番外編 【 闇の王と黄金の魔女 】

 立派な樫の林を抜けると、瀟洒しょうしゃな煉瓦造りの屋敷が見えた。
 日に焼けた煉瓦は古く、所々に小さな欠けや薄いヒビが見える。相当年季の入った屋敷なのだろう。白茶けた壁をつたう蔦は、南側を中心に屋敷のほぼ全域にまで広がっている。地面近くには苔の靴下まで履いていて、経てきた年月の長さをそっと語りかけていた。
 王都の北区、クラウドール邸とは、そういったどこか素朴な風情の屋敷だった。
 豪華絢爛な『貴族街』にあって、おそらくもっとも質素な屋敷だろう。だが、その敷地は個人の所有地としては破格なほどに広く、内容は濃い。
 正門から屋敷へと続く木々の連なりは、もはや並木道を越えて林の如き有様。それを抜けた先の屋敷は先述の通りであり、屋敷から少し離れた場所には、広大な畑と、それに倍する面積の牧草地がある。
 柵で囲われた牧草地帯には山羊が放たれ、メェメェとどこかれた鳴き声を周囲に響かせていた。
 山羊よりも大きな白い固まりは羊。
 羊よりも一回り以上大きな生き物もおり、これは牛と呼ばれる生き物だった。
 山羊よりも淡泊だが、大量の乳が搾乳できると先代が購入した生き物だ。当初、つがいの二頭しかいなかったのが、今では大小あわせて十頭がのんびりと草をんでいる。
 畑と牧草地帯の中間には、湖の如く大きな泉があった。
 深さはおよそ大人の胸元ぐらいか。透明度が非常に高く、底に転がる藻の固まりがコロコロと転がる様までよく見えた。
 畑の近くには煉瓦造りの平屋建てがあり、そこには十人を超える使用人達が暮らしている。平均年齢は七十二才。けれどくわを持って畑を耕す様は、ゆっくりでありながらも力強かった。
 時刻はちょうど正午を過ぎたところ。平屋建てからは白く細い煙が立ち昇り、土と植物の匂いの中に、火で炙られた肉の匂いが混じる。
 男は樫の木の傍らで立ち止まり、すぅっと息を吸い込んだ。
 濃厚な自然の匂いと、人々の生活の匂い。両者が複雑に混じり合って、奇妙に混沌とした匂いがする。いい匂いとは思えなかった。だが、悪くもない。
 口の端に苦笑を浮かべて、男は踵を返した。
 三々五々散っていた老人達が、平屋建てへと帰路につきはじめる。それに背を向ける形で、林の中にある本邸のほうへと向かう。足音は無く、足跡も無い。
 ふと、老人の一人が林のほうを振り返った。年と共に垂れてくる瞼のせいで、今ではごく薄くしか目が開いていない。それをさらにすがめて、彼は首を捻った。
「どぉした?」
 一緒に歩いていた仲間が、怪訝そうにそんな彼を見る。
 彼は「いんやぁ」とぼやくように呟いて、止めていた足を再び動かしはじめた。
 近頃口が動きにくくなったことを自覚しながら、空気を咀嚼そしゃくするようにして声をこぼす。
「……誰かぁ、いたような気がしたんじゃが……」
 彼の声に、仲間達もちらほらと林を振り返る。いないなぁ、という呟きは、少しだけ寂しい色を宿していた
 彼──使用人の中で最も古株なゼリクも、同じようにもう一度だけ振り返る。
 けれど彼は、ついぞそこに「人」の姿を見つけることはできなかった。

 ※ ※ ※

 クラウドール邸と呼ぶべき本邸の横には、屋敷を守るかのように巨大な樫の木が座っていた。
 樹齢は六百年余り。大地に根を張り、どっしりと佇む様は王者の貫禄すらある。
(ここの空気は、いつ来ても変わりませんね……)
 足を進めながら、男は周囲をゆっくりと観察した。
 以前見たときよりも大きくなった若木達。林の中はここが都心なのを忘れそうなほど、濃い緑の匂いに包まれている。木々の根本はうっすらと苔むし、地面もわずかな範囲を除いて全て苔で覆われていた。木漏れ日に照らし出されたそれが、深い緑の絨毯に見える。
 苔の絨毯を作るぞ、と。
 そう言って子供のような顔で笑った老人を思い出した。枯れ木のような腕に、白いものが沢山混じった灰色の頭。いつまでも若い魂とは逆に、死へと向かいつつある老いた体が悲しかった。
(ベラトリーテ)
 懐かしく悲しい、かつての友に呼びかける。
(……あなたの願いは、叶いましたか……?)
