一瞬の惨事をつぶさに見てしまったため、あたし達一同の心に罪悪感とトキメキを受け付けてくれちゃったのですから。
 ……いや、ちょっと涙混じりになっちゃったレメクが色っぽかったとか、そんな不埒なことは考えてないですよ? 可愛かったとかそんなこと思ったりもしてませんです。はい。
 ちなみに毎回あたしの『珍テーブルマナー』の犠牲になるレメクは、最近では鉄仮面を用意しようかと本気で悩んでいるようだった。
 街の散策中に、長い間防具商の前で立ち止まっていたのを覚えている。あの目は本気の目だった。
「……あたしだって、別に、おじ様を襲うつもりでご飯食べてるわけじゃないわよ」
 何故か自然にレメクに向かって食べ物が吹っ飛んでいくだけで。
 あたしの抗議に、ナナリーはまたも笑う。
「そ、そういうナナリーこそどうなの!? ちゃんとテーブルマナーできてるの!?」
「えー? まぁ、時間はかかるし、上手く手が動かなくてテーブルクロス汚しちゃうけどさ、そこそこはできてると思うわよ?」
 さらっと返された言葉に、あたしはガーンッ! と棒立ちになった。
「な、なんで?! どうやって?!」
「……いや、アタシとしてはさ、むしろどうやったらあんな風に特定の人物の口に向かって食べ物を飛びかからせれるのかっつーか……まぁいいけど」
 よくないわよ!?
「ようは慣れでしょ? 未だにフォークとか落としちゃうけどさ、最初よかだいぶマシになったし。でもさぁ、パンまで小さく千切って食べなきゃいけないのには、まいるよね。かぶりつくだけでいいじゃんとか思わない?」
「思うわ」
「だよねー。けどまぁ、確かに格好はいいわよね。こう、なんていうの? 上品、って感じで。なんつーかもう、格好つけて食べる、を意識するとけっこうできちゃうのよ。わかる?」
 格好つけて食べる……
 あたしは日々の訓練を思い出した。
「……むぅ」
「その様子じゃ、とにかく食べることに必死だったわけね……」
「だって、おじ様の料理すごく美味しいのよ!?」
「そんなの理由になんないわよ」
 ぅぁっ! レメクと同じこと言われた!!
「アタシ思うんだけどさ、結局の所、テーブルマナーってそういうもんなんじゃないの? 食べ方なんてどんな風に食べたって同じだと思うけど、こう、道具使ってテキパキ食べてるのって、見てくれはいいわけよ。そういうのを追求してんじゃないのかな?」
 なるほど。
 あたしはおおいに納得した。
 確かに、『格好良く』を追求すれば、手づかみよりもナイフとフォークのほうが断然良い。
「格好良くかぁ……」
「あんたのその格好だってそうでしょ? 長いスカートって、見てる方は綺麗でいいなぁって思うもの」
 あたしの練習用スカートを指さして笑うナナリーに、あたしは顔をしかめた。
「でもこれ、すっごい歩きにくいわよ?」
「うん。あんた見てて、そうだろーなーって思った。けどさ、ハタから見てるほうにすれば、短いスカートより長い方が綺麗だなって風にも思うわけよ」
 ナナリーが着ているのは、紺色のワンピースだった。
 スカートは膝下十センチほどで、その上からエプロンをかけている。
 ナナリーはもともと可愛いから、そんな格好もばっちり似合っていた。
 ちなみにあたしが着ているのは、レメクが練習用にと長めに作ってくれたスカートだ。
 なんと、端が床を擦るほどに長い。
 これを踏まないように歩くのが一苦労で、あたしは常にビッタンビッタン床に倒れていた。
 ……そろそろ鼻もへこみそうです。
「こんなの着て踊ったりできる貴族って、やっぱりおかしいって思うわ」
 思わず陰鬱にぼやいたあたしに、ナナリーは同情含みに苦笑する。
「だからさ、慣れなんでしょ? どんだけ綺麗に格好良く動けるかっていうのを競ってるような連中なわけだから。服とかに凝ったり、髪型に凝ったりして」