 もういないその人は、ただ子供のような笑顔だけを浮かべている。決して薄れることのない記憶の中で、永遠の笑みを。
 男は目を伏せた。ただ嘆息だけが零れる。
 その問いに、答えを返せる人はいない。


 年輪を重ねたのは屋敷の周辺だけでは無く、屋敷そのものも過ぎ去りし年月の長さを物語っていた。
 男は屋敷の前に佇み、そっと感嘆のため息を零す。
 だがおそらく、ここに観客が一人でもいれば、ため息を零す男その者に対して賞賛の吐息を零しただろう。
 尋常ではないほどに整った貌立ちは、もはや「美貌」という言葉ですら凡百陳腐に思えるほどだった。
 艶のある髪は深い闇の黒。前髪だけがやや長く、他三方はどちらかと言えば短い。瞳は深く澄みきった海の蒼。肌は光のあたる部分は白く、影は淡い象牙に似た色をしていた。
 均整のとれた長身は、全体的に細身と言っていいだろう。不思議なのはその男の印象で、どこか若木のそれに似たしなやかさと、年経た老木のごとき古めかしい重さを同時に感じさせた。
 姿形だけなら優男と言っていいだろう。けれど、果たして彼と相対し、自我を保っていられる勇者は幾人いるだろうか。
 男の名はポテトと言った。むろん、本名では無い。
 その名前を使い出してからかれこれ三十三年ほどになるが、使ってみると周囲の反応もなかなかに良く、男はとても気に入ってた。
 ポテトは屋敷をながめ、本人としては極めて素直な微笑みを浮かべた。
 端から見ればそれは悪意のこもった冷笑にしか見えないが、本人にとってはこれが笑顔である。
 ポテトの正面には屋敷の玄関があり、その手前には見えざる魔力の力場が構成されていた。
 魔法というものが人々の記憶から薄れ、もはや伝説と化している時代に、これほどのものを見るとは思わなかったのだ。
(さすがです。ご主人様)
 ポテトは脳裏に己の主を思い浮かべた。
 その髪と同じく、輝く黄金の如き魂を持ったその人は、燃えるような瞳で爛々とこちらをにらみつけている。ただの昔の記憶であり、ただの幻視であるというのに、その眼差しは鋭くポテトの心臓を貫いた。
 十三年という年月を音信不通でいた自分に対し、さてあの主はどういう反応をしてみせるのか。
 かつてのように烈火の如く怒って罵声を浴びせてくるのか、それとも永久凍土のような視線で完全黙殺をしてくるのか。考えるだけで思わずうっとりとした微笑みが浮かんでしまう。
 かつてベラトリーテの目を盗み、『主』がこっそりと植えていたミニバラは、今や屋敷のあちらこちらに蔓をからませている。なんだか巨大な獲物を捕まえようとする蜘蛛の糸のようで、ポテトはついつい笑みを深めてしまった。
(執念ありすぎです。ご主人様)
 心の底から「素晴らしい」と思う。
 否応なく呪的結界が自然発生し、周囲に奇妙な「対呪殺専用自動反撃結界」が展開している。
 紋章を大量に宿す強力な「器」を持っていながら、使いこなすことがほとんどできなかったあの少女が……いつのまにこんなに立派な呪いをかけられるようになったのか。
(人の成長は早いですね。本当に恐ろしいことです)
 うっとりとそう感想をこぼし、ポテトは玄関の扉を押した。
 様々な『鍵』で閉ざされているようだが、男にとっては何の意味もない。そっと押すだけで軽々と開いた。
「さて……」
 そう呟いた途端、
 とんっとととととととっ、と軽くて小さな足音がした。
 何か小動物が物の上から飛び降り、こちらへと駆け寄ってくる音に似ている。
 見れば、小さくて可愛らしい子供が(何故か口の周りを真っ赤にして)走ってきていた。
 子供は一心不乱に、そして一直線に駆け寄り、
「おじ……ッ?!」
 こちらに飛びつく寸前、
 世界が崩壊ほうかいしたかのような、とてつもない驚愕きょうがくの表情で凍りついた。
「…………ッ」
 凍りついた子供に、ポテトも思わず凍りつく。
 世界の全てに裏切られたと言わんばかりの眼差しが、ちょっとショックだった。
「…………」
 互いにじっと見つめあう。
 お互い言葉が出てこないので、沈黙だけが流れていた。
 ポテトはほとんど俯くようにして小さな子供を眺める。
 懐かしい色の髪であり、瞳だった。そして、その器が有する魂もまた、懐かしい色をしている。
(ああ、この子供が……)
 即座に記憶が浮かび上がった。
 此処ここではない時と空間で彷徨っていた『黄金の魔女の卵』。
 肉体を有して相対していたわけでは無かったので、ポテトには彼女の「今現在の形」がわかっていなかった。彼の目には、あの時の彼女は丸い金色の光にしか見えなかったのである。
 本人をこうして目の前にしても、『なるほど、こんな姿の子供だったのか』としみじみ見やるのがせいぜいだ。と同時に懐かしい『名付け子』の顔も浮かんで、ポテトはにっこりと微笑んだ。
 おそらく子供の目には、その笑みは悪党が悪事を思いついた瞬間の笑みに見えただろう。
 けれど驚くべき事に、子供はその笑みに対しては何の感慨も覚えなかった。
 ただ、何故か、その金色の瞳にじわじわと「失望」を浮かべはじめたのである。そんな反応は、ポテトにとっては生まれて初めてだった。
 外見だけなら四〜五歳ぐらいに見える子供は、稚さの域から脱してきれておらず、大きく目を瞠った様など小動物のそれに酷似している。
 けれどポテトには、そんな風に驚愕と失望の目を向けられる理由がわからなかった。何かひどい詐欺を働いたような気分になったが、今はまだ何もしていないはずだ。なのになぜ、これほど悲しげに見上げられてしまうのか。
(タイミングが悪かったのですかね……?)
 ポテトはそう推測する。他に理由らしいものが思い浮かばず、敢えてあげるとすればそれしか無かったのだ。
 事実、未だに握られているナイフとフォーク、そしてフリルがたっぷりとついたよだれかけが、子供が食事中だったことを告げている。それらは全部赤いトマトソースで汚れていて、玄関には煮詰めたトマトの匂いが充満していた。
 しかし、どんな風に食べればそんな風にソースだらけになるのか。ポテトは首を捻らずにはいられなかったが、それよりも急速に深まる相手の失望感のほうが気がかりだ。
 しかし、はて、この現状をいったいどうやって打開すべきか。
 ポテトが悩んでいる間に、子供は暗い目になって小さな肩をガックリと落とした。
 なにがそんなに「ダメ」なのかわからないポテトは、子供の落胆ぶりに目を丸くする。
 そんなポテトにチョコンと一度だけお辞儀をして、なんと、子供は何も言わずに後ろを向き、とぼりとぼりと廊下を戻っていってしまった。
 ポテトはさすがに慌てた。
「あの……お嬢さん?」
 とりあえず、そう声をかける。
 子供はその言葉に三秒経ってから気がつき、ひどく残念そうな顔でポテトを振り返った。
「……あたし?」
 どんよりとした声だった。
 ポテトは頷く。
 足取りも重く玄関に戻ってくる子供の、心底こちらに興味無さ気な姿が新鮮だった。
「レンさんは、ご不在ですか?」
 ポテトの声に、子供は目をぱちくりさせた。
 きょとんと首を傾げるのに、ポテトも首を傾げる。
「レンドリア、というのですが。……あぁ、この名はあまり使わないかもしれませんね。あの子は」
 ふとそう思い返し、もう一つの名前を言おうと口を開いた。
 だが、それよりも、目を丸くした子供の声のほうが早い。
「あーッ!」
 この小さな体のどこからこんな大きな声が出るのか。そう思うほど体中から声を出して、子供はフォークをギラリッと突きつけた。
 どんよりとしていた目が、キラキラとした輝きを宿す。
「不思議の国のポテトさんだ!」
 とりあえず、
 反論できなかったのがちょっと悔しかった。

 ※ ※ ※

「んっとね、おじ様はね、今お仕事に行ってるの」
 そう言って子供が案内してくれたのは、何故か屋敷の台所だった。
 ポテトはのんびりと椅子に座ったまま、目の前で一生懸命「食事」をしようとしている子供を見守る。
 一緒に食べようと誘われ、ナイフとフォークを渡されたが、他人様の食事を横取りする気にもなれない。
 結果、淹れてくれたハーブティーを飲みながら、果敢に「食事」に挑んでいる子供を眺めているのである。ちなみにお茶は、死ぬほど不味い。
 机を挟んで真向かいにいるのは、ベルという名の八歳の少女だった。
 名前だけは前々から聞いていたが、本人と実際にあっての名乗りは今回が初めてだ。とりあえず、こちらも「ポテト」の名を改めて名乗ると、即座に美味しそうだと言われた。
 ポテトがベルを心底気に入ったのは、この瞬間である。
(レンさん。あなたのレディは、あなたと一緒の感性ですよ)
 そのことがとても嬉しい。ポテトはうっとりと未来に思いを馳せた。
 きっと成長の末には、誰もが道を空ける怪獣夫婦になってくれることだろう。……想像するだけで胸が踊る。
 脳裏に浮かぶのは、十三年前に別れた時のレンドリアだ。
 当時十九歳だった彼は、自分の「生」に対して意味や意義といったものを見いだせないでいた。若かりし彼がその後どのように生き、どのように成長したのかはまだわからない。
 ただ、目の前にいる彼の伴侶となるだろう子供の存在が、少なからず彼の変化を伝えてくれる。それはひどく、ポテトの胸を打った。
(ベラトリーテ……あなたの願いは、叶ったようですよ)
 ずっと自分の養い子を気にかけていた友人。
 いつか自分自身で幸せを掴んでくれるようにと、ずっと願い続けていた彼。
 そしてそんな彼の存在が、レンドリアにとってどれほど大きなものだったのか、ずっと見守っていたポテトはよく知っている。
(そうですね。あれからもう、十三年も経っているのですよね……)
 懐かしい記憶に、ポテトは眼差しを細めた。
 レンドリアはポテトと非常に縁の深い子供だった。
 もう今年で三十二になったはずだから、子供、と呼ぶのはおかしいかもしれない。だが、こんな自分でも名付け親としての思いがあるらしい。親にとって、子はいつまででも「子」なのだ。
(あの賢くて心がカラッポだったあの子が、こんな可愛らしい女の子を奥さんにするような、そんな立派な変態に育ってくれたんですね……)
 ポテトはそっと目頭を押さえた。
 涙が出そうな心境というのは、きっとこういう心境を言うのだろう。
 胸がどきどきするぐらい高鳴って、体中がホコホコしている。嬉しさのあまり零れた笑みは、端から見ると凶悪極まりないものだった。
 そっと目の縁の涙をぬぐって、ポテトは視線を前へと向ける。
 彼の前には、デンと置かれたスパゲティの山があった。
 いったいどういうつもりでこんなに大量に作ったのか。どちらかと言えば小食なレンドリアの顔を思い出して、ポテトは軽く首を傾げた。
 その「スパゲティ・マウンテン」の向こう側で、ベルが必死に食べ物と戦っている。
 大皿に積み上げられたスパゲティは、もはや麺類というよりも巨大な別の食べ物に見えた。それと格闘する子供の腕前は大変拙く、せっかくフォークとナイフという武器が手にあるというのに、腕近くまでトマトソースで染まりそうなほどだ。惨敗にも程がある。
 それにしても、なぜスパゲティにナイフなのか。
 ポテトはそこでも首を傾げた。普通、フォークと対になるそこは、スプーンでは無かろうか?