 そう言ってから、ナナリーは「ハッ」と鼻で笑った。
「アタシ達からすれば、連中のアレって、ナニアレ? って感じだけど……まぁなんつーか……あんたの奮闘ぶりみてたら、あの連中も大変な努力してるのねーって感じになったわね。あんたすごい大変そうだし」
「それよ。あたし、あの連中がこんな苦労してあんなお高い格好してるとは思わなかったわ」
「だよねぇ。ん〜、まぁ、けどあっちは好きでやってるんだから、同情はしないわよね。嫌ならやめれば? って感じだし。あんたの場合、『クラウドール卿』に恥かかせたくない一念なわけだから、なんつーかもう……ガンバレって感じ」
 ……うん。
 あたしはしょんぼりと頷いた。
 頑張らないと、レメクがすごい恥をかくのです。
 あたしがこうしてテーブルマナーやら長いスカートやらに奮闘しているのは、七日後に開催される春の大祭の夜会に出席するせいだ。
 女王陛下から招待されちゃったあたしとレメクは、ペアで出向かないといけないのだ。
 レメクはいい。あの人は完璧だ。外見も内面も動作もばっちりオッケーだ。
 けど、あたしは違う。疑問に思う余地も無いぐらい、ダメダメだ。
 外見はもうどうしようもないし、内面も直すには時間無さ過ぎて諦めるしかない。
 けど、せめて動作ぐらいはそこそこきっちりさせたいのだ。
 でないと、一緒にいるレメクに迷惑がかかる。
 あたしと一緒にいる、ということは、そういうことだ。あたしの全部がレメクの評価につながってしまうのだ。
 それに思い至った瞬間、あたしは「お城の夜会」のイメージが一気に暗黒街のソレになってしまった。……恐すぎる。
 どうしよう。裾踏んで倒れたら笑われるだろうし。ご飯がっついちゃったら、こそこそ言われちゃうんだろう。
 あたしは仕方ない。嫌だけど、自分でやったことに笑われたんなら、しょうがないって思うしかないじゃないか。
 けど、レメクまで笑い者になるのは嫌だ。絶対にごめんだ!
 ぎゅっと握り拳を作ったあたしに、ナナリーは笑いを引っ込めた。
「あんた本当に好きなのねぇ」
 ……真面目に言われると照れるじゃないか。
 テレテレと頷いたあたしに、ナナリーはやや遠い目になりながら苦笑した。
「あぁ、まぁ、脈ないわけじゃないっぽいし。他の連中はともかく、アタシは応援するわ」
 む? なにか気になる言い方されたぞ?
「他の連中って?」
「えー、あー……まぁ、ほら、あんたの仲間とかさ」
 むむむ?!
 あたしは眉をぎゅっと寄せた。
 あたしの仲間っていうのは、あたしが孤児院にいたときの孤児仲間だ。
「えー、ナニ、あたし、無謀とか思われてるわけ?」
「よくわかるわね、あんた。まぁ、そんな事言ってたわね」
 むきゃーっ!!
「あぁほら落ち着きなって。普通、そう思うのが当然じゃない。あんたさ、もしアタシがすっごい身分上ですっごい格好良くてすっごい立派な『お貴族様』とか『大神官様』に惚れたとして、おーイケルイケルがんばれー、なんて言える?」
「……あ、相手によっては言うかも。ナナリー可愛いし」
「……あんたに可愛いって言われると、嬉しい反面複雑ね。鏡見ろっていうか……まぁ、あんたはそういう判断か。んー……これはあれよね。男女の違いのせいかなぁ?」
 どういう意味だろう?
 首を傾げたあたしに、ナナリーは心持ち声を潜めて言う。
「あのさ、ほら、アタシ達はさ、なんていうか憧れるじゃない。格好良い身分が上の人との恋愛っていうか、そういうの。仲間がそれに該当すると、不安もすっごいあるけど、脈ありそうだったら『がんばれっ!』て思っちゃうわけよね。羨ましいとか、そういう気持ちもあるけど」
 うんうん。
「けど、なんて言うのかな……男にとっちゃ、相手の凄さのほうに憧れちゃって、無理無理って思うっぽいのよね。気持ちはわかるけど、相手が悪すぎるからやめておけ、って言う感じかな」
 むむぅっ!