 ポテトはしみじみとベルを観察する。この子供は大変興味深い。
 何が興味深いかというと、本人の真面目ぶりが非常に可笑しいのだ。
 おそらくテーブルマナーを特訓しているのだろう。彼女の近くには変な風に散らばったスープスプーンやデザートスプーンがあり、何故か遠くにデザートフォークが吹っ飛んでいる。
 その中で手にとったのがフォークとナイフなのが謎だが、がんばろうとしている意志だけは伝わってきた。
 とりあえず、未だにまともに一口も食べれてないが。
(素晴らしい)
 ポテトは感心した。
(なんという可愛らしさでしょう)
 これはレンドリアも情が湧くハズだ。ポテトは確信した。きっと毎日メロメロになっているに違いない。
 なにせ一生懸命スパゲティを食べようとしている姿が、傍目からは子猫がミミズの固まりをこねてるようにしか見えないのだ。
 一生懸命こねているが、こねているだけで口には入らない。
 手元はベタベタ。苛立って口をつっこんで食べてやろうとするが、寸前で思いとどまってまたこねだす。
 最後には口をぎゅむっとつむって、泣き出しそうな顔でこちらを見上げてきた。
 上手くできなくて悔しくて悲しくてたまらないのだろう。今にも泣きそうで、けれど決して泣かない。
 可愛らしすぎて思わず吹き出しそうだった。
(最高ですよレンさん!)
 いっそ拍手を送りたい。けれどそれをすれば、この子供は心に傷を負って泣き出してしまうだろう。それを見てみたい気持ちでいっぱいになったが、そんなことをすればレンドリアに軽蔑されてしまう。
 それはそれで楽しそうだが、徹底的に無視されるのは寂しい。
 ポテトは必死に自分の衝動と戦った。これほど辛い戦いは、大事なご主人様を言い負かして泣かすか否かを自問した時以来だった。
 あの時は衝動が勝ったが、今回は辛くも理性が勝ちを治めたようだ。
「いっぱい取ろうとせずに、少しだけフォークにからませるようにするんですよ」
 内心の葛藤などおくびにも出さず、ポテトはにっこりと微笑んだ。何か企んでいるような笑顔に見える笑みだった。
 ポテトは近くで手本を見せるべく、席を立ってベルの後ろにまわる。
 泣き出しそうな眼差しが、動きにあわせてずっとついてくるのが可愛らしかった。
 トマトソースでべたべたの手を後ろから握ると、子供特有の小さくて柔らかい感触がする。
「あと、こちらはスプーンのほうがいいですね」
 近くに専用のスプーンが無かったので、とりあえずスープスプーンをナイフと交換させた。
 これで準備は完了だ。
「いいですか? この二本ほどのスパゲティをこういう風にフォークに引っかけて、くるくるっと回すんです。ほら、スプーンの引っ込んでいる部分を上手くつかうと……」
 実践すると、金色の瞳がきらきらと輝いた。
 尊敬を込めて見上げられるのは、悪くない。
(……ええ。こういう義娘むすめがいるのは、悪くないですね)
 上手くフォークにからませたスパゲティを子供の口元に持っていくと、ぱくっと勢いよく食いつかれた。
 雛にエサをやる親鳥のような気分になって、ポテトは満足げに微笑む。美味しそうに食べる子供がこれまた愛らしくて、この場にいないレンドリアに同情してしまった。
(レンさん。これを見られないなんて、あなたはなんて可哀想な人なんでしょう)
 同情のあまり口に至福の笑みさえ浮かべてしまう。
 ポテトは微笑みを口元にはりつけたまま、腕の中の子供を見下ろした。
「レンさんの料理は美味しいですか?」
 幸せそうな顔で頬張りながら、次を待ちきれず、目をきらきらさせて次のスパゲティにフォークを突き刺していた(それでは食べれませんよ)ベルは、ポテトの声に顔を上げた。
 きょとんとした眼差しが返ってくる。
「レンサン、ってのも、おじ様の名前?」
(おや)
 ポテトは目を丸くした。
「あの子の名前の略です。私が勝手に呼んでいるだけですが。……ご存じではないのですか?」
 その問いに、ベルはぱちぱちと瞬きをする。
「なにを?」
「あの子の『名前』です」
 あの子、とベルが小さく呟いた。
「ポテトさん、あの不思議世界でも、おじ様のこと『あの子』って言ってたよね?」
 その真っ直ぐな金色の目に、頷きながらふと首を傾げる。
(答えるポイントがズレているような?)