「まぁ、確かに相手がちょっとねぇ……反則じゃん? あの人。アタシ、断罪官なんて役職初めて知ったわよ。王様でさえ裁けちゃうだなんて、超絶対権力じゃない。しかも王様と仲いいし。聞くところによると、宰相様とか教会の一番上の人とも顔見知りなんでしょ? どんな人ヨって思うわよ。雲の上スギ」
 むむむぅッ……!
「も、ぜぇーったい放っとかれないね。今まで散々綺麗なお姫様とかに言い寄られてるよ。あの王様とだってすっごい仲良いし。……てゆかむちゃくちゃお似合いじゃない?」
 にゃにをぉおッ!?
 さらりと言われた問題発言に、あたしは大あわてで反論した。
「アウグスタは違うわよ! それだけは絶対! 確実!!」
「なんで?」
「なんで、って……なんでというか……なんていうか」
 あたしは困った。
 あの二人をよく見ていればわかるのだが、それは言葉にするのは難しい感覚なのだ。
「なんていうか、こう……親子を見てるような、っていうか……うーん、家族愛? みたいな感じ? に見えるのよ。アウグスタとケニードがラブラブか否かっていうのと同じぐらい、ちょっと傍目にハテナ? な感じよ。あの二人」
「えー!? ちょっと、エロックじゃなくてご主人様と陛下ってどうなのよ?! なんで例えにそんなの出てくるわけ?!」
 なんかすごい大反応された。
 いや、気持ちはなんとなくわかるけど。
「いや、美形同士っていうのと仲良いっていうのなら、ケニードだって立派に美形で仲良しじゃない。そういう繋がり」
「そ、そんな繋がりで……」
「ナナリーだっておじ様を引き合いに出したじゃない!」
「い、いやまぁ、そうだけど!」
 なにやらごにょごにょ言ってる。
 あたしは首を傾げながら、そういえばと遠い目になった。
「それにねぇ、なんていうか……美形繋がりなら、むしろポテトおじいちゃ……じゃなくて、お父様のほうがそれっぽいのよね」
「? 誰がなんだって?」
 あ。ナナリーはポテトさん知らないんだった。
「うん、なんていうか、すごい美形の……年齢不詳の人。おじ様の名付け親なんだって。アウグスタと並ぶと壮観だろうなぁ……」
 なんていうか、凄そう。いろんな意味で凄そう。
 あの超絶美形に負けないのは、たぶんいろんな意味で最強なアウグスタぐらいだろう。
「ふ〜ん? けどさ、『クラウドール卿』の名付け親なんだったら、相当な年上なんじゃない?」
「……いやぁ……どう見てもおじ様と同い年に見えるけど……」
 実年齢は知らないが、外見年齢なら二十代後半だ。
 あの若さは、悪魔とか妖怪レベルじゃなかろうか?
 ちなみに彼に対するレメクの説明は一言だった。
 人外魔境。それだけ。
 ……説明になってないのに、言い得て妙なのはコレ如何に?
「……ごめん。あんまり説明できないから、流しておいて……」
「んん、まぁ釈然としないけど。あんたがそこまで言うなら、このネタはここまでね」
 あい。
 あたしはコックリ頷く。
「まぁでも、あの人がお姫様達のアタック受けてただろうことは予想できるでしょ? あれだけ格好良くて凄い人なんだから」
 うん。それはまぁ……
 ナナリーの声にしょんぼり肩を落とすあたし。
 ナナリーは肩をすくめながら言う。
「だからさ、あんたはそれを押しのけるぐらいの女になんなきゃいけないわけよ。綺麗なだけじゃダメだし、可愛いだけじゃダメで、教養もあってお金も持ってるだけでもダメ。……どんな超人なわけ、って思うでしょ?」
 思う。思うとも。
「けど、そんなお姫様達だって振られてたのなら、それぐらい超人にならなきゃ落とせないってことじゃん。カッフェ達が無理無理って言うのは、そういう意味からだとアタシは思うのよね。……まぁ、実際の所、あんたは脈あると思うけど」
 マジですか?!
 目を剥いたあたしに、ナナリーはぎょっと身をひく。
「そ、そんなに反応しないでよ! ただの勘なんだからさ! 根拠は無いけど、なんつーか、あんた等のやりとり見てたらね、なんつーかこう……あぁ、いけるんじゃないかな、って思うわけ。かといって努力しなきゃ、逃がしちゃうだろうけど」
 あたしはぐっと握り拳を作った。
 努力するとも。しないでか!