 レンドリアの名を知っているのか否かは、結局のところサッパリ分からない。
 とはいえ、それを指摘する気にはならなかった。自分の聞きたいものだけを答えさせるのは無粋だろう。
 それに、この子供に関してはもう一つ不思議なことがある。
 玄関での出会いがインパクトありすぎてつい流してしまったが、この子供とは「あちら側」ですでに会っているのだ。彼女の方でも、それを覚えているらしい。なのに、今まで一度もそのことに触れてこなかった。常に世界のほとんどに興味のない自分ならともかく、好奇心旺盛なはずのこの子供が、今まで何も尋ねてこなかったのは何故なのか。
 興味津々でベル言葉を待つポテトに、子供はまさに好奇心に目を輝かせて尋ねてきた。
「おじ様と同じぐらいの年に見えるけど、ポテトさんはおじ様よりも年上なのよね? おじ様のちっちゃい頃とかも知ってるのよね?」
 断定で質問。
 こちらを見つめてくる瞳の、そのギラギラ具合がとても気になる。 
「とりあえず、レンさんの何倍も年寄りなのは確かです」
「そうよね。おじ様の『お父さん』なんだから、おじいちゃんだよね」
 なにか妙な納得をされてしまった。
 それ以前に、できれば「おじいちゃん」はやめてほしい。
「それで、おじ様のちっちゃい頃は?!」
 ふんーっ、と鼻で息を吐いて、ベルが身を乗り出してくる。
 テーブルを挟んでいるのに、なぜか彼女の鼻息を感じた。
「あの子の小さい頃ですか……。えぇ、大変可愛らしかったですね。私が知っている一番小さいサイズは、これぐらいですが」
 言って、ポテトは人差し指と親指で直径一センチほどの大きさを示した。
 ベルの顎が勢いよく落ちる。
「……ッ!?」
 驚きのあまり声も出ない子供に、ポテトはにっこりと微笑んだ。
 それはそれは悪辣な笑顔だった。
「ちょうど、ようやく『胎児』になったばかりぐらいの状態でしたね。妊娠七週目、でしたか……確かそれぐらいだったと思います。それはもう可愛らしかったですよ。エラとしっぽの名残みたいなのがちょっと残ってて」
「エラ?! シッポ?!」
「えぇ。赤ちゃんの初期は、どちらかというと魚類とか両生類に近い感じですから」
 よろり、と子供がよろめいた。そのままポテッと椅子から落ちそうな勢いだ。
「ぅぅ……あたしの知りたい『ちっちゃさ』と違う……」
「おや、それは申し訳ありません。ですが、人は皆そうやって長い時間をかけて、『人間』の形を作っていくのですよ。ふふふふふ……あの子がゆっくりと二頭身になっていく過程も見ましたが、大変可愛らしかったですねぇ……」
「……二頭身……」
 なぜかベルはガックリと肩を落とした。
 ポテトはそれに対してもニッコリと微笑む。
 端から見れば、罠にかかった獲物を見下ろすような笑みだった。
「あの子の真名が決まったのも、その頃ですよ。身籠もられたことが周囲にも知れて、実の父親からも名前が贈られた次期です」
 その声に、ベルが真顔で反応した。
 パッとこちら側を見上げてきた目が、驚くほど深く静かな色を湛える。子供とは思えぬその瞳に、ポテトは薄く笑った。
(あぁ、なるほど)
 悟った。
 この子の基準は、あらゆる全てにおいてレンドリアなのだと。
 そうと知ると、むくむくと好奇心がもたげてくる。
「レンさんの名前、お教えしましょうか?」
 悪戯心を覚えてそう囁いたのだが、これにはあっさりとした答えが返ってきた。
「教えてもらっても、覚えられないからいいわ。おじ様から教えられたときも、最初と最後しか覚えれなかったし」
 ポテトはぽかんと口を開けた。
(……驚きましたよ、レンさん)
 本当に、心底驚いていた。
 真名を告げるという行為がどういうものなのか。あのレンドリアが知らないはずがない。
 この小さな少女にそれを告げた真意は何か。そんなこと、考えるまでもない。
 ポテトは微笑った。それは驚くほど鮮やかな笑みだった。
「そうですか……もう、教えてもらいましたか」
 口元にゆるゆると笑みが浮かんでいく。
 あの子は、やはり選んでいたのだ。
 自分の運命を決める唯一人を。とっくに選んでいたのだ。
 未だ幼い、運命の黄金の魔女を。
(嗚呼、ならば貴方はいつか敵になるのですね)
 ほのかな笑みが口元に浮かぶ。
 この腕の中にいるのは、いずれ黄金の魔女と呼ばれるようになる子供だった。
 ましてあのレンドリアが選んだのならば、それはそういう運命なのだ。
 最初の選択がいつ行われたのか、それはいちいち考える必要などない。すでに選択の時は過ぎ、結果だけがここにある。
 選別は完了した。「二人目の魔女」が生まれた。
 世界は在るべき形に在るために動き出す。
 いや、もうとっくに動いているだろう。
 今この時、あの子がこの子供の手を選び取ったように。
 今この時、この子供があの子を愛してしまったように。
 今この時に、自分という存在が、およそ十三年ぶりに主に会うことになったように。
(嗚呼、運命とはかくあるべきなのでしょうね)
 抗いようのない流れのように見えて、その実全てが己自身で選び取ったもの。
 言い訳はきかず、
 弁解は意味を持たず、
 ただあるがままの事実だけが残るもの。
 ポテトは感情の欠如した目で小さな子供を見下ろす。
 やがて『王』の邪魔となるだろう、もう一人の『王』の卵を。
 けれど、彼が何かの動きを見せるより早く、子供の口から言葉が放たれた。
「あたし、レメク・(なんとか)・クラウドールとしか覚えられなかったの。ちゃんと覚えたかったのに、何でかなぁ……」
 その心底しょんぼりとした声に、ポテトは二度三度瞬きをし、ややあって破顔した。
 それは、どこか気が抜けたような笑みだった。
「……覚えられなかったんですか」
 それは、残念なことなのか、それとも、安堵すべきことなのか。
 ポテトは思う。執行猶予のようなものなのだろう、と。
 運命が決まったことは変わりないが、運命が運命として動き出すのはまだ先のようだ。
 真名を告げあい、交換して初めてそれは動き出すのだろうから。
「覚えられないということは、今はまだ、それを覚える時期では無いということですよ」
 ポテトの声に、小さな魔女は目をぱちくりさせる。
「そうなの?」
「ええ」
 ポテトは笑う。どこか仄暗い、悲しみにも似たものをとけ込ませて。
「全てが決した時に、それは確かな形となってあなたの魂に刻まれるでしょう。そう遠くない未来に、決別と永久の愛を天秤にかけながら」
「??? ポテトさんの言葉は、ちょっとわかりにくいわ」
 首を傾げた子供に、それでいいんですよ、とポテトはさらに笑った。
「考えて考えて、考え抜いて答えを見つけなければならないのですよ。……いずれにしても、あなたはあの子を通してあの子と私の真名の一つを手に入れている。どういう関係が築かれるにせよ、私達はすでに家族となっています。あなたの真名は、いずれ時がくればあの子が読み取ってくれるでしょう」
 ポテトの声に、ベルはいっそう首を傾げた。
「今はわからなくてもいいんですよ。いずれわかりますから」
「う、うん……」
 困惑と疑問をいっぱい浮かべた顔をこちらに向けながら、子供の腕だけが別の意志を持つ生き物のように、一生懸命スパゲティを貫こうと動いていた。
 一度も成功しない攻撃につい笑って、ポテトは話題を打ち切ることにした。
 時期尚早なのだ。
 これ以上の話は、したところで意味は無い。
「さ。とりあえず……先にこの難物を退治しましょうか」
 話を切り上げたポテトに、子供の目が一瞬だけ静かな色になり、次いでキラリと輝いた。
「手伝ってね!」
 即座に乗ってきた子供に、ポテトは心から微笑む。
 何かを察して疑問を飲み込んだ小さな子供に、少しだけ畏怖を覚えながら。

 ※ ※ ※

 眩しい輝きが深紅のベールを纏う頃、ポテトはクラウドール邸を後にした。
 後にした、とは言っても、向かう先はこれまたクラウドール邸の一角だ。
 夕暮れの赤に染められた木々はどれも血の色に似ていて、どこか不吉めいている。
 ポテトは本邸から二百歩を数えた場所で立ち止まった。
 ゆっくりと、背後を振り返る。
「意外と早かったですね。レンさん」
 微笑みを向けられた相手は、どこか苦々しそうな顔で嘆息をついた。
「……おいでになるのなら、先に連絡をください」
 どこか自分と似た部分を抱える男は、そう言って大きく息を吐く。
「ついでに、勝手に結界を張るのもやめてください」
「おやおや。だいぶ苦労したようですね」
「あなたの創った結界を、私が砕けるはずがないでしょう」
 どこか不機嫌そうに言われて、ポテトは笑った。
 以前なら、こんな言い返しはこなかった。そう思うと、とても楽しい。
「十三年という年月は、あなたをいろいろと変えてくれたようですね」
「……変わりませんよ。あなたが変わらないのとはまた違った意味で、ですが」
 ポテトはその答えに笑う。
 自身の変化とは、往々にして己では知覚しがたいものなのだ。
「私はともかく、あなたは変わったと思いますよ。……あぁ、しかし、最初に挨拶をしておくべきでしたね」
 そう言って笑ったポテトに、男──レメクは嘆息をついた。
 今更だとも思ったが、嫌がるようなことでもない。
「お久しぶりです、お義父さん」
 ポテトは笑った。心の奥底の、暖かいものの全てを込めて。
「お久しぶりです、レンさん。私の小さな名付け子たる、もう一人の私」


 レメクは、レンドリアという名前が嫌いだった。
 実の父親から贈られた名だというだけで、そこまで嫌いになれる自分がいっそ不思議だったが、どれだけ年月が経とうとそれは変わらなかった。
 その名についてまわる、面倒で忌まわしい様々なもの嫌いだった。
 全てがどうでもいいと思っていた時でさえ、ハッキリと「嫌だ」と思うものがそこには沢山あった。
 唯一の例外は、黄金色の魔女のいる領域だった。
 彼女のいる領域の、ごく一部の人々だけは「どうでもいい」とも「嫌だ」とも思わなかった。
 そこに在ってくれれば、なんとなくほっとした。そういう存在だった。
 レメクがポテトと会ったのは、その魔女と会うよりもさらに前。
 実は記憶すら定かではない時期だった。
 ポテト自身は「生まれる前から」と言っている。そんなことで嘘を付くような相手もないから、それは正しいことなのだろう。覚えていない時期のことをあれこれ言われても困るが、それぐらい昔から「縁」のある相手だということは理解している。