「とりあえずはテーブルマナーと、そのスカートで歩く練習よね。ご飯食べるたびに、食べ物に襲われてたんじゃ、あんたの大好きな『オジサマ』も逃げちゃうだろうし。長いスカートですっ転んでちゃ、貴族の奥さんなんてやってられないでしょ」
「……ぅぅ。結局そこに落ち着くのね」
「当たり前じゃん。あんただってそのためにがんばってるようなもんなんだし」
 まぁ、そうなんだけど……
 頷きながら、あたしはしょんぼりと肩を落とす。
「でもね、一ヶ月たっても何の進歩も無いなんて、どうかと思うのよ」
「……まぁ……あの謎なテーブルマナーはどうかと思うわね……」
 豆鉄砲事件を思い出している気配がありありと伝わってくる。
 とりあえず、笑うなら声だして笑え。
「と、とりあえずさ、やれるだけやるしかないね。あと七日しか無いんだし。……って、あれ?」
 ふと、そこでナナリーは顔を上げた。
 廊下の向こうに視線を向ける彼女に、あたしも視線を追い……あれれ?
「カッフェ。あんた、ナニやってんの?」
 なんか一丁前に料理人のお仕着せをつけたカッフェが、大きなワゴンを押している姿を発見した。こっちに近づいてきている。
 あたしの声に、カッフェは顔を上げ、嫌そうに顔をしかめた。
「あのな、それがお茶を持ってきてくれたダチに言う言葉かよ? おまえが来てるからって、うちの先生が大急ぎで作ったスコーンとクッキーだよ。へへ、オレも手伝ったけどな」
 実は料理人志望だったというカッフェは、現在ケニードの所で台所の手伝いをしている。
 使用人の一人としてがんばっている姿は、なかなか感動ものだ。
「あんたが手伝ったんなら、完璧な仕上がりにはならないんじゃないかい?」
 意地悪くナナリーが言う。
 だが目が笑っていた。
「うるせぇな。いいんだよ、先生にとってはベルは賓客だけど、オレにとってはダチなんだから。まぁ、味見してもらう意味もあるんだけどな」
「なに? あたし実験台なわけ?」
 あたしも笑いながら意地悪く言う。
 カッフェは軽く肩をすくめた。
 ちなみにカッフェの目も笑っている。
「ま、師匠の味に比べたら完璧落ちるけどよ、いいもん食わせてもらってるお前なら、味の良し悪しがよくわかるだろ?」
 あたし達は顔を見合わせて共犯者の笑みを浮かべた。
 ちらっと目が近くの部屋に向けられる。
「あそこの部屋、使っていいんだっけ?」
「あぁ、いいって言ってたよ。じゃ、そこでお茶しよっか?」
「そうしようぜ」
 あたし達はにやにや笑いながら、大急ぎで部屋へと駆け込んだのだった。

 ※ ※ ※

「あ、前より美味しくなってる」
 大量のクッキーを前に、ナナリーはそう評した。
 一緒に頬張っているカッフェは難しい顔だ。
「前よりはまぁ、マシになってる……な。うん。けどなぁ、先生の物に比べたら雲泥だろ? 師匠の味とはもう比べ物になんねぇっつーか、比べる気にもならねぇや……」
 あたしも同じクッキーをつつきながら、うーん、と首をひねった。
「これもこれで美味しいけどねぇ。てゆか、料理長とおじ様は別格でしょ? いきなり比べるのってどうなの?」
 ちなみにカッフェが言う「先生」は、ケニードの所の料理長。そして「師匠」というのがレメクだ。
 一流の料理人になる夢を持ったカッフェにとって、一流の料理人である料理長は、憧れと同時に自分を鍛えてくれる直接の先生である。
 そして料理人では無いものの、素晴らし腕前のレメクは、憧れというよりも尊敬する人になっているらしい。
 初めてレメクの手料理を食べた時のうちの仲間連中の顔は実に凄まじかった。
 神様を拝むような感じで。
「ちょっと粉っぽいのが気になるよね。あんた、先生の言うことちゃんと聞いて粉をこねた?」
「当たり前だろ。てゆかこれ、粉のこねかただけが問題じゃねぇな……。くそ、もうちょっと上手くならねぇとなぁ……」
 ため息をつくカッフェは、あたしとは違う意味で鋭利努力中のようだ。
 ちなみに三人、行儀悪く絨毯の上に座ってのお茶である。
 本来仕事中の二人だが、せっかくこうしてお茶があるのだから、ちょっとぐらい一緒にお茶してもいいと思う。
 たぶん、料理長だって最初からそのつもりなのだろう。
 カッフェが押してきていたワゴンにはカップが三つあったし、運ばれてきたクッキーやスコーンは山盛りになっていた。
 ケニードの屋敷の人は、本当に優しいいい人ばかりなのだ。
「上手くなるっつったら、お前はどうなんだよ? ベル。さっき、思いっきりスカート踏んづけてこけたけど」
 ううっ!!
 痛いところを盛大につかれて、あたしは床の上に撃沈した。
 ガバッと起きあがって反論する。
「このスカート長すぎなのよ!」
「そんなの前からだろ。いい加減慣れたらどうなんだ?」
「無茶言わないでよ! あんたはスカートはいたことないからそういうこと言えるけどね、無茶苦茶難しいのよ、これ」
「いや、確かにはいたことねぇけどよ。服をこうやって持ち上げてさ、そしたら裾もちょっと持ち上がるだろ? あの綺麗な女王陛下がやってたじゃんか。ああいう動作すればいんじゃねぇの?」
 カッフェの言葉に、あたしとナナリーは思わず顔を見合わせた。
「なるほど! そういう風にやればよかったんだ!!」
「あんた、よくそんな細かい動作見てたね!」
「……おまえら、同じ女だろうが……」
 あたしとナナリーの声に、カッフェがどこか遠い眼差しでぼやく。
 いやだって、アウグスタを見る時って、どうしてもあの立派な乳に目がいっちゃうしさー……
「ま、まぁいいわ。とりあえず、そうと気づけば特訓ね!」
「え。今かよ!?」
 即座に立ち上がったあたしに、クッキー片手にカッフェがぎょっとなる。
 大急ぎで紅茶セットとクッキーを避難させるのは、どういう意味だろうか。ちょっと問いつめたい。
「わ、忘れないうちにコツを掴んでおきたいのよ! えぇと……つま先と進行方向がこうだから、こっちとこっちを掴んで……」
 あたしはスカートを両手でちょっぴり掴み、ひょいっと上げる。
 一歩。二歩。三歩。
 おおおおお?!
「歩けるわ!」
「……歩けてるけどよ。ちょっと持ち上げすぎじゃねぇか?」
「はしたないねぇ……」
 あたしの輝く笑顔に、カッフェとナナリーが呆れ顔で言う。
 むぅ!
 確かに最初だったから、ちょっと大げさに掴み上げてたけど……それでもナナリーぐらいの膝丈にしかなってないわよ?!
「もともとこの長さのアタシと違ってさ、あんたのは長いのを前提にしてるわけだから、もうちょっと持ち上げるの控えめにしなよ。ほら、降ろして……そそ、それぐらい」
 あたしは床から五センチぐらい持ち上げたあたりに裾を固定した。
 おし。ならばこれで歩くのだ。
 一歩。二歩。三歩。
 よし!!
 あたしは顔を輝かせた。しかし、そこでまたクレームが。
「足ばっかり見ながら動くのって、格好悪くねぇか?」
「背筋丸まってるしねぇ」
「てゆか、歩く姿勢としておかしいだろ? ちゃんと前向けよ」
 外野ぁあああッ!!
 キシャーッと牙をむく前、あたし達のいる部屋の扉が控えめにノックされた。
 ん? この気配は!?
「失礼。入ってもかまいませんか?」
 おじ様キターッ!!
 お仕事中のはずなのに何故こんな所に今来てるのとかどうでもいい、匂い、じゃなくておじ様カモンッ!!
 あたしは文字通り全身を輝かせて返事した。
「もちろんよ!」
 さぁ! 飛びかかる準備だ!
 しかし、そうと急いだのが失敗だった。レメクが入ってくるのに合わせて飛びかかろうと、位置調整に動いたとたん、
 ビタンッ!!