 その最たるものは、自分の名前だろう。
「相変わらず、レンドリアの名前のほうは使わないんですね。もったいない。私の名などより、よほど人として良い名前だと思うのですが、どうしてそんな不思議なことをするんです?」
 なぜか並んで歩きながら、ポテトがどこかしみじみとした声でそう問いかけてくる。
 レメクはなんとも言えない顔で嘆息をつくしかなかった。
「物心つく前から、そちらの名前で呼ばれてしまってますからね。それに、あちらの名前はいろいろうっとうしいから嫌です。……それよりも、私としては、なぜ貴方のような方が私に名を分け与えたのか、そちらのほうが不思議で仕方在りませんが」
 まさかこの得体の知れない人外魔境の生き物が、自らの本質である真名の一つを自分につけるなど、実際名付けて貰い、その名を名乗って三十二年を経過した今でも信じられない。
 言われたポテトは苦笑するだけで答えなかった。
「それは秘密です」
 レメクはただ深く嘆息をついた。
 ポテトと一緒にいた記憶は、そう多くない。
 印象としても、強烈な個性を持っていたステファン老のほうが強すぎて、ポテトと過ごした日々の印象は曖昧だった。
 ただ、共にいた。
 共にいて、守ってもらっていた。
 最も脆弱で、最も危険だった日々を、ただひたすら守ってくれた相手が、目の前の男だった。
 その時の刷り込みのせいか、この相手にだけは絶対に頭が上がらない。
 記憶も曖昧なぐらい希薄な印象しか残していないのに、おそらく、誰よりも自分に影響を与えた相手だ。
「では、それを秘密にさせているだろう、あなたのご主人様に早く会いに行かれたほうがいいのではありませんか? 私の家の方に先に来るなんて……いったい、どういうつもりで」
 ふと、言葉の途中でレメクが声を途切らせた。言葉にしている最中に、「そのこと」に思い至ったのだろう。
 あ、の文字で固まった相手に、ポテトは笑った。
 脳裏に、暗い顔でずっと虚空を見ていた子供が浮かんだ。あの時の子供が、なんて素直に感情を表に出すようになったのか。
「ええ、あなたの導きの子に会ってきました。とても可愛らしかったですよ」
「…………」
 レメクは声もない。なぜか片手で顔を覆って俯いてしまった相手に、ポテトはぽん、と肩を叩いてやりながら笑った。
「なに。十年なんてあっという間です。あの子は仕込みがいありそうですよ。テーブルマナーなんか無茶苦茶で、顔中べたべたにしながら食事をしている様は大変素晴らしかったですから。ちなみにあのよだれかけは、あなたの作ですか?」
 レメクはもうひたすらどんよりした顔でため息をつく。
 ただし、頷きはしっかりとしてくれた。
「ええ、あの手の込みようといい、あの子に素晴らしく似合っていたことといい、あの『よだれかけ』はあなたの作でしょうとも。こっそりと小さくベルの刺繍まで入れちゃってるしてるあたり、あなたの芸の細かさがよく出ています」
 褒められているというよりは、遊ばれているような賛辞である。
 レメクは眼差しをどこか遠くへと飛ばした。おそらく、現実逃避したいのだろう。
 その様子を笑って眺めて、ポテトは何気ない口調で問いかけた。
「それで、レンさん。あなたは今も、この国の王座には興味無いんですか?」
 と。

 ※ ※ ※

 雲が微睡むように紅色に染まり、空が深い濃紺のアイシャドーを降ろしていく。
 闇に閉ざされるまでのわずかな時間をぼんやりと過ごしながら、ポテトは待っていた。
 周囲に人影は無い。
 ただ、深い森のような濃厚な木々の気配だけが満ちている。
 ふと、その一角に唐突に「人」の気配が現れた。
 濃厚な密のような甘い気配。けれど凍てつく氷山のような峻厳な気配。
 その気配は、真っ直ぐに自分へと近づいてくる。
 ポテトは口元に笑みをはき、レメクの時と同じように背後を振り返った。
 過たず、そこにある黄金の輝き。
 鮮やかな夜明け前の空の瞳。
 誰よりも鮮明に、誰よりも確かたる存在感をもって自分を支配する黄金の魔女。
 絶世と呼んでもいいだろう美貌を歪ませて、その魔女が第一声を放った。
「歯ぁ食いしばれェッ!」
「……はい?」
 きょとんとする間もなかった。とんでもない一撃を右頬にくらって、ポテトは目を丸くする。
「…………」
「…………」
 至近距離で、深蒼の瞳と、深紫の瞳が見つめ合った。
 魔女の渾身の一撃を食らいながら、微動だにせずに立っている男は、恐ろしいことに皮一枚たりとも変形させていない。むしろ殴りつけた魔女の拳のほうが、金剛石を殴ったかのような痛みをうけていた。
「なんてことをなさるんですッ!」
 一瞬の驚愕の後、ポテトは血相を変えて叫んだ。
 有無を言わさぬ強さと早さで魔女の右手を両手で包み込む。ただそれだけでありとあらゆる傷を治して、ポテトは顔を盛大にしかめた。
「私がどういう者であるか、一番知っているのは貴方でしょう?! レンさんのように反転属性を持っているのならともかく、あなたがこんなことをすれば、どういうことになるか分かってるはずじゃありませんでしたか?!」
 焦りすぎて、言葉が変になっている。
 切羽詰まった顔で視線をあわせてきたポテトに、冷ややかな怒気を込めて睨みつけていた魔女が初めて笑った。にやり、と。