 裾を踏み、ものすごい勢いで床に撃沈した。
 ……痛い……
「「ベル?!」」
 カッフェとナナリーが同時に絶叫。
 あたしは床に撃沈したまま、ひっそりと涙した。
 あぁ……なんでまた、こんな場面で。
 いつもならここでピョコタンと即座に立ち上がるのだが、今日のあたしは立ち上がらなかった。理由は簡単だ。
 すぐそこにレメクがいるからだ。
 即座に開いた扉の音と、駆け寄る足音。
 彼は素早く膝をつく。
「無事ですか? 痛いところは?」
 ひょいと抱き起こされて、顔を覗き込まれる。
 恥ずかしいが、けっこう嬉しい。
 あたしは唇をぎゅっと引き結んだ。
「鼻が赤くなってますね。……どうしてそう、あなたは顔面から倒れるんでしょうね」
 きゅむっと鼻をつままれた。痛い。
「おじひゃま、いちゃい」
「骨は折れていないようですね。出血もないようで何よりです」
 どういう確かめ方なんだか……
 摘まれた鼻をさするあたしに、レメクがちょっと微笑う。
 そうして、あたしが踏んづけたスカートの裾を見て眉をひそめた。
「まだ慣れませんか」
「え。いや、ちょっとは慣れてきたわよ? さっきのは、そう、たまたまよ!」
「……私はいつも、その『たまたま』の場面しか見ていませんが」
「細かいことは気にしないで。とにかく、極意は掴んだから、これからは前みたいにばったんばったん倒れないわよ!」
「……そうですか」
 心持ち不安そうなレメク。
 あたしは胸を張って請け負った。
「心配しなくても大丈夫よ! 当日も、なんとかがんばってみせるわ!」
 しかし、ぐっと握り拳まで作ったあたしの宣言に、レメクの顔はかえって曇ってしまった。
 どういう意味ですか?
「無理に気負う必要は無いんですよ、ベル。あなたは、あなたのままでいればそれでいいんです」
 いや、それだとマズイと思います。
 レメクの目は真剣に心配そうで、そのことはとても嬉しい。
 嬉しいけれど、それに甘えてばかりもいられないのだ。
「でも、あたしが失敗すれば、おじ様が笑われるわ」
 あたしの反論に、レメクは首を傾げ、やああって大きく目を瞠った。
 ……あれ? なに? この反応。
 目を丸くしているレメクに、あたしも目を丸くする。
 理由を求めてレメクを見返すが、レメクは驚きが大きすぎたのか無反応だった。
 仕方なくササッと仲間二人に視線を向ける。
 ……って、なんですか二人ともこっちに背を向けて!!
「あなたは……いえ……」
 レメクは何かを言いかけ、すぐに言葉を飲み込んだ。
 かわりに、深く深く、息を吐く。
 そうして、あたしの髪をくしゃっと撫でた。
「私のことなど、考えなくてもいいんです。あなたは今までこういった教育を受けていなかった。初めてのことで失敗しても、それを笑う気はありません。当たり前のことなのですから」
 あたしはレメクを見る。優しい色の綺麗な目を。
「けれど、あの場所は……王宮は、それを許す場ではありません。特に夜会ともなれば、他人の足を引っ張りたい者も多く参加しています。私は、そういった連中にあなたが傷つけられることのほうが心配です」
 え。
 あたしは目を丸くした。
 いや、あたしが心配なのは、そういう連中にレメクがどうこう言われることのほうであって……
 言いかけたあたしの口を、レメクの大きな手が塞ぐ。
 レメクの目は、まだ続きがあると告げていた。
「ディアトリマの姫君の故事があります。地方貴族のディアトリマの姫は、王都でも稀なほどの美貌の持ち主でしたが、地方貴族ゆえに王都近隣のマナーに疎かった。それ故に笑い者にされ、命を絶ったとされる故事です」
 あたしの目がさらに丸くなった。
 ……なんて儚いお姫様だ。
 いっそ影で暗躍して反撃すればよかったのに。
「同じ貴族同士でさえ、そのようなことがあるのです。あなたがどんな風に侮辱されるかはわかりません。……王宮の夜会がそういう場所なのだということは、理解できますね?」
 イエス。マイハニー。
 こっくりと頷いたあたしに、やや微妙な顔でレメクは頷いた。
 む。いかん。闇の紋章で心の声まで筒抜けでした。