「ふん。おまえのその顔が見てやりたかったのだ。手ぐらい安いものだろうが」
 そのあっさりとした告白に、ポテトは呆れて口を開けた。
 はは、と魔女は笑う。それはそれはとても無邪気な悪意ある笑顔で。
「こンのドグサレが。ァア? 十三年も音沙汰ないままだった上に、おまえはどーこーにー最初に挨拶に行ったんだコラァ?」
 しなやかな指が飛んできて、ポテトの掌の皮膚を盛大につねり上げる。
「おまえがレメクに甘いのは知ってるし、あそこにちょうどおまえの領域から帰ってきた小娘もいるから、どうせいろいろくだらない理由と好奇心と悪戯心でちょっかいかけに行ったんだろうってぐらいは分かっているがな!」
 バレている。
「なぁ、じゃがいも。私はおまえに言ったな? ちゃんと言ったな?」
 ぎゅむむむむッ、と力一杯つねり上げて、黄金の怒れる魔女は、業火のような眼差しでポテトをにらみ据えた。
「あンの馬鹿助には野心なぞ欠片も無いから、いちいち気にするなと!!」
 皮膚が千切れそうなほど力をこめてから、魔女はパッと指を離した。心底冷ややかな目をポテトに向けて、スタスタと離れていく。
「奴に断罪の紋章を与えたのも、私が私であるための戒めのためだ。あれにこの国をどうこうさせようとして与えてやったわけではない。それをなんだ、おまえ。人より偉くて賢くて長生きなくせに、最初の子供が初めて歩き出したのを見守る母親のようにオロオロしおってからに」
「…………」
「言ったはずだぞ、『レメク』。この先の未来で、どんな選択を強いられ、どんな結末を迎えることになろうとも、おまえのおまえたる所以の力を借りるつもりは無いと」
 そう言って胸を張った魔女を、夕日が後ろから照らし出す。
 鮮やかな赤銅色に染まった女王に、ポテトは目を細めた。
 眩しく思うのは、逆光のせいか、美しい人のせいか。
「人の世は人の理の中で治められなければならない。ならば、おまえの能力など無用なシロモノだ。おまえの無駄な美貌と同じぐらい無駄無駄なものだ。おまえもさっさと、予言など忘れてしまえ」
 散々な言われように、ポテトはただただ嬉しそうな顔をする。ちなみにさっきから、ずっとこの表情である。
 どこかうっとりとした目でこちらを見るポテトに、魔女は心底嫌そうな顔になった。
「おまえのその不思議回路は未だに健在なわけだな……なんで私が怒った時にばっかりそんな嬉しそうな顔をするんだか……」
 盛大なため息をついてから、魔女はそこで、不思議なぐらい不自然に視線を彷徨わせた。
「だ、だいたいだ……十三年だぞ!? 普通、手紙の一つでも寄越すものでは無いのか?! 世界中を見聞するのは、まぁいいことだろうさ。だがな、ちょっと長すぎだろう?! なんで一度も連絡をとって来ない?! しかも、なんだ! 久方ぶりにやっと会えたというのに、おまえのそのダメっぷりは! す、少しはだな、もうちょっとこう、男らしく格好良いところを見せるとかだな、この私にしてみせたらどうな……なんでそんなガッカリな顔を即座にするんだ貴様はッ!!」
 途端にひどく残念そうな顔になったポテトに、魔女の怒りが炸裂する。
 ポテトは即座に嬉しそうな顔になった。
「くっ……! 貴様に幼年期を任せたせいで、あの馬鹿助もおまえに似た謎思考の朴念仁に育ってしまったし……えぇい、忌々しい!」
「ご主人様。そんなに褒められても困ります」
「褒めておらん!」
 目くじらをたてて怒るほどに喜色満面の笑顔を浮かべられて、黄金の魔女はガックリと項垂れた。
「ふっ……ベルよ。貴様の気持ちが微妙にわかるぞ。このなんとも言えない空振り感。ふふふ……後で拉致って一晩中語り明かそう……」
 ベル、の単語に、満面笑顔のポテトがちょっとだけ苦笑を浮かべた。
 魔女がとたんにジロリと睨む。
「……あれは、いかんぞ」
「おや。まだ何も言っておりませんが?」
「言わずともわかる。あれだろう。名前繋がりでおまえとレメクが闇の王であるように、あの小娘も黄金の魔女なのだろうが」
 ポテトは笑った。どこか薄ら寒くなるような笑みで。
「ええ。レンさんもうすうすは気づいているみたいですが」
「気づいてるさ。ただ、気づかないようにしておるだけだ。……全く、あいつもおまえと一緒でいちいち難儀なことをグダグダ考える」
 これには苦笑だけを返して、ポテトはあえて返答しなかった。
 魔女は豪華な黄金の頭を掻く。乱暴なその様まで美しくて、ポテトはこっそりと見惚れた。
「まぁ、なんだ。おまえはどうせ暇なんだ。しばらく王宮で大人しくでかい置物にでもなっておけ。おもしろいものを見せてやるから」
「おや」
 興味を惹かれて声をあげると、魔女はにゅっと口の端を持ち上げて笑った。
 どこか獰猛な笑みで、獲物を狩らんとするようにポテトを見据える。
「見せてやろうではないか。人の子が人を統べるために、どのような策を巡らすのかというのを」
 人として。
 言外に言われた言葉に、ただポテトは微笑む。
 そうして、完璧な動作で一礼した。
 ただ一人の主に、全てを託して。
御意イエス御主人様マスター。お望みのままに」


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