「無論、全てが全てそうだというわけではありません。あなたはまだ幼く、それ故に寛容な目で見られる可能性もあります。まして、今回は春の大祭です。他の夜会と違い、地方貴族達も多数来賓として招かれます。彼等は家族連れで来ますからね。他の夜会に招かれる時よりは、注目度は低いと思いますが……」
 レメクはそう言って、嘆息をついた。
 あたしは首を傾げる。
「普通の夜会って、どういうものなの?」
「主催者次第ですが、まぁ、普通、成人していない男女は招かれません。子供であるあなたが参加することは、本来不可能です」
 ありゃ。そうでしたか。
 あたしはなるほどと頷いた。貴族社会に詳しくないあたしが知るはずもないのだが、もしそんな所にあたしみたいな子供がいたら、確かに悪目立ちしちゃうわけだ。
 春の大祭の時のやつは、そうではないようだが。
「春の大祭は、御前会議と同時に行われます。地方から招かれた来賓の方々は、昼の会議に出席した後、家族と共に夜会にも出席する。子供にとっては成人前に参加できる年に一回だけの夜会ですからね。はしゃいでいる子供もいますし、そういった子供がいる分、あなたの注目度も下がるわけです」
 なるほどなるほど。
「けれど、あなたはメリディス族です」
 ……む。
「そして、今回は私のパートナーとして出席します」
 むむ。
「それがどういう風に視線を集めるかは、あまり想像したくありませんね。……最近、王宮から退いていたのが、こんな形で徒になるとは……」
 思いきり嘆息をつくレメクに、あたしはちょっと上目遣いで声をかけた。
「おじ様……今からでもアウグスタにキャンセルを……」
「駄目です。無理です。どうにもなりません。すでに大々的に宣伝されてます」
 ちょいと待て。三連続の否定もそうだが、その大々的に宣伝ってナンだ?!
「一月前の粛正のせいで、王宮内でもいろいろ動きがあるんですよ。それを牽制してのことでしょうね……」
 やれやれと言いたげな口調で謎発言をしつつ、レメクはさらに嘆息をつく。
 なんだか、ものすごく面倒なことに巻き込まれているらしい。
「でもおじ様、そんな所であたしがご飯とばしちゃったり、裾踏んでこけたりしてら、おじ様もいろいろ言われて大変なんじゃ……?」
 さらなる面倒事を起こしそうな気がするので、あたしはそう示唆した。
 しかし、レメクは首を横に振る。
「その程度のことなど、どうでもいいんですよ。あなたが傷つかなければいいんです。躓いて倒れそうなら、私の方に倒れかかりなさい」
 ……なんですと?!
「必ず支えてあげますから」
「ホントに?!」
「当然です。何のためにいると思っていますか」
 本当に当たり前のことのように言われて、あたしは感激のあまりに意識をどこかに飛ばしそうになった。いかん。いかんいかん。まだもう一つ危険は残っている。
「で、でもご飯は?! あ、いや、食べなければいいという案もあるけど……!」
「育ち盛りの身で何を言っていますか。まぁ……出向く前に食べておくという案もありますが、夜会は夜遅くまで続きますからね。途中で、どうしてもお腹は空くでしょう。それに、あそこの料理長の腕は大変素晴らしいですから、一度はゆっくりと味わうべきです」
 しかし、そのためにはあたしの謎テーブルマナーを改善しなくてはいけない。
 思わず顔を見合わせて悩んだあたし達に、ふと、それまで背を向けていたナナリーから声がかかる。
「あの……クラウドール『様』」
 なぜかこっそり覗き見るような格好で、ナナリーはそう声をかけてきた。
 ……てゆか、あんた達、その目を両手で覆いながら覗き見してる「見ちゃいないよ?」的ポーズは何なんだ?
「そういう場で、ベルが直接食べるんじゃなくて、クラウドール『様』が食べさせ、てあげるのも、マナー違反なんですか?」
 一生懸命丁寧な口調にしようとしている、涙ぐましい努力がみえる。言葉をつっかえる部分とか。
 しかし、魅惑の提案をありがとう。その想像図だけであたしは今幸せです。
 ぽわわわん、と夢の世界に旅立ったあたしの横で、レメクがちょっと真面目に検討する顔になる。
 そして言った。
「……その手がありましたか」


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